雑記帳

2011年2月11日

【政治家の言葉】(ブログ)

◎いかにも軽い首相の言葉

 愛媛県出身のコラムニスト天野祐吉さんが取り上げる広告の話題は、「広告批評」の創刊者らしく核心を突いていて感心させられる。その天野さんが、ついこの前行われた、党首討論での菅首相の言葉について感想を言っていた。
 「菅さんは説明は一生懸命していたが、説明するだけでなくそのことの意味を心に響くように語らなければいけません」とのこと。
 党首討論では野党の谷垣・自民党総裁、山口・公明党代表らが民主党政権のマニフェスト破綻を執拗に攻撃。対する防戦一方の首相は「消費税」「社会保障改革」「衆院解散・総選挙」などについて与野党協議を盛んに呼び掛けたが、身振り手振りのわりには、応えが腹に落ちてこない。天野さんが言うのは、そのことだ。

 政治家にとって言葉がいかに大切か、場合によっては政治家としての資質・器量までを疑わせてしまうから恐ろしい。どんなに経歴が立派で、学識があったとしても、話下手、口下手では政治家は務まらない。
 金権政治の権化などとされた田中角栄元首相の、あの迫力のある濁声の演説は聴衆を引き付けたし、派手さはなかったが大平元首相の演説も、そのまま文章に出来るほど整った話だった。小泉元首相が総裁選に立候補した時の「自民党をぶっ壊す」という咆哮に近い演説は、政治不信の国民の心を揺り動かした。
 米国の大統領選でオバマ氏の「YES  WE CAN」は流行語にさえなった。麻生元首相が「オバマは演説がうめぇな」と感心したほどだ。
 首相ともなれば、その口から飛び出す言葉は大げさな言い方をすれば、国の命運を左右する。言葉の微妙な変化を嗅ぎ取りながら、政治の先行きを占うのも政治記者の腕である。政治記者に限らず、取材相手の言葉の変化に無頓着な記者はあまり役に立たない。要は言葉の意味を知っているか、訓練された記者かどうかである。

旧政権時代を論(あげつら)ったらきりがないので政権交代後に絞るが、民主党政権のマニフェストは有権者に耳当たりが良かっただけで、それが国民をどう喜ばせたのかがさっぱり分からない。がっかりさせたことだけが鮮明に残る。
 「友愛」「コンクリートから人へ」といったマニフェストがどうなったのか、鳩山前首相が再三明言した沖縄・普天間飛行場の「最低でも県外移設」は、むなしく旧政権の日米合意の「辺野古」に戻った。
 菅内閣になってからは、さらに「口先」がエスカレートした。「経済」「財政」「社会保障」の3本柱が、いつの間にか財源を理由に消費税引き上げに転化し、「一にも雇用、二にも雇用、三にも雇用」の延長線に位置づけられたのが法人税5%減税。昨年の参院選惨敗の引き金になった消費税発言は、与謝野経済財政相の取り込みで堂々と復活した。
 そして極め付きは「平成の開国」である。TPP黒船に見立て、いまTPP参加を検討しなければ日本は置いてきぼりになるとのご宣託。詳しい内容の説明もない、国内態勢をどうするのかの対策も話さないで、首相はスイス・ダボス会議で高らかに「開国」を国際公約した。

振り出に戻した普天間問題では、新年度予算案に盛り込まれた普天間の県内移設関連費用の凍結検討だ。枝野官房長官は全面否定するが、凍結検討の裏に社民党を何とか懐柔してねじれ国会の乗り切ろうとする意図が明らかだから、周りは誰も信じない。
 仮に移転関連予算が凍結となったらどうなるか。
 避けられないのは米政府の反発。菅内閣が発足して以来、首相の米国への摺り寄りは旧政権も驚くほどだ。日米同盟関係の質的転換を主張しながら、普天間問題で見せたブレは、民主党政権に安保問題の専門的認識がなかったことを浮き彫りにした。それに気付いて「日米同盟が基軸」と言い直しながら、移転関連予算の凍結は金額的に小さいとはいえ、菅内閣の対米姿勢を社民党対策という国内事情で変更するに等しい。米側が納得するはずもない。

 そして、普天間関連予算で態度を軟化させたとしても、社民は法人税減税に反対だし、子ども手当法案でも政権との溝はある。社民の協力で予算案そのものが衆院の3分の2で通ったとしても、目白押しの予算関連法案の処理は絶望に近い。普天間関連予算という内向きな小出しの知恵が、日米関係から見れば何の役にも立たないことは明白だ。
 つまり、菅首相の言葉からは一見大局的な姿勢を見せたふうはあっても、具体的な中身や首相の言葉がもたらすであろう問題点とその対策が何も見えてこない。説明はするが、それも個々の問題についての表面的なもので、政策に対する首相自身の意欲や気持ちが伝わってこない。
 冒頭で紹介したコラムニストの天野氏が言わんとしたのは、首相は「もう少し言葉を勉強した方がいい」ということである。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)