雑記帳

2011年2月9日

【子どもの悲鳴が聞こえる】(ブログ)

◎聞かせて欲しいあなたの気持ち

三重県のJR紀勢本線・津駅から亀山に向かって一つ目の駅が一身田駅である。屋根瓦の和風建築の駅舎は、なかなか味わいのある建物だ。駅舎の前の駐車場を挟んで「三重県子どもサポートセンター」はある。
 サポートセンターに理事長の田部眞樹子さんを訪ねた。案内されたセンターは、昔、旅館として使われていたもので、改装はしたが廊下や階段は広く、部屋の間取りも旅館そのもの。建築も釘を使わない立派な造りで、NPOの事務所としてはなかなか立派な施設だった。
 田部さんを訪ねたのは、今の世の中で子どもが置かれた状況がどんなものか、続発する虐待、子育ての悩みなどについて話を聞こう、が目的だった。
 応対してくれた田部さんと事務局長の竹村 浩さんは、門外漢の私たちに国連の「子どもの権利条約」の説明から始まって、現実に行き場を見失ってしまった子どもたちにどのように向き合い、話を聞いてやるかを具体的に話してくれた。

悩める子どもの話を聞く。一見簡単そうだが、田部さんらの話を聞いていると、これがとんでもなく難しい。
 例えばこうだ。
 普通の感覚で言えば、何かを訴えようとしたり、どうしたらいいか困っている子どもの話を聞いて、「何故そうなったの」とか「どうしたいのかなぁ」などと相手の子どもに質問したら、話はそれ以上全く進まない。せっかく連絡してきた子どもの方が連絡を断ってしまう。
 チャイルドラインという県内各地に張り巡らした電話の相談窓口での経験だという。
 つまり、相手の子どもの心に踏み込んで答えを求めることは、決してしてはならない。
 意外だったのは、電話をしてくる子どもたちの「自己肯定が極めて低い」ことだ。自分を肯定するのではなく、言い換えるなら「自己否定」である。他人のせいにするのではない。自分が悪いと自分自身を追い込み、それが自傷行為や最悪の場合自殺につながってしまうらしい。

 チャイルドラインでかかってきた電話の中には、無言電話が半分ぐらいあるという。受話器を通じて相手の息づかいが分かるので、優しい言葉をかけながら待つしかない。長いものでは2時間もの無言があった。その間、電話を切らないで言葉を掛け続ける。
 散歩の途中だという子からの電話は、明らかに「誰かと話をしたい」という気持ちが伝わってきたという。「1人でいられない何かがあるのでしょう」と田部さん言った。
 「子どものためのシェイクスピア」という演劇がある。
 田部さんによると、演劇は「個人と他の人の人間関係性が問われる」ものだ。その中に入って相手との距離感を知る。田部さんは子どもたちに、人間のどろどろした関係を表すシェイクスピアを、まず見せる。その後で表現させる。演劇を見ることは「吸う」ことで、表現することは「吐く」ことだという。吸うことだけだと、子どもは吐くこと、つまり表現する機会を見つけられない。吸わせ、吐かせることが大事だと、田部さんは言う。

 田部さんらの話を聞いていて、「なるほど」と思ったのは、「子どもにとって生きることがプレイですよ」だった。子どもが互いにじゃれ合ったり、親にじゃれつくのは成長するための訓練のようなものだ。
 「切れる」子どもが多い。どんな子が切れやすいのか聞いたら、真面目でおとなしい子が多いという。「あの子が」と思うようなことが言われるが、それが現実のようだ。
 子どもが自分自身を追い込んでしまう原因は単純ではない。育った環境、家庭内事情、学校、友だちとの関係――どれ一つをとっても今の社会は悩める子どもたちにとって優しい環境とは言い難い。

 田部さんや竹村さんらが問題に向き合う時のコンセプトは「指示しない」「指導しない」「傾聴する」だという。指示や指導の感じが表れると、悩める子どもたちは去っていく。その子の気持ちを、いかに優しく包み込み、一緒に悩んでやることしか、彼らの心に近づく道はない。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)