政治と行政

【統一地方選のポイント】@

今春の統一地方選は久しぶりに国政を占うというより、国政を方向付ける極めて刺激的な選挙となりそうだ。選挙だから政党の盛衰がはっきりするのは当然だが、今回の統一選の意味は「勝ち」「負け」だけにとどまるものではない。統一選を受けて地方議会改革は進むのか、議会と執行機関の長(知事・市町村長)との二元代表制への影響、とん挫した感の強い地域主権の行方、全国知事会など地方6団体の役割――いずれも無視できない変化が予想される。それぞれについて考えてみたい。

●名ばかりの議会改革にならないか

今日的な問題で言えば、第一に、どこもかしこもうたい上げている「議会改革」に有権者がどんな判断・評価を下すのかである。今では議会基本条例の制定は珍しくないほど全国にいきわたっている。だがはたして、条例で言うような住民への情報公開、政務調査費の透明化、議員研修制度の抜本的見直し―などが、具体的に実行されるかどうかを確かめなければならない。
 基本条例を作ったからそれでおしまいなのではなく、議会改革の仕組みが出来ただけで、それが実効あるものかどうかは議員の熱意があるかどうかで決まる。問題はそうした地方議会のあり方が実際に行われるかである。
 条例は議会と議員が守るべき当たり前の事項を列挙したに過ぎない。各項目をどのように実践するかの議論がないのでは、両目にスミを入れないダルマと同じだ。
 住民の議会に対する不満・不信は、議会が何をどうやっているのか見えないからで、議会審議の中身の情報公開、つまり、誰がどんな質問をしたか、当局の説明はどうだったのかなど住民が知りたいことを公開しなければ、議会でどんなやり取りがなされているか、住民には全く見当がつかない。
 それと、それに議員報酬などは税金で賄われるわけだから、カネにまつわる費用弁償や政務調査費、他地域への研修視察などが公正に行われているかを示さなければならない。

●調整難しい「住民代表」同士

第二は、地方議会と行政当局との間でつばぜり合いが続く「二元代表制」の問題である。執行機関の長(首長)も議員も選挙で選ばれるわけだから、双方とも民意を代表するもので互いの立場に優劣はない。
 だが実体はどうか。議会の招集を例に取れば、現在は首長に招集権があり、臨時議会については議長や議員が招集を請求できる形になっているが、現実の運用は執行機関側と議会側とでは考え方が対立したままだ。
 全国知事会などは「行政の円滑な運用」を理由に「慎重な検討が必要」としているのに対し、全国都道府県議会議長会など議会団体は「招集権を議長に付与」するよう強く迫っており、調整はついていない。政策の立案ともなれば、議員側が弱いのは明らかだ。形の上では双方は対等だが、「多数与党」が誕生する背景には、政策の共通性もさることながら、「大船に乗る安心感」が議員心理として働くからだ。この「相乗り感」が議員心理を堕落させている。
 とはいえ、二元代表制は、分権改革の推進と政権交代による政治地図の塗り替えで持つ意味が大きく変わった。政権党の民主と野党に転落したとはいえ、地方議会で依然大きな勢力を維持する自民党が地方政治の「与党席」を巡って対決姿勢を強めているからだ。地方議会の緊張感が高まれば、執行機関側とも安易な妥協はできなくなる。

 これまでの多数与党態勢が議会の緊張感を弱めたことは確かで、議会改革の焦点の一つに二元代表性の推進が位置づけれれていることでも分かるだろう。このところの地方選での民主党の惨敗が統一選に持ち込まれるようだと、政権与党が地方議会で少数党に追いやられる可能性も否定できない。
 また、東京・永田町の中央政治の混迷を映すように地域政党の挑戦が目立つ。地域主権が叫ばれる中で、これまでの常識が通用しない地方政治が表れたということである。その地方政治の変化が議会内にとどまることはあり得ない。問題点は多々あるにしても、政治の変革が地方から始まったと認識すべきだろう。(続く)

1125日)=尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」