雑記帳

2011年1月29日

【ネット会見】(ブログ)

◎紙面審査でもマスコミ批判

 新聞・通信各社とテレビ放送各局には、扱うニュースの中身や扱いが適正に行われているかどうかについて外部の第三者の意見を聞き、より客観的なニュース報道に役立てる仕組みがある。
 名称は新聞・通信社は「記事審議委員会」「紙面審議会」など様々で、テレビ局の場合は「放送番組審議委員会」や「放送番組審議会」といった具合だ。各社ともマスコミOBや学者、識者、市民団体代表らに委員を委嘱、主な記事や番組について、それぞれの専門分野から批評を加えてももらっている。

 朝日新聞は29日付朝刊で紙面審議会の模様を紹介、この中で「どんな未来めざすのか」というタイトルで4人の委員の紙面評価を載せている。注目されるのは、このところのインターネットでの痛烈なマスコミ批判に沿った形の指摘があったこと。
 問題を提起したのは、経済人で資生堂名誉会長の福原義春氏である。
 福原委員は、記者クラブが求めた記者会見を拒否して、ユーチューブのネット会見をした広島市の秋葉市長を取り上げた朝日の記事「退任の弁ユーチューブに15/秋葉・広島市長、会見拒否」(16日朝刊社会面)を取り上げた。
 紙面によると、福原委員は「大きな問題を伝えている。メディアを通して話をしても伝わらない、という理由でネット配信が広がっているという。市民の側がこうした動きを評価したら、既存メディアの危機につながる。市民に物事を広く伝えるには、依然として新聞に最も力があると思うが、取り上げ方に新しい切り口が必要なのではないか」と当日の記事の内容に注文を付けた。
 これに対し朝日新聞社側は、指摘された問題意識は共有しているとしたが、市長が会見での質問を拒んで退任することの問題点は紙面で指摘したとおりで、権力監視を任務とするメディアが公人に会見を求めるのは当然だと反論している。
 朝日側は反論したが、同時に「私たちの質問力や編集力が厳しく問われる時代」「既存メディアが社会で果たすべき役割とは何か、新聞の役割の見直しを真正面から問われていることを指摘された」と、福原委員の問題提起に向き合う考えを明らかにした。

 ネットの世界では、連日マスコミ批判が途絶えることはない。口を極めた批判はエスカレートする一方だ。なぜ今、これほどまでにマスコミ批判が高まっているのか。

 先に本HP<ブログ>に掲載した「止まないマスコミ批判」(121日)、「続 ツイッター・考」(同26日)でも書いてあるが、新聞やテレビという既存のマスメディアが伝える情報に対する不満・不信が増幅しているからだ。ではなぜ不満・不信が膨らむのか。端的に言えば、多様化する情報社会の中にあって既存のメディアによる情報の独占に対する反発ではないか。記者クラブの閉鎖性が問われるようになったのは古いが、幾分緩められたとはいえ、その制度の基本は変わっていない。
 毎週火曜、金曜日に行われる閣議後の記者会見は、今ではネットが中継するまでになった。会見自体も閣議案件を超えた質問が飛び出すことも珍しくない。率直に言って、会見する大臣は「やりにくい」思いがその顔に表れている。会見には従来、する側と聞く側の間には、ある種の「あうんの呼吸」があった。この常識がもはや通用しなくなったのである。

 福原委員は経済界でも並ぶものがいないほどの読書家で、企業メセナ協議会の会長でもある数少ない文化人である。新聞記者は政界、官界、経済界に深く根を張って、ニュースの嗅ぎわけに情熱を燃やす集団だ。特定の団体に偏せず、常に権力の監視機関としてその役割を果たすと新聞綱領でうたっている。
 その集団が今や、批判の矢面に立たせられているのである。反省と自重、そして社会の信頼を回復できるよう自らを律しなければならない時代を迎えた。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)