雑記帳

2011年1月28日

【もう君には頼まない】(ブログ)

◎「疎い」政治が問題なのだ

 この政治家に国政を任せることがいかに危ういのか、を改めて思い知らされた。米国の格付け会社が、日本国債格付けをダブルAの「AA」から「AAマイナス」に引き下げたことに、菅首相は「初めて聞いた。そういうこと(格付け問題」に疎いので…」と語ったのだ。
 格付け会社はスタンダード・ブアーズ(SP。日本の急速な少子・高齢化と財政・経済見通しの悪化を指摘し、財政再建が進まないと予測したのだ。民間の格付け会社が予測するのは自由だ。だが、それに、一国の首相が問われたとはいえすぐさま反応するのは常軌を逸している。しかもその反応たるや「私は疎いので」ときたのでは、何おか況やである。

 SPが指摘しているのは、経済指標の懸念だけでない。日本のこのところの政治の不安定さを注視しているのである。無視できない警告と言っていい。
 菅首相は忘れたのであろうか。3年前の米国を震源地とする世界的な金融危機を引き起こしたのは、ウォール街の金融資本だし、格付け会社もその異常さに何のシグナルも出さなかった。同罪である。金融危機が世界経済を窮地に追い込み、いまだにEC諸国は明日をも知れない不安に陥っている。
 首相が昨年の参院選直前に、唐突に消費税増税を言い出した時に強調したのは「ギリシャのような経済破綻になってもいいのか」だった。ギリシャだけでなくEC各国は、来るべき財政危機になすべき手段もなくおののいている。 日本はどうにか危機的状況から脱することはできたが、少子・高齢化と慢性的な財政危機は今後とも重くのし掛かって状態に変わりはない。SPは民主党政権を不安視して、その弱点を突いたのである。今回の格付けは財政危機が懸念されるスペインより下という評価だから、ECの危機を対岸の火事視している場合ではない。

 民間の格付け会社が世界経済を混乱させたことに対する批判が強いことは、今や常識だ。格付け会社のバックに巨大な金融資本がいることも周知の事実である。この悪しき格付け会社が再び動き出した。
 経済を少しでも知っている政治家なら、金融危機を教訓に格付け会社の評価を「民間の一つの予測にすぎない」と肩透かしをくわせるぐらいの態度を見せるのが常識なのだが、首相は「私は疎い」とまともに受け止めてしまった。
 何のことはない。「経済が」「財政が」と言い続けてきた当の本人が、その根本を揺るがすようなSPの評価に乗ってしまったのだから、もはや庇いようがない。経済も財政も、菅首相は施政方針で何を語ろうとも、実質的な理解度がゼロという自ら露呈してしまった。
 首相は、「『疎い』と言ったのは情報がなかったことだ」と言い訳した。この言い訳もまた、お粗末というしかない。世界のマーケットの嘲笑が聞こえるようだ。いずれ「日本売り」が現われる可能性は否定できない。トップ政治家なら、どんな局面でも的確な対応をするものだ。素人にも等しい受け応えをして、後で釈明するなどは許されるものではない。野党各党が首相の「疎い」発言と、その後の釈明を酷評したのは、むしろ当然であろう。

 首相は2次改造に当たって、有言実行内閣を強調した。その前には「仮免許」から「本免許」の政権運営を自負して見せた。ところが現実の政治はどうなのか。外交はどうだったのか。マニフェストの相次ぐ修正、日中、日ロ首脳会談で世界に知られてしまった外交の基本を知らないあの様子は世界に発信され、日本の存在感を著しく傷つけた。
 再三指摘してきたが、菅首相には国家経綸とか政治理念はない。あるのは、場当たり的に言い出す思いつき発言だ。自らの存在感と正当性を示す言い分は、小沢一郎氏を標的にした「政治とカネ」の追及しかない。
 首相は国会の熟議を盛んに強調する。熟議が大切なことは論を俟たない。だが、首相が言う熟議とは何か。ねじれ国会を乗り越えるための方便ではないのか。熟議と言いながら、昨年の臨時国会は早々と店じまいをし、法案成立はかつてなく低かった。きれい事を言い続ける「口先政治」が、国民の政権交代への期待感を著しく損なっている現実に対する反省が全くない。

 冒頭のタイトル「もう君には頼まない」は、日本が高度成長を歩み続けていた頃、財界総理と呼ばれた経団連の石坂泰三会長が、時の水田蔵相に向かって言い放った言葉である。

 民主党政権に今求められるのは、ゼロからの出直ししかない。衆院の圧倒的多数は、今の菅内閣の下では「バブル議席」でしかない。民意を取り込んだ風を装う民主党政権の実体は明確となった。その責任は、何もできない菅首相本人にあることを民主党自身が自覚することしかない。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)