雑記帳

20101231

【迷走政権の1年】(ブログ)

 今日は大晦日。こんなにも早く時が過ぎ、しかも忙しい年があっただろうかと思うほど寅年は駆け足で過ぎ去ろうとしている。
 今夜のテレビが伝える各地の模様は記録的な雪に戸惑う町の様子だ。南の鹿児島は積雪
20aだという。城山の西郷さんの銅像も雪を被り、長崎の平和祈念公園も雪景色だ。日本列島にもようやく冬の訪れというわけなのだが、それにしてもである。

ともあれ、寅年も幕を閉じる時がやって来たが、今年はいつにも増して忘れ難い1年だったように思う。米国発の世界的な金融危機に始まる世界経済の混乱の中で、日本はかろうじて最悪の恐慌は避けることができたが、その傷跡は社会のあらゆるところに紛れ込み、嫌らしいほどに周り溶け込んでいる。歌謡曲風に例えるなら、社会の厳しさを嫌というほど味わいながら、なお人生を生き抜こうとする人の生きざまにも似ている、と言えないだろうか。
 昨年暮れ、あれほど世間の耳目を集めた「派遣村」は、今年は見当たらない。一汁でどうにか体を温めた仕事にありつけない男たちの集団を、去年のように東京都内で見ることはない。だが、同じような境遇から抜け出せない男たちは、少しばかりの温かみをボランティアの支援で支えられていることに変わりはない。御用納めの28日も終日、ハローワークは職を求める人たちで込み合った。東京都心繁華街の雑踏は、新年を迎える準備に忙(せわ)しなき年の暮れの光景なのだが、これがもう一つの経済大国日本の姿なのである。
 東京・上野のアメ横商店街は歩けないほどの混雑・人込みで、対する売り子は声帯が壊れてしまったようなかすれ声で投げ売りにも近い値段で売りさばいていた。一方で、目の前の上野公園に点在するホームレスのたたずまいは、アメ横の喧騒が嘘のようにひっそりとしていた。

大晦日のこの日、九州から北海道までの日本海各地は記録的な降雪に見舞わられた。ひとり首都圏だけが風もない快晴のまま暮れようとしていた。
 わが家に隣り合う運動公園から眺める富士山は、朝から秀麗な姿を誇るようだった。今年最後の見納めとなる富士の姿は、卯年の新年の幸せを約束してくれるのだろうか。

☆      ☆

恒例の今年の漢字は「暑」だった。観測史上でも異例な暑さが私たちを照りつけた。いや、「襲った」と言った方が正しいかもしれない。猛暑を超える「酷暑日」は何日続いただろうか。信じられないような暑さは農作物を傷めた。いつもの3〜4倍にも跳ね上がったレタス、白菜等の値段。一方で、時間降雨が5070_どころか100_を超す局地豪雨。どれ一つをとっても、この夏の気象は異常だった。突風、竜巻の発生も相次ぎ、人家を吹き飛ばした。
 こじつけるわけではないが、「暑」は自然現象だけにとどめて置くべきではない。異論はあろうが、今年の漢字を政治や行政、経済と関連付けて見るのも、一年の締めっ括りのブログにいいのではあるまいか。世の中の出来事を理屈で割り切るだけが能ではない。物事を杓子定規で見ない一例と思ってもらえれば幸いである。その後で、菅政権の至らなさを取り上げる。

異常さは政界も気象も同じ?

1年半前、それこそ歓呼の叫びで迎えられた民主党政権は発足から数カ月で馬脚を現し、鳩山由紀夫首相はわずか8カ月で辞任した。代わって登場した菅直人首相は、市民運動家出身らしくあれもこれもとばかりにバラ色の公約を振り撒いたはいいが、現実の大きな厚い壁にぶち当たって進路を見失い迷走したままだ。
 始末が悪いことに、迷走しながら党内抗争だけは当たり前のように続いている。政権交代少し前に遡るなら、民意を省みることをせずに国民から見放された旧政権の体質とどこが違うのだろうかと首を傾げたくなるような、ありさまだった。
 私は昨年1027日の「エッセー」で「異常気象のせいでもあるまいが、日本の政治も狂いっぱなしだった」と書いた。「世の中が私の言うことを聞かなくなってしまった」と言って当時の鳩山首相が辞め、代わって登場した菅首相は、何を勘∴痰「したのか参院選直前に「消費税引き上げ」を言い出し惨敗した。考えられないような失態である。

夢にも見なかった政権交代を実現したのだから感極まって走り出したらつまづいてしまった。ハイテンションを抑えきれなかったのも「暑」が後押ししたのかもしれない。
 政治家という人種は何かとワル知恵が働く。9月の民主党代表選を小沢前幹事長と争った菅首相が「小沢嫌い」の世論を追い風に代表ポストをモノにした。マスコミの「政治とカネ」キャンペーンが、舌の根も乾かない消費税増税発言の失点をカバーしたのである。
 異常気象が庶民生活を圧迫する中で、今度は外国為替市場で円が急騰した。経済・財政の道案内人がいない菅内閣は為すすべもない。円高不況に苛まれる産業界、打つ手を知らない菅内閣。これを霞が関の官僚が冷ややかな目で眺める構図なのだから、全く政権の体をなしていない。経済混迷を自然現象の「暑」がだめ押ししてしまった。異常気象という大きな土俵の上で、行司がいないまま政治も行政も経済も堂々巡りを繰り返したのである。
 菅首相が「1にも雇用、2にも雇用…」と絶叫しても、肝心の産業界にその余力がないのだから、如何ともし難い。所詮、政府が雇用を叫んでも、その裏打ちがなければ産業界は動かない。永田町と産業界の不信の連鎖が、ちょっとやそっとでは解けないのは当たり前だ。まして、民主党執行部に経済界に通じたパイプを持つ政治家は見当たらない。ないないづくしなのだ。

哲学なき内政、外交

そして、気象とは関係ないが、政策不在の菅内閣の弱みを見透かしたように難問が襲った。例の尖閣諸島海域での中国漁船衝突事件。逮捕された船長はVサインで帰国、内閣は後始末に右往左往したのは誰でも知っている。内政の失敗を外交で挽回しようとしたがAPEC首脳会議では相手にされず、国後島を視察したロ大統領に抗議はしたものの撥ねられて外交無策ぶりを世界に知られてしまった。
 悪いことは続くものだ。北朝鮮の大延坪島砲撃事件で明らかになったのは内閣の危機管理態勢がまるでお粗末だったことである。閣僚の国家公安委員長は騒ぎにも反応せず登庁もしないで議員宿舎にいたままだった。外務省の情報収集力の弱さがまたも明るみなり、インテリジェンスなき日本の姿が露呈してしまった。
 菅内閣の外交無策は何も今に始まったものではない。菅氏は鳩山内閣の副総理として、さらに民主党政権の司令塔となる国家戦略担当という重職に就きながら、菅氏から国家戦略を聞くことはなかった。鳩山氏は「友愛」から始まり、無駄な公共事業やめて「コンクリートから人へ」、加えて普天間問題では「最低でも県外移設」を約束、これが政権交代の起爆力になったのは事実なのだが、鳩山内閣のナンバー2だった菅氏からこれらの問題で政治理念、政策を聞くことはなかった。
 つまり菅氏は首相に就任するまで、これといった政治ビジョンを口にしたことはなかったのである。

 民主党政権は先の臨時国会、そしてその前の通常国会も会期を1日も延ばすことなく閉会した。国会審議を十分尽くした上での閉会ではない。重要法案をいっぱい積み残したままでの閉会だった。通常国会は参院選を目前にしての審議打ち切りだったし、臨時国会も野党攻勢を避けるためだった。内閣提出の法案成立がこの20年来の最低だった。政権発足100日間のハネムーン期間を目をつぶって見ないふりした国民も、その後は容赦はなかった。

地方の反乱は始まった

12月初めの臨時国会閉会後の永田町は何をしていたのか。政権与党の民主党は参院選大敗で生じた衆参両院の多数が異なるねじれ状態の中で、1月の通常国会をどう乗り切るかで頭がいっぱいだ。両院の多数を確保しようと接近した公明党に嫌われ、仕方なく社民党の福島党首と「武器輸出3原則」で取り引きし、「たちあがれ日本」にも連携を申し入れたが功を奏さなかった。
 民主と社民は普天間問題で袂を別っている。普天間飛行場の国外移設を主張する社民が、事情はどうあれ県内移設に戻った民主と縒りを戻すはずはない。それを承知で、首相は福島氏に言い寄ったのである。「たちあがれ」へのラブコールは、北朝鮮の拉致問題を手掛かりに連携しようとした。
 いずれにしても、両党の協力が仮に実ったとしても、ねじれの解消には手が届かない。その一方で菅首相が突き進んだのは小沢氏を国会の政治倫理審査会に呼び出すことだった。政倫審招致問題で民主党内は真っ二つの状態だ。通常国会乗り切りを考えるなら党内融和、協力態勢の確立が優先されなければならないが、党執行部は敢えてそれをしないのは、「反小沢」を掲げることで内閣支持率を回復させ、国会審議を有利に持ち込もうとの狙いがあったからだ。人気低落の菅首相が党代表選で小沢氏にまつわるカネの問題を前面に出して勝利、内閣支持率をV字回復させた過去を思い出し、2匹目のドジョウを狙ったのだろうか。

 政権から転落してから少しも人気が回復しない自民党の現状も救い難いと思うが、民主党執行部が野党の足並みの乱れや自民党の内情を見て党内対立を続けているとすれば、いかにも危うい戦略だとしか言いようがない。このところの地方選挙は民主党の惨敗の連続である。福岡市長選、茨城県議選、そして菅首相のお膝元である西東京市議選の大敗は、有権者の民主党離れがはっきりした証拠である。
 国民は確かに小沢氏のカネの問題の究明を求めている。だが同時に、不況・雇用・福祉・医療・教育など、国民が早急に求める政策は脇に追いやられたままだ。各種世論調査でも、景気、雇用問題に対する関心が群を抜いている事実は、何を意味するのかを考えるべきではないか。いたずらに党内対立を続けている場合ではない。

原点失った仮免政権

 新年早々、民主党の内紛を中心に政局はきな臭い動きを始めるはずだ。
 今、何が求められているのか。民主党のこの1年半は、お世辞にも政権交代の喜びを国民にもたらしていない。ただただ、政権不慣れな迷走だけが目の前で繰り広げられている。首相が気負う「奇兵隊内閣」「有言実効内閣」は、自ら言うように「仮免許」ではできない。仮免で国民が引きずり回されたのではたまらない。

 それと言葉遣いに気をつけてほしい。菅首相はあまりにも言葉が軽すぎる。しかも論拠なしの場当たり発言が多すぎる。有権者の心を甘く見てはいけないことは、市民運動家出身の首相が一番知っているはずなのだが。世襲議員と同列で見られるようでは、元も子もない。その愚は避けなければならないことはいうまでもない。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)