雑記帳

2010年12月11日(twitter関連)

【永田町哀歌】(ブログ)

◎嗚呼、民主党政権

 このところ、新聞を開くたびに菅内閣の迷走が載っている。臨時国会が閉会したと思ったら、開会中にもなかったように内閣、党執行部が動き回っている。新年の通常国会は難問山積なのだから、国会の「ねじれ」を何とかしようと思っての動きは分からないでもないが、それにしても党内の亀裂を大きくするような小沢氏の政倫審出席問題に、執行部なぜこれほど執着するのか理解できない。
 もちろん、「政治とカネ」問題の究明に努力している姿勢を国民に示すと同時に、党の劣勢挽回を狙ったことは当然だが、もうひとつ裏を見ると、党執行部の「アリバイづくり」が見え隠れする。つまり、小沢氏の政倫審出席に最後まで努力したが実らなかったという言い訳ができるようにすることだ。
 国会議決をめぐって党内は上を下をの大騒ぎとなっており、このままでは党分裂も現実となりかねない。検察審査会の強制起訴が決まった小沢氏が、仮に国会の議決があったとしても、呼び出しに応じるとは思えない。
 岡田幹事長も、また幹事長の方針を了承した菅首相も民主党政権の崩壊につながるような党分裂までは想定していない。あくまでも、現状は民主党政権が続くことを前提とした「党内抗争」だということを忘れるべきではない。
 小沢氏も、自身が置かれた状況を考えれば、離党→新党結成とはいかないだろう。要するに、現状は誰も党分裂を想定しない、想定できないと見るべきではないか。

 もともと小沢氏の証人喚問を求める野党にとって、政倫審は問題究明の本筋ではない。しかし、与党の民主党が「敢えて国会議決をしよう」というなら賛成するとの立場だ。だから、同氏の証人喚問は次の攻撃材料として残しておくという計算が働いている。
 自民党にすれば「反対はしないから、どうぞおやりください」と高みの見物を決め込んでいる。民主党執行部が自ら問題究明に乗り出そうというのだから、何もそれに反対する必要はない。それに、この問題が民主党内の「小沢派vs反小沢派」を激化させ始めているのだから、身内の喧嘩をじっくり楽しもうというわけだ。「敵の敵は味方」である。

 冒頭に記した「菅内閣の迷走」を今朝の朝日新聞の記事を参考に紹介すると、まず「これは大変だな」と思うのは、来春の統一地方選の民主党の候補者擁立が目標の半分にとどまっているということだ。
 菅内閣の支持率が激減して新顔が集まらないらしい。政権政党が地方選で候補者難に苦しむなどありえないのだが、最近の内閣の「不始末」「失政」を見れば、誰でも「さもありなん」と思うだろう。
 民主党政権下での地方選は惨敗続きである。来春の統一地方選に向けても、党公認を辞退したり、民主党を見限った予定候補者が各地で現れているというから、旧政権末期の自民党と同じ現象が再現している。
 衆院北海道5区の補選、福岡市長選で浮き彫りになったのは、民主党の選挙態勢の弱体化である。素人選挙といった方がふさわしいお粗末な選対責任者たちが、何もできなかったことははっきりしている。ところが、負け続きの責任が問われたとは、寡聞にして聞かない。
 ただでさえ戦う態勢ができていない民主党が、政権の命運を左右する統一地方選の準備も満足にできない中で党内対立が深刻化させるようでは、党所属の議員はもとより、国民が見放すのは火を見るよりも明らかだ。
 3カ月前、「有言実行内閣」を公言して発足した菅改造内閣の本質を試すように内外の難問題が襲ってきた。首相らがそれらにどう対応したか、ここで振り返ることはしない。ただただ、何もできない首相、内閣であることを内外に知られただけである。

今年を表す漢字は「暑」が選ばれた。そして菅首相の今年の漢字は「行」だった。自ら「修行の身」であることを強調したらしいが、一国の最高指導者たる首相が「修行の身」だとは情けない。修行を積んだ上で国民を導くのが首相の責任ではないのか。
 首相も前首相も「謙(へりくだ)った物言い」が好きなようだが、それを理解する人はどれほどいるか。物事を手際よくさばいて、その上で「謙る」のであればその言葉を受け入れるだろう。ただし、それは外交では通じないことを言っておく。
 首相は10日の北朝鮮拉致被害者家族会との懇談で、朝鮮半島有事の際に被害者救出のための自衛隊出動にも言及した。率直に言って、相当思い切った発言だと思ったが、「それを念頭に検討する」ということらしい。これも、その場だけの「思いつき」発言でないことを祈りたい。(尾形宣夫)