雑記帳

20101128

【盛岡の街】(ブログ)

◎思い出の多い城下町

 1119日から21日まで盛岡市を訪問した。
 17年ぶりの盛岡は新幹線盛岡駅の西側が再開発されて、昔の様子が思い出せないくらいの変わりようだった。瀟洒なビル、高層マンションなどが建ち並んでいたが、盛岡城跡の内丸界隈は昔ながらの落ち着きを保っていた。
 今度の盛岡訪問は、私が関係する日本自治学会の年一回の研究会・総会に出席するためだが、この街は、私が共同通信社盛岡支局長として足掛け3年暮らした思い出深い城下町だから、もう一つの楽しみが待っていた。
 地元新聞の岩手日報社OBらとの再会である。彼らとは、切っても切れない付き合いがあった。正直言って学会の研究会が目的の盛岡訪問なのか、昔の仲間と会うのが目的なのかよく分からない旅だった。
 まぁー、そんな堅苦しい詮索はともかく、この欄では昔の仲間との再会、そして久しぶりの思い出を記す。

 

 東北新幹線「こまち」で東京駅を発ち、盛岡駅に到着したのは19日の午後3時過ぎ。岩手日報社に直行した。総務部長のFさんが待っており、役員応接室で専務のYさんと思い出話に花が咲いた。Yさんと1時間ほど話しをし、5時からの学会の理事会に出席。理事会の議題は、今年の自治学会の活動実績や来年の研究会の報告・説明。それに学会を取り巻く諸問題についての質疑など。
 理事会は1時間ちょっとで終わり、メンバー皆が繁華街に繰り出したが、私は先約があり誘いを断って昔の仲間との約束の店に車を飛ばした。




 開運橋から岩手山を望む。下を流れるのは北上川

市内大通りの繁華街の店に顔をそろえたのは、私の盛岡在任中の岩手日報社の編集局の大幹部諸氏だ。皆はその後社を背負ってたつ役員に就き、社長として同社の最高経営責任者となっているMさん以外は、全員が退職し悠々自適の生活だという。
 互いに長いご無沙汰だった。昔話に始まり私が盛岡を離任した後のこと、盛岡の街の変わりよう、さらには商売柄か、民主党政権のふらふらぶりに話が及ぶなど、座は話が途切れることなく続いた。
 話は尽きない。酒のピッチもいつになく速かった。そしてお決まりの2次会である。「歌おうか、もっと飲もうか」。かなり飲んでいるのだが、どういうわけか、もっと飲めそうな気がするのはいつものこと。これは誰もが同じだ。
 店が替われば話もまた変わる。際限がない。芸の達者なMさんの行きつけの小料理屋でしばらく和んだ後で、皆の話は「歌おう」となった。結論の速さは昔どおり。マイクの奪い合いはなかったが、次々と歌が飛び出す。しんみり歌うかと思えば、極めつけのような演歌も出る………。誠に多士済々である。
 ホテルに戻った時には、時計の針は午前零時を回っていた。口をゆすいでバタンキューだった。

20日は朝の9時から研究会の本番開始。地元関係者らを交えたメインの討議、午後からは4分科会に分かれて個別テーマを論議した。研究会は翌日も続き、すべてを終えたのは午後4時前だった。少しばかりの土産を買い、「こまち」で帰京した。

いつものことだが、旅をした時の朝は早めに目を覚ます。1921日とも快晴に恵まれ、気温も平年を6度も上回る小春日和だった。21日は学会の最終日。早々に朝食を済ませ、近くの盛岡城跡に行った。




 盛岡城跡の石垣。紅葉が名残りをとどめていた。

 紅葉の盛りは過ぎてしまったが、落葉の絨毯を踏みしめながら城内を歩いた。まだ真っ赤な葉をつけたモミジの木が待っていてくれた。盛岡城は美しく積まれた石垣が有名だ。大手門、櫓、天守閣はないが、こじんまりとした20数万石の南部藩の居城は実に味わい深い城跡だ。
 在任中、春ともなると花見はいつもこの城跡で桜の美しさに酔った。いや、酒に酔ったと言った方が正しい。夏は「さんさ踊り」で盛岡の夜に溶け込み、北国の短い夏を慌しく過ごしたものだ。

住まいは中津川沿いの愛宕町のマンションだった。秋口になると、宮城県の石巻に注ぐ北上川から遡上してくるサケが目の前の中津川まで上ってくる。延々200`を超える種の保存の長旅である。
 中津川に行った。清流のせせらぐ川には、産卵を終え、体がぼろぼろになったサケが数え切れないほど沈んでいた。来年もこの川から新しい命が生まれ川を下るのだ。



 サケが遡上する中津川の清流(上の橋から見る。河川敷を歩道が走る)

足早に市内を回って学会の研究会に行った。研究会は夕方の5時過ぎまで延々と続き、「地域主権問題」を様々な視点から論じ合った。研究会には全国から数百人の研究者らが集まった。研究会の模様は、別の機会に報告したい。

話はまたまた脱線する。20日の夜も昔の記者仲間が別の席を用意してくれた。店は在任中に足しげく通った老舗の蕎麦屋「直利庵」である。ここの蕎麦は掛け値なしにうまい。女将が変わらぬ元気な姿で迎え、見送ってくれた。少しばかり胸に迫るものがあった。
 23日の盛岡滞在は天気に恵まれ、小春日和を楽しむことができた。北上川に架かる開運橋から見る、雪を抱いた岩手山の雄姿がすばらしかった。そして、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」で歌われたものとは雰囲気は違うが、北上川と中津川に挟まれて構える盛岡城跡を歩く気分は何とも言い難いものだった。
(尾形宣夫)