雑記帳

2010年11月17日

【東国原英夫知事・考】(ブログ)

◎分をわきまえた行動なぜできぬ

東国原知事には困ったものだ。
 宮崎県知事を辞めたら、次は「衆院選、参院選、大都市の首長選も視野に入ってくる」と語った(16日の会見)という。知事の力の限界を感じたから次の舞台を思い描いているのだろうが、率直に言って「おやめなさい」と言いたい。
 仮に国政を目指して当選したとしても、おそらく大政党の下に身を置くのだろう。無所属と気負っても、知事がいやと言うほど経験した政治の「無力感」を味わうだけだからこれはない。これまでの言い分からすれば、「揉み手ですり寄ってきた」自民党あたりだろうが、そこに籍を置いたとしてもせいぜい「200分の1」の政治家でしかない。「総裁候補」の夢がまだ覚めないかもしれないが、「永田町川」の流れはせせらぎなどではなく、濁流が渦巻いているのをご存知だろうか。
 まぁ、見たところ知事は国政を目指す意欲はあまりないようだから、本命は首都東京都知事選だと見た方が良さそうだ。

ところで、東京都の行政スケールをご存知か。経済規模は欧州の先進主要国を超える。歴代都知事を見ても、政権と遜色ない指導力・影響力を備えた政治家が就いてきた。国政をリードする能力も備えている。そして、霞が関にも負けない「都庁官僚」群が陣取っている。失礼だが、宮崎県とは比べものにならないくらいの「伏魔殿」である。都知事狙いなら先刻承知だと思うが、宮崎県庁の職員をリードするようなわけにはいかない。

知事就任以来、東国原知事は見事に宮崎をPRし、全国の注目を集めた。県庁が観光スポットになるなどは、宮崎を置いてほかにない。県産品の売り上げも右肩上がりだったし、直接・間接の経済効果は目を見張るものがあった。
 さらに、大阪府の橋下知事らとともにこれまでなかった新しい知事像を示してくれたことは、地方分権を引っ張る地方のリーダーとしての存在感を国民に印象付けた。小泉改革以来の地方の格差を告発、怒って見せた言動はマスコミの注目するところとなり、その功績も小さくない。
 であるだけに、なぜ今、新しい政治の場なのか。知事が縷々語った「知事の限界」は痛いほど分かる。現在53歳の知事に隠居生活をしろなどと言っているのではない。かつて、知事は宮崎に骨を埋めるといったが、その意味は「心を埋める」だそうだ。そんな言葉の遊びはどうでもいい。

地方の良さの再発見が求められている今日、県政を引き続き担う努力を見せるのが、県民への責務ではないのか。民主党政権が足元はぐらぐらしているが、民主党の錦の御旗である地域主権の実現を地方の力で実現させる環境ができつつある。そのために、もう一汗二汗をかくべきで、それをせずして宮崎を離れるのは、いかにもまずい。
 人間、「分をわきまえる」ことが大切だ。そして、「分を知る」ことも同じく重要だと思う。身の丈を知り行動することをなぜ諦めたのか、どうしても理解できないのが宮崎県民の思いではないだろうか。(尾形宣夫)