政治と行政

【沖縄知事選】

◎想定される危機的状況

 さて、沖縄県民がどんな選択をするのか。現職の仲井真弘多知事か、あるいは宜野湾市の伊波洋一前市長なのか、選挙戦は事実上両氏による一騎打ちだ。
 焦点は普天間飛行場の移設問題であることに変わりはない。仲井真氏は移設先を「北海道から鹿児島のどこか」と言い、伊波氏は持論の「グアム移転」だ。ともに「県外」だから両候補の主張が対立しているわけではないので分かりにくいが、今や普天間の県外移設は沖縄の世論となってしまった。選挙戦術としても「県外移設」を言うのは当然で、条件付きであろうとも「県内移設」などと言おうものなら、世論の袋ただきに遭い、選挙など戦えるものではない。まして、勝利などは望むべくもない。

金縛りの菅内閣
 知事選が意味するのは3点。一つは「日米両国vs沖縄」、二つ目が「動けない政府」、三つ目が「沖縄の『離反』の可能性」である。いずれも過去の知事選ではなかった要素である。
 第一点は冒頭に記したように、両候補が日米両政府に突きつけた「県外移設」は、単なる知事選の域をはるかに越えた政治性を鮮明にしている。いずれの候補が当選するにしても、普天間問題は日米外交のアキレス腱であることが明確となる。
 その場合、普天間飛行場の移設はどうなるのか。現時点で予測するとすれば、@日米合意の見直しと微調整A普天間飛行場の現状維持B在日米軍再編計画の全面見直し――である。いずれの場合でも、日米同盟関係に深刻な亀裂が生ずることは避けられない。

 第二点は、政権党であるにもかかわらず独自候補を立てられなかった菅内閣が、選挙戦に全力を挙げて取り組むことができないことを意味する。
 在日米軍の核となる沖縄米軍の機能維持は、日本の安全保障として欠かせないだけでない。極東・アジアを越えた米国の世界戦略の拠点として位置づけられている。それ故、基地問題をめぐる保革の全面対決となった過去の知事選で、政府は大掛かりな経済振興策を前面に打ち出して保守系候補を支援した。本土復帰後の沖縄に投じられた財政支援は約10兆円に及ぶ。それもこれも、日本政府にとって沖縄米軍基地は理屈を超えた存在だったからだ。
 この当たり前だった政府挙げての選挙支援ができなくなったのが、今回の知事選である。
 本土復帰以来継続されてきた沖縄振興計画は、間もなく期限切れとなり新たな長期計画の準備が進んでいる。かつての自民政権のもとで、振興計画を逆手に取った基地機能維持の政治的圧力が沖縄県政の基地政策を押しつぶしたことがあった。

 「最低でも県外移設」と言って沖縄県民をその気にさせながら、土壇場になって手のひらを返したように県内移設に戻った民主党政権に、旧政権のような剛腕を振るうことはできないし、その能力もない。
 知事選の応援についても民主党執行部は揺れにゆれ、最終的に県選出の国会議員の独自行動を認めた。選挙という政治の戦いの蓄積がない民主党の力量は、今年の参院選惨敗で明らかになった。ムード先行で実績が伴わない民主党に、日本の安全保障、日米同盟関係に直結する沖縄の知事選をどう戦うかの知恵は全くない。
 ことし1月、普天間飛行場の移設先に内定している名護市長選に敗れ、同市議選でも移設反対が多数を占めた。もはや沖縄の世論に真正面から向き合おうとする意識が民主党にはない。それが表れたのが、ついこの前上京した名護市長や同市議代表との面会拒否である。

 沖縄は東京から遠く離れた、米軍基地の集中する南の島という認識でしかなかった。菅内閣にはもはや、沖縄知事選に立ち会う知恵も余力もないと言っていい。選挙結果がヒタヒタと近づいてくるその時を、何もできずにただ待っているだけだ。

沖縄離反の可能性も
 三番目が最も憂うべき事態だろう。
 民主党政権に対する沖縄県民の反発は不信に変わった。ある意味では、自公政権下の基地問題での感情以上と言えるかもしれない。
 繰り返しになるが、昨年の衆院選の大勝利で基地問題にようやく突破口が開いたと県民は信じた。政党として沖縄では新参の民主党が全選挙区を制したのは、マニフェストの「子ども手当」の効果が大きかったのは事実だ。同時に、県民の間に従来の保守、革新の領域を越えた新しい政治勢力を求める気持ちが芽生えていたことも忘れてはならない。その新鮮さを求める投票行動が投影したことも大勝利に結びついた。

 「憧れから反発へ」――が沖縄の復帰運動を加速させた。もちろん米軍政下末期の住民意識を現在に当てはめることはできないが、基地問題での「憧れ」「期待」が挫折した結果生じた国への「反発」「不信」は、沖縄の忘れ難い歴史の繰り返しとして県民の心に映しだされた現象なのだろう。
 1995年秋の米兵による少女暴行事件をきっかけに、国と沖縄県の役割を争点に最高裁まで法廷闘争が持ち込まれた。いわゆる、日本政府が米軍に基地用地を提供するための手続きに絡む「代理署名訴訟」である。
 この訴訟をめぐって沖縄は国と全面対決した。最終的に県の敗訴となったが、この問題を契機に「基地問題」と「経済問題」が再度顕在化し、当時の大田昌秀知事が基地問題で強硬姿勢を取ったため沖縄振興策は全面的にストップし、国と県の関係が断絶した。
 この状態を元に戻したのは、大田革新県政に代わる保守の稲嶺恵一知事の登場である。米軍基地縮小という基地問題の原点を守りながら、経済振興を優先させたわけだが、当時は県民が「経済」という現実的な選択をしたことが背景にあった。

沖縄の知事選の歩みをたどると、基地の過重な負担の軽減と経済振興の約束を条件にしてきた保守陣営と、米軍基地の整理・縮小、とりわけ海兵隊基地の撤去をいの一番に主張してきた革新陣営の対決が、本土復帰以来続いてきた戦いの構図だった。だが、この図式が今回は見事に崩れた。
 菅内閣にもはや打つ手はない。振興策といっても、期限切れになる長期振興計画を事務的に進めるしか道はない。少なくとも、計画に知事選を念頭に置いた政治的配慮を盛り込む考えは、現時点では考えられない。
 本来なら民主党は政権党として、堂々と独自候補を擁立するはずだったができなかった。そのせいで自分の居場所を見つけられず、肩身の狭い思いをしているのが党沖縄県連の面々である。党本部が県選出国会議員の自主的な応援を黙認したが、県連の幹部らの腹の中は煮え繰り返っているようだ。独り蚊帳の外に置かれた県連幹部の嘆き節が聞こえてくる。

覚悟必要、重い代償
 もし伊波候補が現職を破るようだと、「日米合意を踏まえる」菅内閣が内政、外交面でも窮地に追い込まれるのは確実だ。
 となると、沖縄県の「離反」は現実のものとなるだろう。具体的には県内での反基地運動の高まりは避けられない。場合によっては保守と革新が一緒になった普天間飛行場の県外移設要求行動となって表れるかもしれない。軍政下における、命と人権をかけた「島ぐるみ闘争」の再来さえ予想される。
 経済的な脆弱をいかに克服するかが、復帰以来の沖縄の懸案だった。そのために欠かせなの政府の財政支援だったが、沖縄の経済的な自立がいまだにできていない。そこが沖縄のアキレス腱であり、国に対する弱みだった。この意識の上での弱点が沖縄に現状追認を余儀なくさせた。ところが、この弱みが感じられなくなったのが、この1年の基地問題の変質であり、特徴である。

 選挙結果が逆に、仲井真候補の勝利となった場合でも、基地問題での予断は禁物だ。仲井真氏が日米合意について、条件付き受け入れに転ずることはないとは断定はできないが、菅首相らが沖縄県の譲歩を期待しても、代わりに内閣が背負わなければならない代償は予想を超える大きさであることを覚悟しなければならないだろう。
 代償とは何か。県内に代わる普天間の移設先をどう選ぶのか。さらには日米同盟関係の危機的状況、県民の猛反発の中での普天間飛行場の居座り、米兵と沖縄県民の衝突などが想定される。
 沖縄の本土復帰を決めた日米首脳会談の翌年の197012月、米兵の交通事故をきっかけとして「コザ暴動」が起きた。米兵がらみの事件が反米・反基地闘争に大きく燃え上がる一触即発の可能性は高い。
 県民の怒りのマグマがどんな形で表れるか予想はできない。が、「コザ暴動」と似たような事件再現の危険性は大いにある。そのとき政治に何ができるのか。極めて憂うべき現実である。

101113日)=尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」

尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」