【熊野を旅する】

◎ありのままの自然が生気を戻す

 今月3日から5日まで三重県熊野地方をのんびり回った。
 取材の旅だが、
熊野市を訪れたのは初めてだ。少し手前の尾鷲市は数年前に行き、その時、市職員らの案内で熊野古道・伊勢路のポイントの一つである馬越峠の石畳を少しばかり歩いた。天をつくように伸びる尾鷲ヒノキの根本を通る石畳は、苔色に染まって青みを帯びた様々な形の平らな石が、絵画的な造形美を描いていた。大勢の先人たちは熊野三山に通じるこの「祈りの道」を、列をなして歩いた。その様子は「蟻の熊野詣」と称されたそうだ。



熊野市の「七里御浜」は、その昔、熊野三山に詣でる熊野古道・伊勢路にある砂浜を走る道だった。毎年8月、この海で大規模な花火大会が行われる。(10年11月4日)

 今回の取材旅行の目的は二つあった。
 一つは熊野市の中心から北東にある二木島湾で毎年行われてきた「二木島祭」の模様を聞くことと、もう一つは熊野・尾鷲地域で「人と自然の関わり」をテーマに次々と新しい企画を考え出して地域の売り出しに活躍している女性と会うことだった。
 二木島祭は神武天皇が東征の途中で海難に遭い、二木島の漁民が助けたという故事を記念して始まった歴史・伝統の祭りである。この祭りが過疎で人手が足りなくなり、今年が最後の祭りになりそうと言われていた。
 祭りのハイライトは、色とりどりの飾りをつけた2隻の関舟による競漕。現代風に例えるならボートレースだ。地元の若衆や子どもたちが舟に乗り込んで互いに速さと技を競う。本番までには、祭りの仕切り役となる捷人(しょうど)が務めなければならない神事、さらに自らの身を清める禊といった一連の儀式を経た上で祭りに臨むので、祭りというよりも地元にとっては昔から伝わるかけがえのない伝統行事であり、神事と呼ぶほうがふさわしいかもしれない。

 今年の捷人を務めた井本勝行さんの話だと、舟の漕ぎ手不足や子どもが担う踊り子とガズを探すのがむずかしくなった。もともとは、氏子から選んでいたが過疎と少子化で、それも容易でなくなったという。もし次の祭りが休止となると、操舟に必要な技もすたれてしまい、祭りを再開しようと思っても技の継承ができていないと、なかなかむずかしい行事になると言っている。

 小さな漁村に残る歴史と伝統の祭りがなくなるとどうなるか。集落の人たちにとってだけでなく、地域の文化の灯が消えることになり、お年寄りにとっては心の支えがなくなると井本さんは嘆いた。

 「人と自然の関わり」をキーワードにした活動を続ける内山裕紀子さんの発想は独特だ。
 旅行の形は従来の団体旅行がなくなり、家族、仲間同士といった小グループの旅行が主流になった。旗を持ったガイドが引率する光景が見られなくなったわけではないが、個々の興味・関心を満足させるやり方が当たり前になった。
 内山さんが案内する世代は中高年層が多いが、人数は多くてもせいぜい7〜8人だ。皆が説明を十分聞ける集団である。熊野・尾鷲地域は三重県内でも過疎が進み活性化が求められる典型的な中山間地だ。ところが、そんな地域を訪ねるグループが近年増えている。熊野古道が世界自然遺産に登録されたためだが、皆が皆、世界遺産に引きつけられて来るだけではない。
 熊野・尾鷲の山々が醸しだす独特の雰囲気は、心身の疲れを癒すといっただけではない、日常生活では経験できないような神秘的で宗教的な何かを感じさせてくれる。
 
内山さんのガイドは、そのような人たちに潜在する欲求を上手に引き出し感動の世界に導いてくれる。ほんの一例を挙げると、彼女が主宰する「体験企画」は、いずれ消滅しそうな「限界集落」を案内するに当たっても、巷間言われているような暗いイメージを持ち出さない。そこに住む高齢者たちの偽らざる日常を紹介して中山間地の意外な「一面」を見せるようにしている。
 民間の旅行社には真似のできないエコツアーに参加希望者が増えてきたのも、現代に欠けた「何か」を熊野・尾鷲が与えてくれるからなのかもしれない。

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熊野古道の「浜街道」が走る「七里御浜」を国道42号の車寄せから眺めた。目の前には熊野灘があくまでも青く広がり、右を遠望すると和歌山県新宮辺りが見えるような気がする。
 昼食をとったイタリアンレストランの女性経営者は、「ここは日本の地中海です」と言った。6年前、隣の尾鷲市から店を移した。
 高台から見渡す七里御浜は、確かに青い海と空を誇るように広がり、過疎対策が叫ばれる熊野を忘れさせる美しさがいっぱいだった。
自然が造った奇岩、その後ろには深山が折り重なるように波打っている。早朝や夕方には、湧き出るであろう霞が俗界をやさしく包み込むのだろう。
 人工的な構造物が並ぶ観光地が多い。それと比べれば、熊野は「何もない」のが魅力なのではないだろうか。「何もない熊野」は、訪ねる者をありのままの姿で迎え、そして送り出す。心、体の疲れを優しく包み込み、新しい「何か」をそれぞれの人に与えてくれるのかもしれない。

1011月7日)=尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」