【突出する官房長官の何故?】

◎首相に任せておけないのかも

 仙谷官房長官の過激な発言を聞いていると、菅内閣の素顔が何となく浮かび上がってくる。公務員制度改革を批判した現職官僚の言動を「(彼の)将来を傷つけると思う」と言ったり、尖閣諸島での漁船衝突事件に関する電話での会話を暴露されて「いいかげんな人のいいかげんな発言」と反撃している。また、新聞記事の正否を問われて「私は1年生議員のとき、そういう質問だけはしないよう教えられた」と切り返した。

 「恫喝(どうかつ)」などと野党に言われるほど、仙谷氏は何故、こんなに強気な発言をするのか。
 首相は衆参両院のねじれが心配で、野党とも国会審議をじっくりやろうと「熟議」を呼び掛けている。その首相をいの一番に支える女房役の官房長官が、首相の意に反して(?)そこまで言うか―と誰でも思うはずだ。
 国会論議をテレビやインターネットの中継で見ていると、野党議員が首相の答弁を求めているのに、首相に代わってというより、自ら進み出て答える場面が目立つ。だから野党は「首相に聞いている!」と収まらない。それでも仙谷氏は、知らぬ素振りで答弁席で凄みをきかせながら答えるのである。
 こんな国会審議の場面が連日のように続くものだから、野党からは「仙谷内閣」とか、「菅防長官」などと言われたりする。菅防長官とは、よく言ったものだ。15日の参院予算委員会で質問を終えた自民党の山本一太参院政審会長が記者会見で言った。官房長官が首相を庇うような答弁の多さを皮肉ったものだ。「新聞記事の正否」も山本氏の質問だった。

 「新聞報道にこう書かれているが、事実か」といった質問は確かに多い。新聞ネタ以外に政府を追及する材料はないのか。嫌になるくらい新聞ネタが使われる。ニュース現場にいた1人として、この国会の現状を喜んでいいのかどうか。国会議員ならば自分で掘り起こした材料を駆使して政府を追及してもらいたいものである。
 かつての「55年体制」の頃は、当時の社会党議員の「爆弾質問」で国会が紛糾することは珍しくなかった。質問する方も、答える側にも緊張感があった。それが、今はほとんどない。政務調査費は、何のために支給されるのか、よくよく考えてほしい。

熟議を言うわりには国会論議で首相の存在感が感じられないのは、仙谷氏の出番が多いからだ。だから「仙谷内閣」などと揶揄されるのである。首相は以前「一にも雇用、二にも雇用、三にも雇用」と言った。政治哲学である「最小不幸社会」のためにも成長が、雇用が大切だというわけだ。それ故、法人税減税を言い出したし、さらに設備投資や研究開発関連の税制上の優遇措置にも踏み込んでいる。
 だが今、成長のための政策減税を言う時期として適当なのか。財源のあても定かではないし、党内にも首を傾げる声が少なくない。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への参加を検討すると表明したことに、農産物自由化問題との絡みで地方議員を中心に異論が多い。政権内の調整不足が原因だ。先の参院選直前に、消費税引き上げを言明した時も首相の独走で、結果として選挙は大敗した。

菅首相は党内調整を飛び越えて、華々しく政策をぶち上げる癖があるようだ。それも、首相が考える「政治主導」なのかもしれない。自公政権の体たらくに愛想をつかして政権交代を実現させた国民の期待に応えるのは、そうした首相でないはずだ。
 気のせいか、国会審議を見ていると、首相に野党党首時代の覇気が全く感じられない。つくり笑いが目立つ。番記者のぶら下がり取材でも言葉に勢いがない。事務方が用意したペーパーを握り締めている姿も自信がなさそうだ。

 企業の景況感は一段と悪くなった。首相が声を大にして言った雇用問題は、年末を前に予断を許さない状況となっている。熟議で難問山積の国会を乗り切れるのか。今国会は自信なさげの首相と、強気の官房長官の対照的な表情が二重映しになっている。

20101022日)=尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」