20101018

【戦略なき政治】(ブログ)

◎首相の外交感覚が問われる

 民主党政権の内政のキーワードを幾つか挙げると、鳩山前内閣の「友愛」「地域主権」「コンクリートから人へ」、そして菅内閣になったら「財政」「雇用」を軸にした経済先行型の方針を打ち出している。さらに外交に目を転ずると、「日米基軸」、日中間の「戦略的互恵関係」がよく知られるところだ。
 内政に関しては本ホームページの「政治と行政」等で再三記してきたので本稿では触れないが、国会の論議を聞いていると―尖閣諸島での漁船衝突事件はあるが―「戦略的互恵関係」とい言葉が質問、答弁に頻繁に出てくる。
 そもそも、この言葉は外務省の説明によると、日中両国がアジアや世界に貢献する中で、お互い共通利益を拡大して両国の関係を発展させることだという。そのために両国は政治的相互信頼を増進すると同時に、人的・文化的交流を促進して国民の友好関係を確立しようと共同声明を出している。

 ところが、漁船衝突事件以来、この戦略的互恵関係が揺らぎだし、この数日来の中国各地での反日デモの広がりは予断を許さないまでになっている。
 菅首相は事件発生時から、表向きは冷静に対応するよう努めているようだが、「戦略的互恵関係」の捉え方に両国間の違いがあるようだ。
 端的に言って菅首相が言うそれは、事件が両国関係にひびが入らないよう慎重に対処しようという、ある意味では友好関係の維持を優先させる、極めて日本的な考え方である。
 一方の中国はどうかと言えば、ストレートに国益を優先させる。江沢民時代の「愛国教育」もあって、国内の民族主義はかなりの広がりが見られるようだ。中国政府首脳らの対日強硬発言は、国民の反日感情が政府に向かうことを懸念してのものだと言われているが、経済的格差が大きい内陸部でのデモに注目したい。
 「戦略的互恵関係」は日中両国が今後の互いの役割を誓い合ったものであることは間違いないが、外交とは所詮、自国の利益を優先させる駆け引きであって、情緒的な外交などはあり得ない。

菅首相は今月初めの所信表明で「歴史の分水嶺における外交」として、「日米同盟」と「日中関係」を挙げた。日米、日中関係が日本外交の要であることはこれまでどおりだが、菅内閣には外交戦略がない。日米関係における沖縄基地問題、とりわけ喫緊の普天間問題での迷走は、「日米同盟はわが国外交・安全保障の基軸」(所信表明)ゆえに、沖縄県民がこぞって反発する県内移設に舞い戻った。
 政権交代以来、民主党政権は「戦略」という言葉の響きに酔いしれたようだ。「国家戦略」「地域主権戦略会議」などだ。だが、本格的な戦略を打ち立てるには、それを支える専門家らによる強力な政策提言組織が必要だ。内閣を側面から支援する経済界首脳らによる「○○会」といった集まりが、これまでの政権には幾つもあった。そういった、組織が民主党政権には見当たらない。
 民主党政権が言う政治主導自体は間違っていない。むしろ正しい。だが、中身のない前のめり政治主導は社会を混乱させるだけで得るものは少ない。菅内閣が「国家戦略」の位置づけで混乱したのは、皮肉にも「戦略」がなかったことの表れである。
 それと、民主党政権には政治の指南役が見当たらない。何人かの経済ブレーンはいるが、菅内閣に今必要なのは政治指南の存在である。前政権が国民に見放されたのは、旧態依然たる体質もさることながら、政治の緊張感を忘れた世襲議員の甘えだった。派閥領袖の縛りから離れたのはいいが、政治を教えてくれる「先生」からも遠ざかってしまった。

国民がテレビの映像で見てしまった首脳会談での菅首相の定まらない目線と作り笑いは、一筋縄ではいかない首脳外交ではあり得ない光景だった。民主党政権はとっくに「見習い運転」を終えたはずなのに、現状を見る限り内政も外交も心もとない歩みを続けている。
 
官僚の優秀な頭脳と豊富な経験を取り込み、その上で指針を示すのが政治主導であることを肝に銘じなければならない。(尾形宣夫)