201010月16日

【ツイッター】(ブログ)

◎やってみるもんだ

 今月初め、興味半分でtwitterを始めた。切り出しは3日の「尖閣諸島の衝突事件で沖縄のウミンチューが心配」だった。今日までに77回つぶやいた。何をつぶやいたかは、フォローしてもらえば分かるが、大した内容ではない。何となく気になることを発信しただけ。
 つぶやき始めて思うことは、意外に真剣なtwitterが多いことだ。一番多いのは民主党の小沢氏の「強制起訴」問題である。かなり激しいやり取りが交わされている。「小沢擁護」氏は、正体不明の検察審査会をやり玉に上げ、返す刀で大手マスコミをも切り捨てている。
 当たり前かもしれないが、それと分かる報道界幹部・記者からの反論は皆無である。民放テレビの司会者やコメンテイターの「正義の味方」ぶりは鼻につくが、率直に言って「小沢辞めろ」コールの連呼を毎日のように聞かされると、いい加減にしろという気にもなる。それと、コメンテイターのベテラン記者は「解説」はするが、「何故?、ではどうすべきか。あるべきか」がない。
 小沢問題を例に挙げれば、「国民に十分説明をすべき」と判を押したように言うが、検察審査会のあり方、中身に入り込むコメントが見当たらない。小沢氏だけが議論の土俵に立たされたままだ。

 話を替える。twitterが話題になりだしたころ、国会議員が自慢げに自分の「つぶやき」をPRした。野党に転落して傷心の自民党・谷垣総裁もテレながら「私も始めました」。中堅若手政治家、特にテレビ劇場に登場する彼らにとってtwitterは格好の自己宣伝媒体である。
 そんな政治家を見て思ったのは「つぶやく暇があったら、政治家としてもっと肝心な仕事をやれ」だった。1例を挙げると、「これから○○委員会に出席します」「委員会が始まりました」といった具合だ。そんなことは、誰も期待していない。
 情報公開の時代だから、公人たる政治家が自分の公務を伝えるのはいいが、国民がもっとも知りたいのは「おはようございます」から始まって、国会審議の始まり、終わり告げることだけではない。国会を終えてからの、いわゆる「アフター5」である。

 仕事の関係で、毎日朝早い時間から我がパソコンは活動が始まる。twitterを始めてからは、これをフォローすることも加わった。恥ずかしながら、ネットでさまざまな情報が飛び交っていることに、新聞、テレビでは見えない世論の多さに気づかされた。
 今の世の中、誰もが情報の渦に巻き込まれている。明らかな情報過多で、それが逆に情報を信用させなくしている面もある。人それぞれ、知りたい情報は違う。情報の押し付けは嫌われる。情報に取り込まれないようにしないといけない。
 
twitterにこんな投稿があった。「大手マスコミの世論調査が世論≠作っている」と。確かに痛い点を突いている。
 読者の意見を載せる新聞の「声」欄に、心に響く投書がある。新聞社の担当者が数多く寄せられる「声」を整理して載せるからバランスが取れているが、twitterは怒涛のごとく集まってくる「つぶやき」が、生のまま画面に表れる。独りよがりだって構わない。何でもありだが、最低限のルールはあるようだ。
 私などはtwitterの常用者ではないから本数はごく限られているが、URLに載せるまでもない軽い話題をつぶやくことにしている。私のtwitterhttp://twitter.com/nobuo_ogata(尾形宣夫)