2010108

【小沢報道・考】(ブログ)

◎マスコミ不信を増幅させるな

 久しぶりに家の傍の公園をひと回り朝の散歩をした。朝日がまぶしくふりそそいでいた。アニマルズの「朝日のあたる家」ではないが、小高い山に並ぶ家々は朝日に包まれ、何とも言えない「温かさ」が感じられる光景だった。でも今日は昼過ぎから天気が崩れるという。
 いつもの習慣で新聞受けから朝刊を取り出し、ひととおり目を通した。ノーベル化学賞受賞の続報が途絶え、紙面は再び国会の動きに移った。スイッチを入れたテレビが映し出したのは、例によって「小沢問題」。民放テレビの司会者や常連のコメンテイターたちは、いつもの調子で小沢攻撃である。

 「辞める気はない」「会見時間が短すぎる」だのと、言ってることが変わりばえがしない。何のことはない。司会者もコメンテイターも局アナもそろって「正義」を論じている。朝刊各紙はおおむね、昨日の小沢会見を批判的に扱っている。
 わずか10分程度の会見では記者団も聞きたいことも聞けないことは事実だが、記者たちが聞きたいことは小沢氏が「離党」するか、あるいは徹底的に裁判闘争を言うかに絞られている。どんな応えが出ても、ニュースとしては大きいし、仮に小沢氏が強気な言葉を使いでもしたら、待ってましたとばかり飛びついただろう。
 さすがに歴戦の政治家だ。言葉を慎重に使い、巷間指摘され始まった検察審査会の実体への疑問にも冷静に応じていた。
 顔が見えない審査員に対する疑問は大きい。インターネットに載る検察審査委批判は広がる一方だ。小沢氏の弁護団には「法的対応」も辞さないという声があるという。
 強制起訴になった小沢氏だ。国会での説明にも限界があることは確かだが、同氏の説明が十分でないことは確かなのだから堂々とわが身の潔白を語り尽くすしかない。それをしないと、いつまでも「説明不足」で追いかけられる。

 メディアの小沢批判にそれなりの理由があるのは分かるが、同時に検察審査会を聖域視するのも国民の知りたい気持ちを裏切るものだ。小沢氏の裁判が始まるのは半年後ぐらいになりそうだが、もし小沢氏が言うような「潔白」の判断が下されたときに、メディアはどう対応するのか。
 「池に落ちた犬」を打つ愚を繰り返してはならない。小沢氏は池に落ちたわけではないし、有り体に言えば、寄ってたかっての小沢批判は、逆に小沢擁護の逆バネとなって世論を巻き起こすことになるかもしれない。無罪になった厚労官僚の村木さんをやり玉に挙げた郵便不正事件でのマスコミ対応の問題点は、各社の「検証」でも明らかだ。
 「松本サリン事件」でもマスコミは取り返しのつかない汚点を残している。自己弁護の検証は、読者、視聴者をしらけさせるし、大体、俎上に上げられた人の心の傷が消えてなくなるわけではない。
 マスコミに対する批判は、最近ではマスコミ不信に増幅した。報道は慎重であらねばならないのは当然である。「群盲象をなでる」の諺どおりにならないよう、皆が気を締め直さないといけない。(尾形)