2010101

【国政転出狙い】(ブログ)

◎東国原流の自作自演

 東国原英夫知事が来年一月の知事選に再選出馬しない意向を正式に表明した。こんなことがいずれあろうとは思っていたが、たった一期で辞める理由がどうにも分からない。特異なタレントぶりを発揮しさまざまな話題を提供してくれた知事にしては、幕の引き方が上手とは言い難い。
 東国原知事の腰の軽さと、勘どころを押さえた行動は、官僚OBが多い知事の中でも、ひと際目立った。分かりにくい行政に県民の関心を引き付けた功績は大きい。伝統的な知事像も変えた。
 細かいことを挙げたらきりがない。が、誰もが注目したのは自ら宮崎産品のトップセールスを買って出て大型店舗に「宮崎コーナー」を設けさせたり、道路特定財源の維持を叫んで霞が関に官僚や当時野党だった民主党と真正面からやり合った度胸だ。社会資本の整備が遅れた宮崎を何とかしようとの熱意からだったと思う。
 そんな東国原知事が何故一期四年で知事を辞めようというのだろう。知事は知事選再出馬しない理由を、知事の力の限界と国の統治システムを変えないと現状の閉塞感は是正できない、と語ったという。
 しかし、それはおかしい。今、宮崎県民や国民は「地域主権」に向けて歩みだしている。その力となるのが地方自治体であり、地域住民ではないのか。地方にいたのでは前進できないと決め付けるのは、東国原知事自身が地方の力と潜在力を見限ったことの表れだ。

 知事はかねてより「国政」に強い関心を示していた。先の衆院選では明らかに「自民党からの出馬」を模索していたし、政治活動の場を東京に置きたいそぶりが見え見えだったことは否定できない。
 東国原氏は四年前の知事選に挑戦する際「宮崎をどげんかせんといかん」と訴えた。県民はその言葉を頼もしく思い信じた。知事の長期政権は腐敗を生むが、一期で出来ることは改革の道筋を描き、歩みだすだけだ。一期ではあまりにも短すぎる。実を膨らませ、花を咲かせるのは二期からである。口蹄疫問題の嵐は去ったが、県の農畜産業の再建はこれからが本番だ。
 中央政界が甘くないことは、有力組織を出身母体とする議員が数の中に埋もれている事実を見るまでもない。
 「再出馬しない」理由は、あまりにも大風呂敷すぎないか。もう少し目線を低くした庶民感覚で県民に訴えるべきだと思う。
 東国原知事にとってこの四年は長期ドラマの終わりなのだろう。ドラマの続きは中央でということになるのかもしれないが、ドラマを作るのは有権者である。自作自演のドラマは「地方自治」にはない。
(尾形宣夫)