2010年9月28日

【菅流政治?】(ブログ)

大喜利「菅内閣」

 政治はきれいごとではない、現実であることを示したのが民主党政権だ。「友愛」「コンクリートから人へ」と鳩山前首相は盛んに語ったが、その現実は群馬県上野原町の八ツ場ダムと沖縄県の普天間飛行場の結論に表れている。
 八ツ場ダムの建設現場は、私たちがさんざん見せられた例の2本の「十字架」はつながって高架橋となったが、その橋は道路とつながっていない。普天間は「最低でも県外移設」が、元の日米合意の名護市・辺野古岬に造ろうとなった。
 落語に例えれば、普天間問題などはさしずめ、噺(移転先)の展開が目まぐるしく変わったが、最終的に出発点に戻った「回り落ち」である。ただし、落語で聞かせるような中身ではない。国民が喜ぶような「落ち」のない、実につまらない噺となってしまった。
 仮に民放テレビの人気番組「笑点」の「大喜利」で取り上げたら、話し上手な噺家たちのことだ。面白おかしく政治の迷走を語り、客は問題の深刻さを知りながら大喜びするかもしれない。

 そして、尖閣諸島の漁船衝突事件である。
 民主党政権の担当能力に疑問符をつけたこの2件の問題に加え、より深刻なのがこの漁船衝突事件だ。尖閣諸島がわが国の固有の領土であることは国際的にも明らかなのだが、検察の「総合的判断」で漁船船長を釈放してから、問題が一段と深刻になった。「総合的判断」をめぐっては、政治介入があったのなかったのと大騒ぎになった。1年間に使われた「ことば」で軽妙に世相を衝く言葉として年末に顕彰される流行語大賞に選ばれるかもしれない。
 漁船衝突事件の裏話をすれば、民主党には菅、小沢両氏による代表選、内閣改造、首相の国連総会出席の準備等で、事件の重大さが分かっていながらそれどころではなかった。だから、事件が今後の日中間に及ぼすであろう見通しを欠いたまま場当たり的な対応をしてしまったことに、そもそもの間違いがあった。
 一見すると逮捕・勾留は機敏に行われたように見えるが、「逮捕」を命じた前原国交相は外相に転じ、当時外相だった岡田氏は民主党幹事長に就いた。両氏の引継ぎが十分なされなかったことも、事件対応のまずさにつながった。

 事は主権に関わる問題である。臨時国会を前に開かれた国会の休会審議で早くも野党攻勢が始まった。臨時国会の与野党攻防は相当熱くなるはず。
 最近の首相は「イラ菅」らしい。野党時代の菅氏の政府攻撃は鋭かった。答弁する自公政権の閣僚たちは防戦一方だった。その菅氏はこのところ、「メモ」を握り締めてぶら下がり記者の質問に無表情に答えている。メモの棒読みと言った方がいいような毎日だ。
 テレビのへたなドラマより、このところの「永田町番組」がおもしろいのは、政治の体たらくがテレビや夕刊紙、週刊誌の格好のネタになっていることでも分かる。
 こんな政治を笑って見ていてはいけないのだが、政治が一向に進化しない原因は何なのかをよく考えなければならない。マニフェスト選挙は当たり前になったが、マニフェスト以前の政治家の質が問われていることを、国民は政治に突き付けるべきだ。 (尾形)