【菅首相再選】

◎慣らし運転は終わった

 民主党代表選は大方の予想通り、菅首相の再選で決着した。首相の言葉ではないが、菅内閣はこれから本格的な政権運営に当たることになる。1年前の鳩山首相の辞任、そして今年6月初めの菅内閣の登場、7月の参院選大敗―民主党政権にとってこの1年は、激浪に見舞われ操舵不能な状態で大海原をさまよい続けた、思い出したくもない悪夢にも似ていた。
 菅首相は勝利の味をかみ締める余裕などなかったに違いない。1年に首相が3人も代わる醜態は避けられたが、もはや民主党政権の「慣らし運転」は許されない。内政、外交の難問に直ちに立ち向かわなければならない。その緊張感が、首相の表情から読み取れた。

首相にとって、今月末にも始まる臨時国会は一日一日が正念場とならざるを得ない。96兆円と、100兆円にも手が届きそうなまで異常に膨らんだ来年度予算の概算要求、そして予算関連法案の審議は、経済の現状を見るまでもなく与野党攻防の最大のヤマになることは避けられない。その前に円高で急激に景気が萎み出した状況に対応する大型補正予算編成が間違いなく浮上するはずだ。財源をどう手当するか分からない現状で、腰の据わった経済対策を打ち出すのは難しい。
 臨時国会が始まれば、民主党に先駆けて新体制を作った自民党の攻勢は本格化するだろう。もともと、政策的にも足元が弱いことを見抜いている野党が仕掛けてくるであろう攻撃は、菅内閣が「国民の視点で真摯に話し合えば理解してもらえる」と政策面で協力を求めたとしても、野党の本音は内閣を早期解散に追い込むことにあるのだから、そう簡単には論議の土俵に上がってくるとは思えない。
 となると、菅首相にいの一番で求められるのは「内閣の統一性」である。政府、与党内の議論をしっかりと行い、仮にもこれまでのような「さまざまな見解」が飛び出すようなことなどあってはならない。野党に協力を求めるにしても与党内の揺るがない基盤を作らなければ説得力もない。その上で、中長期的に日本の将来像をどう描くかも示さなければならない。
 具体的に挙げれば、来年度予算編成とその関連法案や待ったなしの円高対策だけではない。内政と外交が複雑に絡み合う普天間問題も、11月の沖縄知事選を控えて様子見は許されない。12日の名護市議選は、移設に真っ向から反対する稲嶺市長派の議員が多数を占めた。沖縄県の民意は、普天間の県内移設の日米合意に保革を超えてほとんどが反対だ。かといって、菅内閣が妙案を持っているわけではない。
 尖閣諸島の領有権を巡るこの数日来の雰囲気は、中国側の「国内事情」はあるにしても、日中関係の難しさを浮き彫りにした。

普天間問題について言うなら、国と沖縄県の溝は大きくなる一方だ。仲井真弘多知事が正式に出馬を表明、県内移設に全面的に反対する伊波洋一宜野湾市長との一騎打ちが決まった。沖縄知事選は日米同盟の取り扱いが常に焦点となる。政府はこれまで、大掛かりな経済振興策を用意することで基地問題の争点をすり替えてきた。しかし、民主党政権が発足してからの普天間問題の迷走は、過去の知事選の図式をそのまま当てはめることはできない。利益誘導型の選挙戦はできなくなったのである。菅首相が強がっても、普天間問題を日米合意どおり進めることはできなくなったと見た方がいい。
 決定的なのは、菅内閣に沖縄を説得する政治力を持った政治家がいないということに尽きる。自ら沖縄に飛び込んで汗を流す政治家もいない。沖縄の政府に対する不信感は、生半可なことで解けることはない。仮に知事選で現職が負けるような事態になったら、国と沖縄県の対立は決定的となる。普天間問題を前に進めようとするなら、国は特別立法など強権発動をするしかない。もっとも、菅首相にそうした政治決断ができるはずはない。

代表選の様子を見ていて誰もが気になったのは、再選された菅首相に将来像を語る言葉がなかったことだ。現状を踏まえて、内外に山積する問題にどう対応するかメッセージがほとんどなかった。個別の当面する問題に真剣に取り組むのは当たり前だ。同時に、この国をどうするのか、したいのかを国民に語り掛けることをしなかった。将来像を示さずして、国を語ることはできない。
 首相は消費税も封印した。雇用が大事、雇用が大事と言う割りに、では具体的にどうするのかが全くない。法人税が高く、しかも円高で企業は外国に出ていかざるを得ないほど事態は深刻だが、それを食い止めるために法人税を減税すると言う。そうすれば、国内の雇用も守られるという理屈だが、財源をどうするかには触れていない。
 民主党政権の「挙党態勢」は、形の上ではできそうだが、首相の言葉でいただけないのが「民主議員412人で内閣をつくる」だ。いかにも首相らしい言い回しで民主的に聞こえるが、それで政治主導ができるのか、司令塔はどうなるのかがさっぱり分からない。先にも触れたが、民主党政権はもはや慣らし運転をしていていい時期をとっくに過ぎた。現実政治に取り組まなければならない。
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 代表選を振り返ると、ポイント数は菅氏が721、小沢氏は491で菅氏の大勝だったが、得票数で見ると小沢氏は国会議員でほぼ互角だったし、党員・サポーターでは4割を獲得している。ポイント数だけで勝ち負けの軍配を上げて済むほど単純ではない。
 代表選を終え、菅氏と小沢氏は壇上でにこやかに握手をしたが、これとて挙党態勢を保証するものではない。小沢氏が得た国会議員の200票は、政局の場面次第で大きな不確定要因となることは十分ありうる。
 小沢氏は代表選後の仲間内の集まりで「一兵卒として民主党政権を発展させるため頑張っていきたい」と挨拶した。「一兵卒」と言った言葉の意味は、菅改造内閣や党役員には加わらないとの意思表示と見ることができる。検察審査会は土地取引事件で、月末にも最終結論を出す予定だ。首相がそんな小沢氏に、内閣・党の有力ポストを用意するとは考えられない。

 今回の代表選を左右したのは、ほかならぬ党員・サポーターの投票行動だった。マスコミ各社も挙げているが、クリーンな政治への期待、いわゆる「政治とカネ」の問題と、発足してまだ3カ月しかたっていない菅政権に「もう少しやらせてみれば」という“同情”論が大きく作用した。そして、対する小沢氏は土壇場で立候補を決め戦いに臨んだため組織力を十分生かし切れなかった。
 国民が持っていたのは、3カ月前、普天間問題で行き詰まった鳩山首相ともども辞任した小沢氏が「なぜ立候補か」という、極めて素朴な疑問である。小沢氏の剛腕が、皮肉にも菅首相の「ひ弱さ」を「強み」にしてしまった。マスコミの世論調査が小沢氏の弱点を国民の中に浸透させたのは間違いない。それが、党員・サポーターのポイント数に明確に表れている。小沢派が政治力と実行力を説いても、党員・サポーターの間に広まった小沢観を逆転させることはできなかった。世論調査、マスコミ論調が菅首相再選につながったことは間違いない。
 だが、菅首相は積極的支持で再選されたとは言い難い。首相はポイント数で圧勝したが、投票率は67%にとどまった。投票行動を詳細に分析してみないと分からないが、党員・サポーターに「民主党離れ」はなかったのか事後調査が必要だ。
 消極的支持だけとも言えないが、支持基盤の弱さは状況次第で不支持に回る。民主党政権は内閣、党幹部を一新して再スタートする。永田町でも霞が関でも求心力のある政治決断ができるかどうかで、再スタートする菅内閣に評価が下されるだろう。

(10年9月16日)=尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」