【断固たる措置】

◎首相は本気で立ち向かうのか

 菅首相がようやく為替介入≠ノ言及した。
 急激な円高の影響をもろに受け業績悪化が懸念される東京・大田区の中小企業を視察後に談話を発表、この中で「必要があれば断固たる措置をとる」と語った。だが、断固たる措置は「為替介入か」と記者団に問われた首相は、自信なさげに「ニヤニヤ」するだけだ。円高に危機感を表したのはいいが、問題は本気で事に臨もうとしているのかである。そして、「では具体的に何をするのか」ということだ。
 わが国の輸出型の産業構造を見るまでもなく、円高が景気に与える衝撃は大きい。特に、輸出企業を支える中小企業に対するダメージは、計りしれない。首相が視察した大田区は、わが国の産業を支える高度な技術を持った小規模企業の集積地である。その中小企業地帯の実態を見聞すれば、円高がいかに深刻なものか実感できたはずだ。
 円高に対する週末のタイミングを見ての首相談話だったが、疑問に思うのは「なぜ談話なのか」ということだ。ペーパーなど読まないで、首相の感ずるところを自らの言葉で正直に話した方が、もっと真剣さが伝わろうというものだ。事務方が気を利かせて準備したのだろうが、仮にペーパーがあったとしても、それを読まないで同じことを話すことはできたはずだ。なぜ、それができなかったのか。
 ペーパーを読み上げたこと、そして談話の真意を問われて堂々と物が言えない首相が頼りなく見える。トップリーダーたるものは、時に果断な姿勢を明確にすることを求められている。それができなくては、「断固たる措置」も色あせてしまう。円高に苦しむ人たちはがっかりしただろうし、市場(マーケット)関係者も考えを変えることはないだろう。

先日の本欄「菅流政治の限界」でも触れたが、首相や野田財務相の「口先介入」に金融市場はほとんど反応を示さなかった。財政・金融当局が、いたずらに為替水準に言及するのは好ましいことではない。いや、すべきではない。だが、このところの円高の動きは、明らかに見て見ぬふりしてはならない不穏な動きだった。発足間もない菅内閣が金融市場の「有事」に即応する態勢ができていないことは分かっていたが、財務、日銀当局がなぜ機動的な動きをしなかったか、ということも気にしないわけにはいかない。
 考えられるのは、菅首相が言う「政治主導」だ。
 民主党政権になってから霞が関の各府省は政務三役と呼ばれる政治家が行政を差配してきた。かつてのように官僚に任せず、政治が事の善しあしを判断するというものだが、詳細を知り尽くした官僚を外して政務三役ですべてを仕切ろうとするのは無理がある。

 外国為替の動きのような急を要することに機敏に対応するのは、にわか勉強の政治家には無理だ。今回の円高に対する無策は、明らかに政治主導のボロが表れたと言っていい。官僚の胸の内を推し量れば、「どうぞ政治主導でやってください」だろう。官僚が無理にしゃしゃり出て、あれこれ言うこともない。そんな本音が見えるようだ。

「政治主導」という言葉は、官僚にはできない国民の目線で政策が実現されるような感じを持たせ、新しい政治の流れができるかのような雰囲気を醸しだす。政治主導は、何もかもを政治がとりしきることではない。
 行政は、複雑な仕組みの中で方向付けを見つけなければならない難しさがある。そこには専門知識が欠かせないし、政策のバランス、タイミングが必要になる。それらを政治家がやろうとすると、自ら電卓をたたいて統計をチェックするようなこともしなければならなくなる。政権交代があってから、現にそんな光景がテレビで映し出されたことがある。

 つまり、政治主導は専門知識は官僚に任せ、政策の中身に味付けをしながら、その優先順位と果断な実行を政治家が担うことである。

菅首相の口先介入に話を戻す。
 首相は「断固たる措置」に続けて、日銀に「機動的な金融政策の実施を期待する」と追加緩和策を促した。日銀の独立性をうたった日銀法を首相が知らないはずはない。にもかかわらず、日銀に政策緩和を求めたのは政府に手持ちの対策がないからで、円高対策を日銀に丸投げしたわけだ。日銀は長年ほとんどゼロ金利状態を続けており、金融緩和はもうネタ切れだ。考えられるのは日銀が金融機関に貸し出す「新型オペ」の規模や期間を拡充するなどの量的緩和だが、それもできるかどうかは週明けの首相と白川日銀総裁の会談を見ないとわからない。


 民主党代表選は目前だ。首相が為替介入に本腰を入れるそぶりを見せたのは、代表選に向けてやる気を見せるパフォーマンスであることは間違いない。だが、このパフォーマンスにも市場はあまり反応しなかった。内容が「想定内」だったからだ。
 代表選を前に、民主党内の混乱があまりにも大きすぎる。表舞台から去ったはずの役者がいつの間にか舞台に上がって、数カ月前の出来事がなかったかのような派手な立ち居振る舞いを見せつけられると、政権交代の意義も原点もどこかにいってしまう。
 首相も1年生議員に激励されて気合が入ったようだが、菅内閣は経済政策、外交、安全保障、地域主権問題などで独自色を何も示していない。首相は新人議員の激励に、代表選でこの国のあり方を国民に問うと気負って見せたが、首相にどんな国家像があるのかいまだに分からない。
 小沢前幹事長の代表選出馬に批判は多いが、いずれ決着をしなければならない両者の関係なのだから、報道も核心を外さずに選挙選を見守ってもらいたい。「政策論争を」と言いながら、代表選をおもしろおかしく取り上げることだけは謹んでもらいたい。政治家同様、マスコミも資質が問われている現実を忘れてはならない。

10828日)=尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」