【守屋防衛次官の告発】B

▽「地元の了解」とは

普天間問題で米政府が重視するのは「地元の了解」を得ることだ。日本側に再三それを求めている。
 だが、米側が言う「地元の理解」とは何を意味するのか。「地元の了解」には、いくつかのパターンがある。一つは県や市町村の行政面での「了解」である。

 行政が求めるのは地域住民への影響を最小限に抑えることだ。具体的には、集落上空の飛行の禁止や訓練時間の厳守など住民生活への直接的な影響をなくすことだ。それと、「迷惑施設」である基地を受け入れる以上、地域に経済的メリット(インフラ整備を含めた活性化策=事業)がなければならない。地元経済界の主眼もそこにある。
 仮に辺野古地区に代替基地ができるとしても、集落上空の飛行をどう避けるのか。そのために代替基地をどこに建設すればいいのか。基地利用の基本合意がありながら、米軍機の飛行ルートや訓練時間帯が状況次第で日本側に通告がないまま変更されることは珍しくない。仮に代替基地の基本的な利用の仕方が決まったとしても、それで地元の了解が得られるとは限らない。

もう一つは、受け入れ賛成派が多数となって、移転基地の実現が見込める状況ができること。
 普天間問題の流れを見ると、事の是非はともかくとして、移設を経済振興と結び付ける受け止め方が経済界を中心にある。前項とも関係するが、経済界が求めるのは国の代替基地建設や活性化事業に自らも参画できる仕組みのことでだる。
 守屋氏によると、米側が20058月に日本側に提示した「地元が受け入れる」とした案は、辺野古沖の浅瀬に代替基地を造る「名護ライト案」と呼ばれるものだ。わずか2カ月前、ラムズフェルド米国防長官が大野防衛庁長官に提案した陸上案(キャンプ・シュワブ陸上案、嘉手納弾薬庫、読谷補助飛行場)は撤回された。

だが、この「名護ライト案」は沖縄の民間建設業者が作ったものだと守屋氏は明かした。2000年の沖縄サミットを成功に導いた「軍民共用空港」の1工法を基に、民間空港部分を削除して軍用部分を抜き取った案で、米政府は「沖縄はこれなら賛成と言っている」と語ったという。米側にとって、「地元の了解」は地元の建設業者が作成したものを丸呑みにしたにすぎない、と守屋氏は切り捨てている。
 米側の言い分どおりなら、「地元の了解」とは米側にとって着工の正当性を担保する手段に過ぎず、着工できるかどうか日本側の対応次第というわけだ。万が一、反対運動に遭って着工不能となれば、その責任は日本側にあるということになりかねない。地元の意向を汲んだ形を取りながら、日本政府にゲタを預けているのである。
 米側の本音は、移設が不調に終わった場合は「普天間飛行場はそのまま」ということになる。交渉が失敗しようが、米側にとっては痛くも痒くもない。

米側が言う「名護ライト案」は、20027月、国と沖縄県が合意した2500bの滑走路を備えた埋め立て方式の「辺野古沖計画」が反対住民の抵抗で、ボーリング調査すらできなかった。軍民共用の同計画の規模を縮小しただけで、建設の可能性はゼロに近い。「これなら実現できる」という言葉も、沖縄の地元業者の言い分を鵜呑みにしたに過ぎない。事業参加のメリットだけを求めた地元業者の作図を、米・ペンダゴンが採用した意図に守屋氏は疑問を呈している。
 
最も懸念される埋め立てによる環境破壊の懸念を払拭できず、米側は最終的にしぶしぶながら日本側の説得を受け入れた。防衛庁はこの時、小泉首相の了承を得てシュワブ陸上案の滑走路を辺野古崎にずらし、同時に大浦湾側を埋め立てるL字型の「宿営地案をまとめている。

このL字型案に、離着陸を別にした滑走路をV字型」2本とする再修正案ができ、これを名護市長受け入れることで20064月に基本合意。1年後、日米両政府の合意にこぎつけ普天間移設問題は大きなヤマを越えた。だが、この「V字型」について名護市沖縄県がさらに滑走路を海上に移すことを要求、問題決着は先送り。さらに、昨年夏の衆院選で普天間基地の県外移設を公約した民主党が政権に就いたが、新政権は県外移設を断念したことで、普天間問題はさらに混迷の度を深めている。(つづく)

(10年8月19日 尾形宣夫)