【菅流政治の限界】

◎首相に危機意識はあるのか

 「打つ手がない」と言うより、どうしていいのか「分からない」のが真実だろう。
 菅内閣がこのところの円高をどうしようとしているのか全く見えてこない。止まりそうもない円高を放置しているわけではあるまい。かといって、内閣をあげて対策を講ずるそぶりもない。ひたすら、民主党の代表選を目前に党内多数派工作の動きだけが伝わってくるだけである。首相は、傍目にも代表選で頭がいっぱいといったふうに見えてくる。
 「最小不幸社会」を目指すと気負った首相だったが、今は国会のねじれをどう乗り越えるかで悩んでいるところに円高が襲ったというのが今の図式である。
 本来、通貨はその国の経済の強さを表すものだが、この数日来の円高は経済力の強さどころか、先日発表されたGDPは景気の先行きを不安に思わせる悪い数値だった。円高が景気の足を引っ張るのは確実で、折しも政府は来年度予算編成の作業を本格化させたばかりだ。2年続けて税収を上回る国債を発行しないと予算編成ができない現実を、菅内閣はどう乗り越えようとしているのか。その道筋は全く見えてこない。

円高は政府の無策をあざ笑うように進んでいる。
 外為市場の動きに「異変」が表れたのは今月中旬からだ。
12日に1j=84円台をつけ財務省と日銀に緊張が走ったが、野田財務相の慎重な発言は、市場に何のメッセージも送らなかった。若干の戻りはあったが、中旬からの動きは一本調子の円高だ。それが、この24日には83円台半ばと15年ぶりの円高水準を記録した。
 なぜ、こうも円高が進むのか。
 
23日に菅首相は重い腰を上げて白川日銀総裁と会談した。ところがこの会談はわずか15分の電話会談だった。金融市場が注視した会談が、事の緊迫感とは裏腹に短時間の、それもどんな事情があったか分からないが、電話でのやり取りでは、マーケットが首相に「やる気がない」と見るのは当然だ。マーケット関係者をあきれさせるだけだ。しかも、会談の中身が「これからも協力して市場を見守っていこう」では救いがない。
 円高に産業界は悲鳴を上げている。円高はそれだけ輸出価格に響いて、手取りが少なくなる。1jで1円上がると200300億円の輸出額が減る巨大企業もある。金融市場は、政府に早急な円高対策を求めていた。円の急伸は政府が外為市場に積極的に介入してくれるよう求める、いわゆる「催促相場」だったのである。

その催促に菅内閣は全く無策だった。首相や財務相の発言は、少しも円高の現況に危機感を持った言葉になっていない。かろうじて、メディアが2人の発言を好意的に「深読み」し、政府の「介入」意思を発信してくれているだけだ。
 この危機的な状況に菅内閣は何をしようとしているのか。外為市場の混乱は株式市場を直撃している。連日、今年の最安値を更新している。投資家は呆然と見守るしかない。
 首相も財務相もようやくマーケットの不穏な動きを注視すると言い出した。いわゆる「口先介入」と言われるものだが、マーケットの不穏な動きに「待った」をかける最初の「警告」が口先介入だ。これに続いて「実弾」を使った為替介入に進むのだが、政府にはその力がない。
 仮に円高に歯止めをかけようと「円売り・ドル買い」介入をしても、世界の金融市場を相手に日本単独だけでは、ほとんど効果が期待できない。というより、為替トレーダーに相手にされない。
 為替介入に効き目が表れるのは、当局の決意が具体的な形となって示される時だ。先進各国が一緒に行動する協調介入があればこそである。今の欧米の経済状況から見て、欧米先進国の協調介入はまず無理だろう。

首相と財務相の口先介入がむなしく消えたのは、政府の無策と世界的な金融市場の不安定があるからだ。だからと言ってこの状態を放置すれば、日本はリーマン・ショック時にも似た経済混乱に見舞われるかもしれない。
 菅内閣にこの危機的な状況を乗り越える力があるのか。前首相の事の後先を考えない言葉に国民が戸惑わされたことは記憶に新しいが、前首相との違いを印象付けようと気負ってスタートした菅内閣も、ねじれ国会の本番を前に足元が定まらない。首相のリーダーシップにも黄信号が灯っている。

 弱みが明らかになった菅内閣に野党は、ここぞとばかりに容赦なく攻め込むだろう。頭を低くしても野党は甘くない。首相は新人議員を集めて「3年後の衆参同日選挙」を公言したが、首相の取って置きの解散権を党代表選の多数派工作の材料とするなど、首相の政権感覚にはあきれてしまう。
 市民運動出身の首相が「数」で悩む姿を見ていると、トップリーダーとしての器量を考えざるを得ない。混迷政治の皮肉が、またも国民の前に姿を現したのである。

10825日)=尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」