「政治主導と分権改革」

政治主導は然るべき志と知見を持ち、行政についての体験・経験があってなされるもの


伊藤忠商事前相談役(元・地方分権改革推進委員会委員長) 丹羽宇一郎

聞き手……尾形宣夫「地域政策」編集長

【略歴】

丹羽宇一郎(にわ・ういちろう)

1939(昭和14)年、名古屋市生まれ。
62年名古屋大学法学部卒、同年伊藤忠商事株式会社入社。
飼料原料部長、業務部長を経て92年取締役就任。94年常務、96年専務、97年取締役副社長、98年同社長、2004年同会長、2010年同相談役。同年6月相談役退任、中国大使発令(17日付)。
伊藤忠商事入社後、一貫して食料畑を歩む。「社長任期6年」の公約どおり社長を退く。
政府系の役職として内閣府の経済財政諮問会議議員(06年10月〜08年10月)、地方分権改革推進委員会委員長(07年4月〜10年3月)。
「新・ニッポン開国論」(日経BP出版)「若者のための仕事論」(朝日新聞出版)など多数。

▽行政のプロをうまく使うかは政治家の度量

尾形 それにしても、鳩山政権に対する国民の不信感は大きかった。政権に不慣れなどと済まされるものではありませんでした。沖縄の普天間問題に表れたように、いかにも首相の言葉が軽かった。

丹羽 民主党自身も自分たちの言葉の重みがはっきりと腹に落ちてなかったように思います。総理は野党時代の代表のように発言され、各閣僚もいろいろな発言を各々の部署で行った。
 総理の言葉は特に外交においては慎重でなければいけません。普天間もなぜ期限を切ったのか。橋本内閣以来の長い間にわたる議論で出た結論がある一方で、新政権は公表できるようなものができていないのに、わずか数カ月で決着させるなどと言う必要はなかった。もう少し時間をかけ、関係者もできるだけ努力して早急に方向を出したいという発言で良かったのではないかと思います。

尾形政権交代の高揚感から、沖縄に対しても連立与党に対してもサービスが多すぎたようです。

丹羽 そう言うよりも、国の代表としての言葉の重みというものをもう少し考えることが必要だったのではないでしょうか。これは民主党にとってもいい経験になったはずです。各大臣も今回のことから学ぶところがあると思います。

尾形 自公政権を倒したとはいえ、政権運営の基本を欠いていた。

丹羽 経験がないと、いろいろ失敗も重ねるとは思いますが、重要なところで失敗されると、国の盛衰に関わってきます。言葉というものの重みをリーダーたる者は自覚をする必要があります。

尾形 昔は、経済は一流、政治は二流、三流だと言われたことがありました。

丹羽 今は官僚が一流、経済が二流、政治は三流と言われています。政治がある限り、官僚はなくならない。政治は、行政を伴いますのである意味で官僚の仕事です。どんな立派な目的の政策でも官僚が悪いと政策も悪くなる。官僚の志が高ければ、政策は良くなる。官僚の果たす役割は大きいのです。
 だからこそ国の命運を握っている官僚には、哲学、信念、道徳が必要とされるのです。そして、その官僚を毛嫌いしているだけでは国は決して良くなりません。
 鳩山政権の最大の間違いは、官僚を敵に回し、官僚を毛嫌いして、自分たちですべてやろうとしたことではないでしょうか。何千年という歴史の中で、官僚を使わずして国の政治ができた試しはありません。行政のプロをいかにうまく使うか、これは政治家の度量であり、政治家の仕事です。
 昔、中国では清朝の時代までは、「志大夫」という、科挙(注…清朝末期まで行われた高級国家公務員資格の認定試験制度)の試験を通った人を中心にした仕組みが出来上がっていて、これが中国の政治を下支えしてきました。企業で言うと、政治家が取締役会であって、執行役員という執行部隊が官僚。官僚の役割がいかに重要かを考えなければいけません。

▽志と知見のない「成り権」はバカにされる

尾形 しかし、永田町の政治家にとって「政治主導」は錦の御旗のようです。

丹羽 誰が言い始めたか分かりませんが、少し考え方が違うのではないでしょうか。政治主導は大事ですが、政治主導だからと言って政治家がすべてをやるということではありません。政治主導というのは、少なくとも然るべき志を持ち、然るべき知見を持って、あるいは行政についての体験なり経験があって、主導するならいいでしょうが、志も知見もないまま方針だけを決めてもしょうがありません。

尾形 言葉が独り歩きしているようです。

丹羽 政治主導は、政治家が言ったことに官僚が従うことと思われていますが、この前提を忘れてはいけません。前提がないまま政治主導をやったら、国を滅ぼすことになりかねません。志や知見のない人が政治主導だと言い始めても、官僚はバカにしてしまいます。それは、私の言葉で言えば「成り金」と一緒で、急に権力を得て「成り権」的にはしゃいでいるように見えるからです。

尾形 普天間問題が、まさしくそうでした。

丹羽 沖縄返還の時にアメリカ軍の専用基地がなぜ沖縄に4分の3も集中したのか。その経緯をよく勉強すれば、本土から米軍専用基地を沖縄に持って行ったという、本土側の「我欲」のようなものがあったことが分かります。沖縄はその犠牲になった。そういう歴史も踏まえて沖縄問題をどう解決するかということですから、いろんな勉強をして政治主導を進めないと、国を間違った方向に導いてしまいます。だから、プロの行政官の意見を聞いて、政策を決めるべきです。

尾形 古い話になりますが、旧社会党代議士から埼玉県知事になった畑和さん(1910―96年)も、地方自治体に出向する官僚を毛嫌いするのではなく上手に使い、その能力を引き出すことだと言っていました。

丹羽 私が地方分権改革推進委員会の仕事をしてきて思ったのは、官僚は法律違反だけは絶対にしない、ということです。だから物事を進める時は法律をきちっと整えることが必要ということです。そして、その法律を作るときにも、官僚のプロとしての知見なり技術なりを活用しなければいけない。官僚の悪い点だけをあげつらうのではなく、褒めて使っていかなければならない。それが地方分権改革を進める際の政治の役割です。
 ところが、それをやらないで、地方分権改革も一から仕切り直し、名前も「地域主権」に変えてやっている。しかし、地方分権改革はこれまでも十数年議論してきましたし、我々委員会の四次にわたる勧告も出来上がっているのです。それを自民党がやったことは全部駄目と言うのでは、壮大な無駄といわざるを得ません。何をやらなければいけないかは、既に勧告に書いてあるのですからそれを活用すべきでしょう。
 もちろん、自らの権限・権益を自分から差し出すような官僚はいません。だから、政治家がきちんと決断をして、これをやりなさいとはっきり言わないと官僚は動かないのです。

▽「5つの原則」で分権改革推進すべき

尾形 それが政治決断だと。

丹羽 法律で定めれば、彼らは絶対にやります。ところが、法律で定めないで、「君たち、どう思うか」と言ったら、皆は「ノー」です。我々が2年半にわたって分権改革を進めてきましたが、みんな「ノー」という回答だった。それなのに、また同じように一から聞いたら、「ノー」と言うに決まっています。
 「無駄の削減」と言いながら、実に壮大な無駄をやっているのです。我々委員会の100回もかけた論議をもう一回やり直して、膨大なおカネと時間を使おうとしている。そこを反省すべきです。我々委員会は自民党のために分権改革の勧告をしたわけではありません。分権委員会は第三者が集まって、過去のことも十分勉強し、官僚とも戦って勧告を行いました。当時の鳩山総理も、原口総務大臣も「勧告を尊重してやります」とおっしゃった。ところが、実際にはやっていない。

 また、自民党以来歴代の総理に「監視委員会を作るべきだ」と申し上げてきましたが、そのような動きもありません。今まで多くの勧告が骨抜きにされてきたことを考えれば、実行を監視していかなくてはいけない。しかし官僚を毛嫌いし、官僚は駄目だと言いながら、最後になると官僚に丸投げして彼らの言うことを聞こうとするように見えます。
 そんなことをやっていては何も変わりません。官僚というのは現状のままがベストだと考えます。すなわち、官僚は「慣性の法則」に従うのですそれはどこの国の官僚も同じです。だから政治がそこに入って、国民の意思とか第三者の意見を聞いて決断し、法律化しない限り、官僚に省令や条例、附則とかで骨抜きにされてしまいます。
 だから、決められたことを本当に実行したかどうか、監視委員会を作って、3年ぐらいかけて監視すべきです。地方にできることは地方に、それ以外のことは国がやるという補完性と住民にもっとも身近な自治体が行政をすべきという近接性の2大原則に基づいて我々は議論を行ってきました。すなわち、防衛、外交、通信とか地方にできないことだけを国がやり、それ以外のことは全部地方にやらせなさいということです。

 透明度を高め、情報を開示し、説明責任を明確にする、それがガバナンスの3原則です。この3原則に補完性と近接性という地域主権改革の2原則を加えた5つの原則をベースにして地方分権改革を進めなさいと言ってきました。実行に移すにあたり官僚の慣性の法則から言って、決して自分からは変えようとしないから、きちんと監視していく必要があるということです。
 事業仕分けも予算編成のプロセスを透明化したという点ではいい面もたくさんありますが、実際の行政をやるのは全部官僚です。自らの権限をできるだけ残そうとしますから、どれだけ実行されたかをきちんと見ていかないと、「何のための事業仕分けだったのか」ということになりかねません。

▽借金、人口減で国が立ち行かなくなる

尾形 政治家にそのくらい忍耐強いエネルギーがあればいいのですが。

丹羽 民主党はこの4年間は衆議院の絶対多数を持っています。地方分権はマニフェストの中の大きなアイテムですから、十分実行は可能なはずです。それなのにこれまでの我々の議論、あるいは分権改革の始まりから言えば10年間かけてやってきた議論を反故にして、またゼロから見直しています。
 もうかつての裕福な時代の日本と違って、今の日本は大借金国と人口減少社会です。これからを考えたら、地方分権改革を推進しないと、国が立ち行かなくなることははっきりしています。国にこんなにカネがないだけでなく、地方も借金で動きが取れません。そんな中で、一体どうやって地方を再生するのか。国の補助金を一括交付金化しようしてもそれをやるだけのカネがない。そうすると地方には自立してもらわないといけない。分権はそのための方策なのです。

それなのに、また目先を変えて、「道州制」と言うわけです。地方と国の役割をどうするかという議論もまたやり直すというようなところで、新たに道州制なんてどうやってやるのでしょうか。そんな絵空事をまた始めるのではなく、まずやれることをやる、それが今、地方分権にとって必要なことです。

尾形 5月に退任間際の日本経団連の御手洗会長と会った原口総務相が、道州制にかなり具体的に言及しました。道州制に距離を置いた民主党の担当閣僚が、事もあろうに道州制に積極的な経済界に自ら約束を買って出るようなことを言うのは解せません。

丹羽 勉強不足なのではないでしょうか。国としてのエネルギーの壮大な無駄といわざるを得ません。

尾形 壮大な無駄と言えば、「普天間」もそうです。ほとんど元の日米合意に戻ってしまいました。

丹羽 私の知り合いで、アメリカの民主党政権に親しく、影響力もある学者や政界の人たちは、日米同盟をどうするかという根本的な話だったら、短期間では決着できない、国民的な議論を巻き起こすしかないと言っていました。

▽権益保持のバカバカしい話

尾形 以前、西尾勝さん(東京市政調査会理事長)と話をしていたら、西尾さんは第二次分権改革の論議が「多極分散型」と言っておられました。本筋から離れた論議が多すぎるというわけです。言うならば、分権論議は「一極集中」でなければならないと思います。

丹羽 地方分権改革推進委員会の中では軸ははっきりしていました。近接性と補完性の2つの原則です。「多極分散型」と言われるけれども、実はそれが狙いであって、要はボトムアップです。今までの分権改革は中央から地方に下ろす形でしたが、今度は地方に権限をできるだけ渡して、地方主導で中央を崩して行くということです。
 だから、出先機関の全面廃止を我々は打ち出しました。30万人いる国家公務員のうち中央は10万人でいい、20万人は地方に移すべきとの案もありましたが、そうも行かないだろうと、結局10万人を仕分けしたのです。そして、先ず行うべきとして出てきたのが3万5千人削減の数値目標です。

地方が行政の主軸になってきたら、中央省庁の官僚でいるよりも、地方の公務員でいた方が住民のためになる時代が来るはずです。私が地方を回った時に、地方の若い公務員は移管しても「全部できる」と言うのですが、トップは「できません」という。例えば、沖縄がそうでした。問題はカネです。トップは「先にカネをください、そうしたらやります」と考える一方で、若い公務員は、「できます。任せてください」と考える。
 なぜ若手がそこまで自信があるかというと、中央から地方へ来た官僚は、仲介役のようなもので、彼ら自身は実際の仕事をやっていないのを見ているからです。みんなアウトソーシングです。そういう仕事を見ているから、「我々でできます」と言っているんです。
 ところが、中央省庁の官僚は地方では絶対にできないと言う。なぜかと言うと、例えば、公園の木も県と国の管理では育ち方が違うと国交省の局長が真顔で言うんです。

尾形 バカバカしい話です。

丹羽 彼らは組織を守るんです。ちょっとでも権限を取られたら、霞が関のムラへ帰れない。省庁へ帰った時に批判され組織が乱れるからです。どんなに恥をかこうが、絶対「イエス」とは言えない。国と地方の能力を比べて、どちらがいい、悪いといった問題ではないのです。
 分権委員会の勧告を鳩山総理にお渡しした際に、「あとは実行だ」ということを申し上げました。人を移したらカネも地方に移さなければダメだと念押しもしました。仕事を移して人も移したら、中央省庁は半分で済む。中央省庁が半分になったら、国会議員も半分にできるでしょう。そうやって行政改革も成り立っていくのです。先程申し上げたボトムアップとはそういうことです。
 何十年も北から南までさまざまな自治体に一律一括の政策を適用する55年体制でやってきたのですが、これを壊すのが自公政権を倒した新政権の役割だとも申し上げました。農業も小売業も土着性の強いものは地方住民に近いところで考えるべきです。だから、アメリカでは今、地域でできた農産物は地域で使おうという「コミュニティー・サポーティング・アグリカルチャー」がある。

尾形 地産地消みたいなものですか。

丹羽 それから「コミュニティー・バンク」という地域に集まったカネは地域に落とそうという考え方もあります。そうしないと、公共投資を受注するのは中央にある大手建設会社で、労働者も県外からどんどん入ってくる。大掛かりな公共事業をやっても、地元にはわずかしかカネは落ちず、地元の経済に役に立たないという構造がいまだにあるのです。
 住民に最も近いところで、住民のためのことをやる「コミュニティー・サポーティング・アグリカルチャー」はいい例です。自給自足じゃないから全部はできないでしょうが、例えば青森の人は多少高くても、青森のものを買いましょうということにすれば、おカネが地元に落ちる。公共事業も同じです。そういうふうにしないといけないんです。
 ダム建設問題も今のようなやり方で止めるだけだったら、地方には仕事がなくなってしまいます。私が言いたいのは、分散化、多極化、大いに結構ということ。要するに、地方が自立の精神をもってやりなさいということです。

▽地方分権を進めないと、住民が損をする

尾形 諸井委員会の五次の勧告がどのくらい日の目を見たのか。丹羽委員会の勧告の義務付け、枠付けにしても、中央省庁の回答には見るべきものはありませんでした。

丹羽 一次回答がノーというのは、最初から分かっていました。1万条項についていろいろ専門家を中心に研究・分析して、4000条項ぐらいは見直してもらおうと思ったのですが、一気には無理だろうから、これだけは絶対見直すべきという892条項に絞りこんだのですが、省庁からの返事はそのうちの78条項、8・7%しかできないというものでした。これには「ふざけるんじゃない」と怒りました。そこで、監視実行委員会を作って、見直しをどう進めるか見るぞと提言しました。これは政治の仕事です。

尾形 監視実行委員会が作られるような気配はありません。

丹羽 官僚に任せていたら、そんなもの絶対作るわけがありません。

尾形 5月の第5回地域主権戦略会議で、北川正恭主査(21世紀臨調共同代表)が出先機関の存在意義を主張する省庁幹部に「残すための理由はいい。なくすための話をしなさい」と叱っていました。

丹羽 民主主義の世界だからと言って、多数決で決めることではありませんから、先ず言いたいだけ言わせておいて、最後に「やれ」と言えばいいんです。我々は100回も会議をやって出した勧告に省庁からの回答は、わずか9%弱。壮大な無駄です。北川さんが言っても、官僚に任せていたらどうでもいいのを作る。それでは、何にも変わらないんです。

尾形 組織論で言うと、商社の仕事は「川上から川下」までを扱います。それを国と地方に当てはめると、中央集権は川上から川下まで、すべて国がやってしまう。物流と同じように、行政も分けることができるはずです。

丹羽 地方でできることは地方に任せる、これは川下です。一方、川上は中央省庁です。だからどっちから行くかとなったら、川下から行こうよということになります。地方でできることはいっぱいあります。できないことだけを国がやる。

尾形 ただ、自治体にも巨大なところと小規模なところがあります。そうすると、近接性と補完性を的確に当てはめないといけません。

丹羽 例えば、地域によってさまざまな議会があります。小さな自治体では土・日だけ議会をやったり、議員はボランティアで、無償のところもあります。10万人の町と100万人の大都市では事情がすべて違います。だから北から南まで一律一括でやるのではなくて、さまざまな議会制度があっていいと思うのです。
 ただし、地方に自立を求めると同時に、補助金を一括交付金のような形にしないといけません。今の制度では、地方は嫌なものでも造らないとカネが回ってこないわけです。国道は両脇に2bの歩道を造らないと、国は補助金をくれない。補助金をもらうために不要と思っても歩道を造る。

尾形 保育所の設置基準も、天井の高さだとかまで定めています。

丹羽 そういう義務付け、枠付けを撤廃して、補助金も一括交付金のような形で地方に任せないといけない。そうしないと、国も地方も財政が破綻してしまう。
 アメリカ・カリフォルニア州のシュワルツェネッガー知事が言ったのですが、カネがなくなった時に最初にやるのは刑務所の閉鎖、次には市役所を1週間のうち何日間か閉鎖する。次は学校の休校。カネがなくなると公共サービスがどんどんカットされるんです。地方分権を本当に進めないと、結局は住民が損することになります。

尾形 国が植える木と地方が植える木とでは、育ち方が違うというバカバカしい話があまりにも多いということを、国民は知らないです。

丹羽 我々はそういうことをかなり言ってきたのですがマスメディアはあまり報道しませんでした。そこに大きな問題がある。

▽目指すべきは「クオリティー・オブ・ライフ」

尾形 丹羽さんは「20年後の日本はどうあるべきか」を提言しています。

丹羽 二つの視点があるのですが、まず定年制撤廃です。少子高齢化が進む日本では2055年には65歳以上人口の比率は約4割に達します。私の周りでは今でも団塊の世代は定年退職した後も体が悪くない限り何らかの形で働いています。人脈を持ち、知見も優れ、経験も豊富な人が、60歳になったということだけで仕事を辞める理由がまったくないからです。
 定年制撤廃と同時に、若い人に譲るという意味で、課長とか部長とかのラインの管理職は若い人に任せ、高齢者は人脈や知見を生かした仕事をしてもらう。その代わり給与はそれまでの何割かにする。そうやって、今後も団塊の世代に働いてもらうべきです。
 また、これだけ教育された国民がいるという国は世界に日本しかない。これから世界が求めるのは、安心・安全な社会であり、「クオリティー・オブ・ライフ」です。これが、目指すべき20年後の日本の姿です。最も高い品質の生活が送れる国、これは日本以外にないでしょう。セキュリティー上も安心・安全です。経済面では新興国がどんどん迫ってくるでしょうが、日本には追いつけない。それは過去からの高い水準の教育があるからです。ハイ・クオリティー・ライフは、教育された中間層が厚い日本において初めて達成できるのです。

尾形 そのために日本がしなければならないことは。

丹羽 政権が最大やらなければならないことは、膨大な借金をどうするか、そして教育です。高等教育に公的資金を使っている割合は、OECD主要国の中で日本が最低です。GDP比で0・5%です。ところが、欧米はほとんど0・9〜1%です。日本は1960年代以降、おそらく世界でも非常に高い水準で教育をしてきた。今のように実力を付けることができたのは教育がベースです。

尾形 日本はかつて、先行投資に熱心でした。短期の利益を求める米国企業とは違って、ある程度中長期的な視点で経営をやりました。その結果、日本経済の体質が強化されました。今はあまり先行投資という話は聞きません。

丹羽 天然資源のない日本にあるのは人と技術です。何を買うか、まず原材料、天然資源を輸入しなきゃいけない。輸入をしてそれに付加価値を付けて輸出する。1955年から1990年というのは、日本の最大の経済成長を遂げた35年間でした。ここで日本は世界経済のナンバー2になったわけです。
 1956年に「もはや戦後ではない」という経済白書が出ました。55年以降73年ぐらいまでに神武景気、岩戸景気、イザナギ景気がありました。この間の実質経済成長率は9%、名目では16%。今の中国とまったく同じぐらいです。その後の17年間、1990年までは、実質成長率が4%、名目で8%。この間に輸出が約50倍、雇用者報酬も66倍になっています。貿易立国です。需要があるから設備投資をやる。
 経済成長というのは、労働人口の増加率、資本の投下率、生産性の上昇率で決まります。中国は今、生産性を上げるために猛烈な勢いで新しい機械がどんどん入っている。それに比べると日本は「失われた20年」といわれるくらい、あまり設備は更新されなかった。日本が追いつかれるのは当たり前です。

尾形 日本は港湾にしても空港にしてもハブがない。95年1月の神戸大震災以降は海上物流が低迷しています。航空も冴えません。

丹羽 経済政策や成長戦略がないからです。法人税の引き下げだけではダメです。日本が魅力的で、海外から多くの企業や人が集まるような環境整備をして働きやすい国にしないといけない。そのための政策の一つが法人税の引き下げです。日本の最大の魅力は、皆が安心して働け、安心して生活できること。
 また、中国をはじめアジア諸国には「日本ブランド」に対する憧れがある。日本ブランドは多少値段が高くても買います。リンゴもミカンもお米も高くてもいい。ですから、日本は「コミュニティー・サポーティング・アグリカルチャー」と同じ考え方で、日本国内でできた物は、日本国内では「多少高くても買う」というぐらいの自立心を持って、日本のブランドを磨いていけば農産物の輸出が増える可能性も大いにあると思うのです。

▽地方分権は明るい、夢のある話

尾形 丹羽さんは食料畑が長く、分権委の出先機関見直しでも農政に切り込んでいました。日本の農業はどうあるべきと考えますか。

丹羽 日本は天然資源がなく、あるのは人、技術、そして国土、すなわち世界一の農地です。光と水に最も恵まれているのは日本です。その農地を減反政策で、米を作らせないなんて、国力を衰退させるような政策です。選挙目当てと言われても仕方がないでしょう。現在の農政は先述のように北海道から沖縄まで一律一括の政策を取っています。ところが、日本全体で農家のうち10f以上は、1・4%、そして10f以上の農地を持っている農家は72%が北海道に集中しています。東北は100戸に1・2―1・3戸。四国は1万戸に7戸程度。
 一方、0・5f以下の農家が40%ぐらい。1f以下で見ると6割から7割。それらの農家は野菜と果物を中心にいい品質の物を育て競争力をつけることが必要でしょう。

お米やジャガイモのように、大規模農場でないとできないものは北海道とか東北を中心に行えば、十分国際競争力はあります。輸出産業にすることができる。
 減反政策で米を作らせないようにして、高いお米の値段を維持しようというのが戦後の50年間の日本の農水省の政策です。米を作らないように作らないようにしている。「作らなきゃ、補助金をやる」と言う政策です。耕作放棄地や減反で大体100f以上の水田が遊んでいます。
 今年から農家の戸別所得補償をやると約束したから、今まで大型農家に土地を貸していた小規模農家による「貸しはがし」がおこっていると聞きます。貸しておくより減反をして補助金をもらった方が儲かるからです。しかし、生産性の低い小規模農家が増えたら、お米のコストが高くなる。それが、今の農水省の農業政策です。

尾形 耕作放棄地が中山間地に増えています。

丹羽 耕作放棄地は38万―39万f、全体の農地の9%近くになっています。日本には水はあるけれど、山林が荒れて保水の機能を果たさなくなってきています。日本の持っている資産をどんどん荒らしている。私が言いたいのは、教育に金を使え、農業に金を使えということ。そういうことも含めて、分権委の中では「地方に任せなさい」と言っている。中央省庁にいる官僚が、地方の川の水について「こうだからああしろ」などと、よく言えると思いますよ。

尾形 霞が関にいて山奥の話が分かるはずはない。

丹羽 だから中央の官僚に任せないで、地域に任せなさいと言っているんです。それが地方分権です。地方分権というのは明るい話です。将来の夢の話をしているのですが、やっていることは、逆のことばかり。そんなことをしていたら、競争力をなくして日本はますます駄目になってしまうのではないでしょうか。
 いま、日本がやらなくてはいけないことは大借金と人口減少社会という現実を見据えた国の形づくりです。そのためには地方分権はもはや必然です。首相のリーダーシップは勿論ですが、地方自治体も強い自立の精神をもって分権を推し進めていっていただきたいと思います。 

(構成・尾形宣夫)

【編集部注】丹羽宇一郎氏は6月17日付で中国大使に発令されました。本インタビューは鳩山首相が辞意を表明する直前の2日前の5月31日に、東京・港区の伊藤忠商事本社で行ったものです。

地方分権関係の主な経緯

1995年5月 地方分権推進法成立 地方分権推進委員会発足(7月)

  9612月〜9811月 地方分権推進委員会勧告(1次〜5次)

  98年5月 地方分権推進計画閣議決定

  99年7月 地方分権一括法成立(2000年4月施行)

2000年10月 第26次地方制度調査会答申(住民自治制度・地方税財源の充実確保)

  01年6月 地方分権推進委員会最終報告

7月 地方分権改革推進会議発足

   04年5月 合併関連3法成立

   0612月 地方分権改革推進法成立

   07年4月 地方分権改革推進委員会発足

  08年5月 第1次勧告 「地方政府」の確立

  9月 「道路・河川の移管に伴う財源等の取り扱いに関する意見

   12月 第2次勧告 「『地方政府』の確立に向けた地方の役割と自主性の拡大」

  09年4月 「国直轄事業負担金に関する意見」

  10月 第3次勧告「自治立法権の拡大による『地方政府』の実現」

 11月 第4次勧告「自治財政権の強化による『地方政府』の実現」

   10年3月 地方分権改革推進委員会の任期終了