「再見わが町」紀北町・紀伊長島 

◎狭い路地に漂う魚まちの風情

 港町には独特の風情がある。
 路地が迷路のように入り組んだ漁師の町を歩くと、その土地独特の家の造りがある。港に船体を休める漁船は鉄鋼船や小型のFRP(繊維強化プラスチック)船で、木造船を見ることはまずなくなった。海と陸(おか)の生活が見事に溶け合った漁業の町の光景は、日本の原風景である。
 紀北町は、古くは「奥熊野」と呼ばれた三重県南部の東紀州地域の入り口にあり、険しい大台山の山並みと熊野灘に面するリアス式海岸に囲まれた町だ。中世期、紀伊の国(和歌山県)と伊勢の国(三重県)の分かれ目にあたり、世界遺産に登録された熊野古道・伊勢路のツヅラト峠はその境界とされる。伊勢路を通って熊野三山に詣でる参詣者は、ここで初めて熊野の海を目にし、浄土への想いを馳せたという。紀北町・紀伊長島を訪ねたのは、雨雲が深く垂れ込める5月中旬だった。

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 町の案内役を買って出てくれた植田芳男さんについて行くと、路地沿いに並んで置かれた鉢植えが東京の下町の雰囲気に似ている。曲がりくねった路地のいたるところに、地区名と番号が書かれたマンボウをかたどった陶板が掛けられている。旅行者に町の様子が分かるように設置したのだが、熊野古道の世界遺産登録で増えた観光客に町の良さを知ってもらうよう、植田さんたちが「魚まちマップ」とセットで用意した。とにかく、歩いてもらおうということだ。

世界遺産登録に併せて平成16年に始まった「東紀州交流空間創造事業」は、地域ごとに部会をつくり歴史・文化の掘り起こしとまちの活性化を競った。植田さんらが部会の一環として発足させた「古道魚まち歩観会(あるかんかい)」は、古道見学にやって来た旅行客を町に呼び込んで、三重県内でも有数の漁獲を誇る魚まちを「歩いて観て」もらい、さらに紀伊長島ならではの魚を「食べて」もらおうという気持ちが込められている。
 入り組んだ路地は、よそ者には分かりにくい。「歩観会」は町の今昔を話せる「語り部」も待機させ、旅行者の希望に沿えるよう準備している。「歩いてもらうと反応がまるで違う」と実感しているそうだ。
 紀伊長島には「通り庭づくり」という、独特な漁師の家がある。今では岸壁、護岸でなくなったが、昔は家のすぐそばに船付き場があってそのまま魚を家に持ち込める造りになっていた。家の建て替えでも、昔どおり「通り庭づくり」を守っている家はあるが、空き家となったままとか、建て替えで昔の姿が消えてしまう家が多いという。

 漁師の町に欠かせないのは祭りである。いやが上にも血が騒ぐ。カツオの一本釣りを再現して豊漁を願う1月の「船だんじり」は、カツオ船をかたどった船に赤い法被を着た漁師の子どもたちが乗り、大漁旗をなびかせて、一本釣りに見立てたサオで漁を演じて見せる。船を引くのは町の若い衆だ。
 夏の「燈籠祭」は724日だから、間もなく開かれる。今年のテーマは「福をつかむ」。高さ9・3メートル、幅9メートル、重さは3トンもの巨大な縁起熊手が登場する。巨大な熊手で「パワーをかき集め」、皆が楽しめる祭りにすると実行委員会は鼻息が荒い。昨年は「だるま」、一昨年は「招き猫」、その前は「宝船と七福神」だった。いずれも巨大な灯籠である。今年は不景気風をふっとばし、思いっきり福をつかもうというわけだ。このところの出し物に縁起物が続くのも、漁師町の元気を取り戻そうという心意気なのかもしれない。
 町の中心部と対岸の中ノ島を結ぶ高架の江の浦大橋(通称 アルファ橋)は、魚まちと熊野灘が一望できる絶景ポイントである。アルファ橋から少し奥まったところに架かる「江の浦橋」は、全国でも珍しい昇降橋だ。大型漁船の出入港時に昇降する。

植田さんが言うには「歴史的遺産に頼っているだけでは先が見える」「普段のお客さんをどう確保するか」。魚まちの姿を守りながら、漁師の町ならではの魅力をどうつくるのか頭が痛い。
 ひとつ温めているアイデアは、廃船になったカツオ漁船を手入れして港に係留、観光客に漁師の仕事の場を見せ、体験してもらうことだ。「見学用の船なら、『漁船に女は乗せない』とは言えない」と植田さん。そして旅行者が気軽に立ち寄れる「食事をする店をどう増やすか」。魚まちを売り込む知恵は簡単ではない。

(「地域政策」10年夏季号)=尾形宣夫