【全国知事会議・和歌山】

◎政局の混迷をチャンスと捉えよ

 1516の両日、和歌山市で開かれた全国知事会議は、さながら民主党大敗の参院選総括の場といった色彩を濃くした。例によって菅首相が「唐突に言った」消費税引き上げがやり玉に上がったが、もちろん民主党の敗北は消費税問題だけが原因ではない。「政治とカネ」もあるし、腰の定まらない政権運営に有権者がきつい一撃を加えたと言っていい。
 確かに自民党は議席数を伸ばし、参院は野党が過半数を超えるねじれ国会となった。議席数だけで見れば、民主党は衆院で多数を占めながら、参院の少数与党への転落で、国会では「何一つ自前の法案を通せなくなった」という認識が全知事に共通している。
 先の本欄(エッセー)でも触れたが、選挙最終盤で民主党幹事長が「みんなの党」との政策の共通性を取り上げて同党へ秋波を送る信じられないことを口にしたが、現実は政権奪取時の理想を忘れて、野党の一部といかに協調関係を作り上げるかに汲々としている。そんな状況が手に取るように分かるから、知事たちの不安が膨らむのである。



和歌山市で開かれた全国知事会議(中央背広姿が麻生会長、その左が原口総務相)
=09年7月15日



■大局を見据えた国のあり方報告書

 八方塞がりの政治を横目に見ながら、先が読めない不安を託つ知事会議で注目されるのは、三重県の野呂昭彦知事が座長としてまとめた「『この国のあり方』について」と題する、この国のあり方に関する研究会報告だ。
 報告は、時代の大きな転換期にある現状を「峠」と捉え、我々の周囲に漂う不安感や閉塞感を社会、経済、政治、環境といった多角的な視点から問題点を取り出して、「峠」の向こうにある国のあり方を考えようという提言になっている。

具体的な論点として福祉・雇用政策の現状を国際比較しながら、わが国として追求すべき仕組みを提示すると同時に、その政策実現の方向性を示している。報告のキーワードは「潤い」と「絆」である。三位一体改革以来全国に拡散した格差社会は、効果的な手を打てないまま国主導の効率的・合理的行政の名の下に行政の仕組みが再編されつつある。
 その結果表れたのが行政と地域住民の意識の乖離であり、地方の疲弊である。具体的には中山間地に限らない都市部でもあらわになった空洞化を見れば分かるだろう。コミュニティの崩壊は地域住民の生活が拠って立つ絆を劣化させ、お年寄りの居場所を奪いつつある。大都市、地方という生活環境の異なる地域を越えた切実な問題として私たちの前にたちはだかっている。
 安心できる社会の実現はどうすればできるのか。その処方箋は地域事情によって様々な対応の仕方があるだろうが、基本になるのは従来の手法での対策は限界が明確になったことだ。「安心できる社会」とはいかなるものか。地域、個人の捉え方は多様で、「これだ」と言える明快な答えはない。安心・安全には統一的なマニュアルなどはないことを自覚すべきだろう。

 野呂研究会報告に焦点を当てたマスコミの報道はごく一部に限られた。報道自体が、政局との絡みで消費税を、さらには各県知事が直面する経済・財政問題に焦点を当てたからだ。だが、当面する課題もさることながら、知事会には大局を見据えた論議がなければならない。なぜなら、当面する問題の先にある「国と地方のあり方」は、過去の地方分権改革論議でも微に入り細にわたって論議されている。

知事会議が、地方自治体が直面する具体的な問題で活発な論議をするのは当然だが、目の前の各論だけに目を奪われずに、中長期的な視点に立った「国のあり方」を問う意識を脇に置いてはならない。特に今日のような不安定な政局の下で、大きな政治勢力でもある全国知事会が果たすべき役割は小さくない。というより、地域住民の負託に応えなければならない知事の責任は、国政に対してもこれまでにも増して大きくなったと認識しなければならない。
 その意味で、野呂研究会報告は現状に安住することなく、新たな指針を向かって走り出す必要性が高まっていることを示したものと言えるだろう。まさに時宜を得た報告書と言える。

■首長の宿命を乗り越えろ

 衆院選で圧勝した民主党に政権奪取時の熱気はまるでない。野党と手を組もうにも、野党と腹を割って話せる人脈もないし、それをつくれる人材も見当たらない。少なくとも今月末に始まる臨時国会をどう乗り越えるのか、全く雲をつかむような状況だ。ただでさえ民主党内は小沢グループ、反小沢、非小沢グループが対峙したままだし、挙党一致の態勢は夢物語に等しい。
 そんな状況を百も承知の知事たちだが、知事会議では混迷する政局に知事会として強力に物申す意見はあまり聞かれなかった。
 知事会はこれまで政権与党に陳情・要請する団体としての行動がほとんどだった。野党に頼んでも効果は望めないし、大体、野党に人脈を持つ知事は皆無に等しい。数年前までは「闘う知事会」として歯に衣着せぬ物言いをする知事は少なくなかったが、知事の顔ぶれも変わり、闘う迫力は目に見えて弱くなったのが現実だ。
 官僚色の濃い知事の主張は論理的で隙がない。彼らの論考はまさに一級品だ。しかし、時代は知事に違った側面を求めだしている。有り体に言えば、学者的知事から「野武士」の強さを備えたガバナーである。
 知事会といえども、個々の知事の考え方は様々だ。知事が市町村の思いを十分理解し市町村長らと共に行動する態勢はできていない。分権改革が各論に入れば入るほど、自治体間の思惑の違いが表面化する。分権であろうが、地域主権と言おうが、もはや総論賛成の時代はとっくに過ぎた。
 ある意味では、知事会にしろ、全国市長会、全国町村会にしろ首長は、横の連携を思いながらも個々の首長の立場を損なわないように行動せざるをえない難しさがある。それが地域主権時代の首長の宿命と言っていい。

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 地方6団体は、地域主権を改革の「一丁目一番地」と位置づけた鳩山政権に大きな期待を寄せた。国と地方が、それこそ「言い放っし、聞き放っし」の場に過ぎなかった国と地方の協議の場を、法律に基づいた協議の場に格上げしようとした前首相の努力を評価した。
 しかし、この期待も鳩山氏の突然の辞任、そして代わって登場した菅政権が軸足を経済・財政に移し、しかも参院選で民主党が大敗したことで先行きどうなるか不透明になった。民主党政権が鳴り物入りで目指した「国家戦略局」は法案の成立が期待できなくなり、菅首相への意見具申機関に格下げされた。向こう百年とは言わないが、戦後政治の垢を拭い去る道筋を示すことを期待した国家戦略は、政権交代からわずか1年でお蔵入りとなってしまった。民主党政権はまたも錦の御旗を降ろしたとしか言いようがない。
 消費税発言の迷走で国民にそっぽを向かれたのに続く「戦略局」の断念は、この国の将来像に懸念を抱く地方の不信をさらに膨らますことは間違いない。 
 知事会とすれば、否応なしに態勢の再構築が求められる。知事会議で政権与党にとどまらず、野党対策の強化を求める知事の声は多かったが野党とのパイプをどうつくるか具体的な提案はなかった。

国政の体たらくは目に余るが、その永田町に陳情を繰り返すのが旧来の知事会の習わしだった。政局の先行きが読めないから、折衝の相手を野党も含めたものに拡大すると言ったところで、知事会にその知恵はないし、大体、人脈がなさ過ぎるのは前述したとおりだ。内輪での議論は元気はいいが、その先が見えないのが今の知事会の姿である。いずれにしても、できることは何でもしなければならないところまで知事会は追い詰められているのである。

10720日)