「再見わが町」大紀町・野原(三重県)

◎廃校に蘇った集落の絆

映画のセットを思わせるような、こじんまりとした木造の旧七保第一小学校の教室は、この日も地区のお年寄りらの明るく屈託のない話し合いの場となった。木の廊下、木製の窓枠と天井、そしてチョークの粉が残る黒板は、子どもたちの声が聞こえてきそうな錯覚を呼び起こすようだ。中高年の人なら、誰もが昔を思い出す懐かしい子どもらの学び舎が地区のコミュニティーとして蘇ったのである。
 あいにくの雨の週末だったが、集まりはいつもどおりだった。おもちゃを手にした子どもを連れた若い母親も目立つ。ボランティアの主婦たちが地元の食材を使って作った出来たての弁当、惣菜に舌鼓をうちながらおしゃべりの花が咲く。

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三重県のほぼ中央にある大紀町。その北東の端に位置する野原集落は世帯数が211(約600人)=平成219月現在=、耕地は地区面積の2%にも満たない典型的な農山村地域である。元々が林業のまちだが、黒毛和牛の代表的なブランド、松阪牛を肥育する地域としても名は知られる。
 とはいえ、主産業の林業は不振。高齢化率は37%と高い。高度成長で若者は都会に吸い寄せられ、荒れた田畑は耕作放棄地となって無残な姿をさらしているのはここでも同じだ。そんな現実から抜け出そうと始めたのが「地元学」の実践だった。専門家や識者を呼んで頻繁に話を聞いた。「ない」ことをぼやくのではなく、「あるもの」を探して活性化につなげる事業を推進しようと、2年前に立ち上げたのが「野原村元気づくり協議会」である。
 協議会の鳥田陽史会長は地元の七保神社の宮司だ。3年半前、名古屋市にある大手電機メーカーを定年退社。戻った故郷は獣害、高齢化、耕作放棄地…「困ったことだらけ」だった。そして仲間と語らって交流、食材活用、歴史・伝統などテーマごとに5つグループをつくり、連日のように話し合い構想を詰めモデル事業を始めた。拠点として、閉校したままになっていた旧校舎を改装、活用した。
 事業の中でもユニークなのは、駆除した害獣の肉を使って地元ならではの特産物メニューに仕上げたことだ。人里まで現れ生活を脅かす鹿やイノシシの被害を逆手に取った。猟師が駆除した鹿やイノシシの肉はきれいに筋を取り、臭みをなくして肉団子、ローストに加工し、鍋物や焼肉として地区のイベントの折に出されるようになった。さっぱりとした低カロリーの肉はなかなか好評だった。昨年夏オープンした「野原工房げんき村」での調理は、懐かしい木造校舎の教室を改装して毎週末に営業している。「食のグループ」は、7人の主婦がボランティアで調理を担当している。

 野原地区の絆を一層強めたのは運動会の復活だった。閉校で消えた児童生徒の元気な声を寂しがる親たちが、地区再生のきっかけ事業として強く求めた。一昨年11月、運動会の歓声が集落に蘇った。大鍋で豚汁を用意したり、弁当・おにぎりづくりをする地区総参加の催しだから、喜びも大きかった。
 旧校舎の教室は、図書、郷土史、資料室などの部屋として使われている。廊下や教室の壁には絵や習字、折り紙、さらには他府県からの交流生徒の手紙も張ってある。すべてが昔どおりの設えなのである。
 学校開設以来の卒業名簿も張ってあった。「卒業生が時々遠くからやってきて感動して帰っていく」らしい。郷土の誇りでもある大瀬東作の足跡を示す展示室もある。大瀬は、義務教育国庫負担制度に奔走した地方自治の先人だ。その偉業をしのぶ「東作さんと藤まつり」が、野原公園で5月初めに行われる。
 鳥田会長がでこぼこ道を走りながら案内してくれた野原の集落は、一部に「限界」の姿はあったが、林道に沿う渓流の美しさ、そして白岩奥山川の自然美を多くの人に見てもらおうと協議会の手づくりの整備が進んでいる。他府県からの小中高生の受け入れ、視察もぐっと増えた。
 ところが、鳩山政権の「事業仕分け」で思いもしなかった逆風が吹いた。農山漁村地域力発掘支援事業が切られてしまったのだ。金額も張らない細々とした事業なのだが、地域にとってはかけがえのない支援事業だ。無駄な公共事業や予算と一緒くたにされてしまったのだ。
 地元の無形文化財「野原大神楽」の子ども神楽も保存会の努力で続いている。赤いほっぺの子どもたちが舞う神楽に、野原の息吹を見たような気がした。

(「地域政策」10年春季号)=尾形宣夫