【商店街活性化】

「年寄りはもとより若い人にとっても福祉の場としての商店街、コミュニティの場としての商店街、そういう役割・機能をもっともっと大きくする必要がある」

関西学院大学商学部教授、前中小企業政策審議会委員、同商業部会長

石原武政

聞き手……尾形宣夫「地域政策」編集長

【略歴】

石原武政(いしはら・たけまさ)

1943(昭和18)年、京都市生まれ。
65年神戸商科大学卒業後、神戸大学大学院経営学研究科修士課程、博士課程を経て69年大阪市立大学商学部助手、71年講師、75年助教授、84年教授。85年商学博士(大阪市立大学)。2006年大阪市立大学定年退職。1999年〜2009年中小企業政策審議会委員、同商業部会長。
2006年関西学院大学商学部教授、独立行政法人経済産業研究所通商産業政策史編纂委員。
著書は『マーケティング競争の構造』(千倉書房、1982年)『公設小売市場の生成と展開』(千倉書房、1989年)『小売業における調整政策』(千倉書房、1994年)『商業組織の内部編成』(千倉書房、2000年)『まちづくりの中の小売業』(有斐閣、2000年)『小売業における外部性とまちづくり』(有斐閣、2006年)など。


▽リーダーは、努力する中で成長する

尾形 全国的に中心商店街の不振が問題になっていますが、決め手もなく寂れていく商店街が各地に広がっています。中心商店街の現状はどうなのでしょう。

石原 「活気がある」と言える商店街は本当に少なくなってしまって、多くのところで、今まだ商店の体を成して維持しているところでも、売り上げは一時に比べ相当減っている。厳しい状況が続いており、そう簡単に以前のような好況には戻りそうもありません。

尾形 商圏の拡大、消費者行動など小売業を取り巻く環境は大きく変わりました。一方で、石原先生が座長を務めた経済産業省の中小企業政策審議会商業部会の小委員会がまとめた「新・がんばる商店街77選」は、いかにも元気です。「不振」と「元気」を分けるものは何ですか。

石原 今回の「77選」は、各都道府県から少なくとも一つずつ選んだ「新77選」です。2006年にも「77選」を選んだことがありますが、今回はそれとは別の商店街から選びました。丁寧に拾えばもっと元気なところはあると思います。少なくとも商店街の中には一人二人では難しいが、何人かが何かしようと思って動き始め少し成果が表れると、それがだんだん大きくなるということがある。それをやるのがリーダーなのか。
 「リーダーがいたからできた。うちはいないからできない」と言うのであれば、(活性化は)できないですよ。リーダーは、はじめから出来上がったリーダーの姿をしていたわけではなくて、いろいろやる中で成長していくんです。だから、リーダーがいないからできないのではなくて、育っていくような動きになっていないということだと思います。

尾形 「情熱」ですか。単純に「やる気」というか…。

石原 やる気があれば何でもできるのかというと、そうとも言えないが(やる気は)必要条件であることは確かです。

尾形 商業部会の「商店街活力向上研究会」の報告にありますが、生活に身近な商店街が小売業全体に占める割合は売り上げ、事業所数、従業員数いずれも4割程度です。

石原 商店街のタイプは近隣型、地域型、広域型、超広域型の四つに分かれる。9割近くが近隣型と地域型で、状況的に厳しいのはこの二つです。近隣型は八百屋や魚屋といった最寄り品店が中心の小さな商店街。地域型は小さなスーパーがあって、ちょっとした買い回り品もあるような商店街です。この二つで小売業全体の大体8―9割を占めている。ここが実は一番厳しくて、広域型とか超広域型と言われるところは「まだうちは元気だ」「売り上げが増えている」「商圏が広がっている」というところがある。売り上げは当然、広域型、超広域型の方が圧倒的に多い。

▽規制緩和が不振に追い討ち掛けた

尾形 商店街はインキュベーター(起業家)を育む場でもあると言われます。

石原 その話の前に、商店街はどうしてこのような状態になったということが問題です。小売業の商店数は1982年がピークで、全国でざっと172万店ありました。今はおそらく110万店を割っている。まちなかで言えば、実際はもっと減っている。規模は8―9割が中小小売店、従業員は1―4人程度です。82年時点での中小店の半数以上は姿を消したと言えそうです。中には大きくなったところもあるかも知れませんが、それはほんの少しです。その間に郊外店がどんどん出た。
 何でそんなことになってきたか。一つは大型店が出てきたということもあるでしょう。特に90年代以降の規制緩和の流れもあり郊外化が一気に進んだこともあるが、商店街実態調査の中で聞いている「景況感」は、調査が始まった1970年代ごろは「うちは儲かっている」という商店街は4割を超えていた。これが80年代の終わりから90年代の初めぐらいに1割になっていた。

尾形 「儲かっている」が4割から1割まで落ちた。

石原 今は2%あるかないかぐらい。規制緩和が始まる前にそれぐらいまで落ち込んでいた。規制緩和も一つの要因ですが、緩和がそれに追い討ちをかけたという形だと思う。
 「それじゃ、もともとは何なのさ」ということになるが、これは実証のしようはないが、世代交代しなかったということだと思います。要するに息子が継がない。その頃よく言っていたんですが、後継者がいない、従業員にやって来る者がいない、後継者をつくると嫁さんが来ない―みたいな感じで、かつての農業と同じです。
 昭和20年に戦争が終わって高度経済成長期が始まる10年ほど前は、特に製造業がほとんど壊滅していたから、就職の機会がなかった。この就業機会がない時に、たくさんの人が小売・卸業になだれ込んだ。小売りは資金がそれ程なくても始められた。今はずいぶんシステム化されたり設備投資も要るようになりましたが、あの頃は商品をどこかからか集めてきて商いができた。その世代が40年も経つと、大体リタイヤする時期が始まる。
 その間に高度成長期があって、子どもたちの進学率が上がって大学へ行くようになるし、都会に出て働くことになり故郷に帰って来ない。帰ってきた人もいるが、何が大変かというと、親子三代、どうかすると四代の生活がある。自分と夫婦だけ、あるいは子どもまでなら何とか食えますが、息子が帰ってきて結婚して子どもができると三代の生活を一つの収入で食べていかなければならず、かなりの収入が要る。ということで、後継者が入ってこない、店主が高齢化してやめていく。こういう構図ですよ。
 私と共同研究をしてきた流通科学大学学長の石井淳蔵さんが言うには、外の敵が大型店、空き店舗が内の敵だ。それに対して「内々の敵」と言ったんですけど、商人家族の崩壊です。継続できない、後継者がいなくて内からこけていくという、そんな感じです。それは1980年代にはかなり明らかになってきていたんだと思いますね。そこへ持って来て、規制緩和で大型店の郊外進出となって(商店の不振が)加速した。そうなると、この問題はこの先も続くんですよ。

▽起業、担い手育成機能を持たないと

尾形 不振の原因は規制緩和だけではないと。

石原 例えば3年前のまちづくり3法(中心市街地活性化法、大店立地法、都市計画法)の改正で、郊外の大型の開発を抑制するという方向に舵を切ったが、それでまちなかは安心なのかと言うと、そうではない。それが回っていくためには、新しい担い手が入ってこないとできない。そのためにはいろんなことをやらなければならないが、商店街自体がインキュベーション機能、担い手を育てていくような役割、機能を持たないと。

尾形 商店街の課題を少しさかのぼって調べたら、常に上位を占めるのは「後継者不足」です。最初のうちは「大型店の脅威」でしたが、その後は「商業活動の意識」や「魅力ある店舗」という課題が出ています。商業者自身が気付き始めたということでしょう。

石原 う〜ん、一般的にはそう理解されているんですが、(そういうことは)前から分かっているはずなんです。大型店の脅威がなくなったわけでもない。ただ、大型店が出店するテンポは緩やかになった。ボンと出店してきた時は「あいつにやられた」と思いますが、3年、5年経つと、「やっぱりわしらが悪いんや」と思ってくることではある。意識の問題としてはそのとおりだと思います。

尾形 青年会議所(JC)の人たちと話すと、彼らは時代の変化をすごく感じている。父親の時代は大変大らかで挑戦するような商売をしなかったようですが、状況の変化に敏感な若い世代は客を集めようといろいろと知恵を絞っています。世代間のギャップを乗り越えるいい方法はありませんか。

石原 「ない」と言えば、ないとしか言いようのないような、本当に難しい問題です。ただ、どこの商店街でもそれは全部悩んできた問題です。僕らよりちょっと上ぐらいで、「あそこの商店街なら、この人」というようなカリスマみたいな人がいるとすると、その人を調べてみたらよく分かるんです。そういう方の祝いの席に呼ばれて挨拶をさせられることがあるのですが、若い人に「この人の30年前、40年前を調べなさい。それだけのことをあなたは今していいんです」と言い、その方にも「あんたが昔やったのと同じぐらいのことを今の若い人にやらせてあげたらどうです。あんたは随分やってきたと、この祝いの紙に書いてあるやないか」と。
 だんだん年を取ってくると、若い人の重しになってしまって、「あいつがおるから」と勝手に言われている。若い頃は結構やんちゃなことをしていたのに。
 そういう問題の中で、やっぱり最後は選挙で理事長を若い世代が取ってしまったところもあります。数年はギクシャクしますよ。でも、そこは乗り越えてやってきた商店街も結構ある。組織の運営から言うと、そうならないといけないと思います。

▽「悪魔の三原則」

尾形 まちなかの具体的な事業はどうですか。

石原 商店街の事業は、例えばアーケードを付け替えようとか、ハードをさわりましょうかと言うと全員のハンコが要る。お金が大きく動くし、高度化資金を借りるとなると全員が判を押さないといけないので、ものすごく時間がかかります。
 ただ、「イベントしょうか」というので全員がハンコを押したなんて話、聞いたことがない。スタンプ事業の場合でも、全員がというふうに言っているものでも、全員なんてやっていない。7割、8割おれば上出来だし、イベントももっと少ない人数でもやります。
 確かにたくさんの人が集まった方が楽だし効果も大きいが、事業によりけりなので皆が集まらないとできない事業ばかり探すのではなく、小ぶりに動けるような事業からスタートする。で、はじめは話に乗ってこなかった反対の人も仲間はずれにしないで(参加の道を)開いておけば、(事業は)大きくなります。

尾形 最初から全員参加型の事業を求めようとするから、途中で挫折する。

石原 私は20年ぐらい前から言っているが、「全員参加・全員合意・負担の平等」は商店街を地獄に導く「悪魔の三原則」だと。そういう組織観をなくして、もうちょっと軽やかに動いてもいいというようにしないとね。イベントなどでは実際そうしている。

▽まちなかの良さを求めた「まちづくり3法」

尾形 1990年の大規模小売店舗法(大店法)改正、そして翌年の商業活動調整協議会(商調協)が廃止、2000年には大店法が廃止されました。規制緩和で中心市街地にあった大型店の倒産・撤退が相次ぎ、各地で郊外への大規模なショッピングセンターの進出が進みました。このため、このままでは中心市街地の空洞化がますます進むとして、まちなか再生のため福島県をはじめ各地で「商業まちづくり推進」の条例がつくられました。

石原 まちづくり3法見直しの議論を始めた時、もうあと2年で人口減少が始まると言っていたのが、実際には前倒しになった。人口減少時代という状況の中で、人が郊外に向かって居住を移し、機能を移さなければならないのか、それほどまちなかに空間がなくなっているのかというと、そんなことはないんです。
 郊外に人が住み都市が郊外化すると、それに伴って公共交通機関、道路建設などが要る、雪の多いところでは除雪もしなければならない。郊外化によるメンテナンスのお金も随分要るようになる。それを承知の上で今まで(郊外化を)膨らませてきた。

尾形 それ以外の基盤整備も求められます。

石原 大型店を1店入れるということは、そこに上下水道、電気、ガスを含め、いろんな公共投資を準備しないといけない。今というより、10年、20年後にそれが要りますか、維持できますか。我々の孫が維持してくれるんですかと(考えないと)。
 むしろ、まちなかがスカスカになってきているということから言うと、まちなかにもっと人が集まって住んで、もっといろんな機能を寄せてきて、歩いて暮らせるとなれば、その方がはるかにいいということです。まちづくり3法、特に都市計画法を変えて郊外開発を抑えたのは基本的にその発想です。
 全国一律に1万平方b以上という非常に大きな店舗を基準にしていますが、地方都市のようなところで9千9百平方bだったらいいということにもならない。地方都市といっても拠点都市もあれば周辺都市もある、都市の中心部に近いところもあれば、郊外の農村地域もある。90年以降にショッピングセンターが開設されたうちの半分以上は、それこそ何もない郊外地です。そこを開発するのはもう止めましょう、もうちょっとまちなかに商店を誘導しようというのが国の方針だったし、それを地域版でやろうとしたのが自治体の条例、要綱につながっていくんです。
 一義的には市町村がこれをやるのですが、市町村に任せておくと、隣の市との境界周辺に誘致するかでもめることが実際にある。それを調整しようとすると、広域調整をする以外にない。広域で考えるとなると、都道府県に調整してもらわないとうまくいかない。県としては福島が早かったが、市町村では京都や金沢が(先行した)。

▽コミュニティ型商店街を目指せ

尾形 都市計画で道路が拡幅され整然とした町並みはできたが、肝心のお客が来なくなった特徴的な例を、まちづくり調査の専門家から聞きました。その人は、同じ町の元気な商店街と比べながら都市計画の問題点を挙げていました。

石原 市街地再開発は、土地の高度利用をすることによって床面積を増やして、それを処分して事業費を稼ぎ出すこと。その必要があるのかどうかということはありますが、再開発事業をやった大半のところは密集市街地です。私も再開発事業にそれほど好意的な人間ではありませんが、(再開発の)悪口を言う人には、再開発を手掛ける前の写真を見せます。
 家や店舗が密集していて権利関係もばらばら、火事が起きても消防車が入るかどうか分からない。役所が入ってこの地区の土地の高度利用を図り、建物の床面積を増やし、その分を売却して事業費をひねり出す。一部に公共の施設を入れてということになりますが、それをやらなかったら元の密集市街地のままです。そこが悩ましい。

尾形 ただね、住居や店が混在していると生活感、生活臭があります。そこには地域のコミュニティも感じられます。それが中心商店街の元気さにもつながります。

石原 高度成長期には小さい店しかなく狭い家に平気で住んでいた。商売人も儲けて店を外へ出した人もいます。その頃には我々の先輩は、商売と生活は切り離しなさいと随分言ったみたいですね。でそうなったんですが、振り返って見るとそのことが商店街の中に生活が、コミュニティがなくなって、もう通いの商売人ばかりになってしまったと言われるようになった。
 だから、もう一度消費者も住みましょう、商人も住みましょうと。そう思っても、もう家を外に建ててしまったんですから簡単ではない。だけど、これからの方向としては、できるだけそっちを向いて考えましょうということを言うのはそこですよ。

尾形 商店街は大切な地域のコミュニティの場です。その商店街が廃れると、コミュニティ・地域社会の温かみや絆がだんだん薄れ、時間がたって世代交代が進むと地域のコミュニティが消えてしまう問題に直面すると思います。近年、コミュニティの崩壊が問題にされ、それが過疎化が進む中山間地だけではなく都市部の問題となっています。商店街が中心となって再生できませんか。

石原 それができるのは、多分近隣型の商店街だと思います。あんまり急にできる話ではないですが、まちと言うか商店街に向けて人が出てきてくれる、そこで出会って喋ってくれるということなんですね。店の人もあわせて。
 そういう場をつくるということは非常に大事で、コミュニティ型商店街を目指してというのも、商店街がただ単に消費者に必要なものを届けるということだけなら、ネットでも大型店でも何でもいいんです。別に商店街である必要はないんですが、そこがどうも商店街でなければやりにくいと言うか、商店街の方がうまくできそうな、そういうところがあるんだとすると、やっぱり商店街には少し頑張ってもらわないといけない。
 我々は環境汚染できれいな空気や水の大切さに初めて気づいたように、商店街が廃れて始めてようやく商店街が果していた何かの役割を我々が感じているのかも知れません。世界中を探してもこんな商店街がたくさんあって、生き生きしているのは日本だけだと言われています。
 我々が昔から馴染んできたスタイルの中で商店街がやっていたんだから、別の形で担うようなインフラなり制度なりというのはないんです。
 だったら、商店街にもう少し頑張って応援できるのであれば地域にも活気が出る。コミュニティもこれから先は年寄りだけの世帯が増えてくると独居老人も増えるし、それを最後は福祉に面倒を看てもらうのですが、福祉のお世話になるのを少しでも遅くしなければならない。
 それを担っていけるのは地域しかありません。

▽心躍る夢のある話を

尾形 商店街を経済的な側面、商業的な側面だけからではなく生活レベルで考えると、高齢者社会では商店街というコミュニティに福祉的あるいは潤いといった要素を残して置くべきです。これからは、年寄りはもとより若い人にとっても福祉の場としての商店街、コミュニティの場としての商店街、そういう商店街の役割・機能をもっともっと大きくする必要があります。

石原 どうすればそれを担ってもらうことができるのかという話になっています。そのために行政が応援する必要があるのか、応援するとしたら何をするのか、金をばらまくことなのか、もうちょっと違うことなのか―そういうところがこれからの問題です。

尾形 そこで、商店街の機能を進化、再生させるためには行政も含めたチームプレーが必要になってくると思います。これからの課題としてではなく、既にそういう課題に取り組まなければならないという感じになっているような気がします。つまり、商店街機能強化のために何が必要なのか。企業も町内会も地域住民も行政も一体となって態勢をつくらねば。

石原 ということをやろうと思うと、その関係者が集まって皆でこの町がどうありたいのか、あるいはどういうふうにならできるのか。夢みたいな話ばっかり言っていてもしょうがないんですけど、夢のないことに誰も心躍るわけではない。「こうありたいね、こんなことができないか」とか、少しずつ皆でやること。それを話し合えばいい。

尾形 本誌の企画の「がんばる自治体」で多いのは、例えば空き店舗を若者たちの溜まり場にしてみたり、若い人の知恵とアイデアを働かせるような場にしてみたり、といった「若者の参入」です。家主としては若者に貸すことの心配はあると思いますが、若い世代の感性を導入すれば新しい展望が開けるような気もします。

石原 だから、それをどういう仕組みでやっていくかとか。大家さんにしたら、知らない、そこが仲介する形でサブリースをする。こんなことを考えたのが、もう20年以上も前のまちづくり会社制度の始まりなんですね。今はもっとそれが進んで所有と経営の分離、定期借地権や信託だとかいう手法も準備されてきたのだから、その制度を使いながらやれないかというようなことを考えている。

▽問題は自治体のやる気

尾形 霞が関の各省庁は皆それぞれ地域活性化事業をやっていますが、省庁縦割りのひも付き事業が多いと言われ、横断的な施策はあまりないようです。そうした仕組みが中心商店街の活性化に響いていませんか。

石原 難しい問題です。私も縦割り行政の悪いところも分かりますが、この御時世ですからそれぞれの各省庁が何をしているのかかなり連絡を取っており、みんな分かっている。大事なことは、地元の方でそれ(いろんなメニュー)をどう組み合わせるか、うまくコーディネートして使いこなすことだと思います。
 例えば、だいぶ前の話ですが、商店街の中に空き店舗を使って託児所を作る、託老所を作るとなると改装が要る。これには経済産業省の空き店舗対策事業を持ってきたらいい。しかし経産省の空き店舗対策事業は1年だからランニングコストは出ない。この後の運営は厚労省のお金が使えるといった発想ですよ。実際に、どんな条件が付いているのか詳しいことは分かりませんが、それで(施設は)動いていくわけです。
 制度の中にはかなり硬く設計されているものもあれば、比較的柔らかい制度もある。ちょうど大店法の廃止が問題になった時に、経産省ができるだけ型に入れずに地元で使いやすいような形でやれるような制度をつくろうとしたんです。ところが、評判が悪かった。尾形 何故ですか。

石原 どうしたらいいか分からないということです。

尾形 地元がどう使っていいか知恵がなかった。

石原 そうです。国がこんな制度をつくりましたよと言うと、自治体は「あ、それ、使える」と言う。自分がどうしたいのか分からないけど、それだったらというふうに、制度設計をしてくれることを期待していた節がある。それで踊らされると「ここの制度を使いましょう」となってしまう。基礎自治体や府県が、もうちょっとしたたかに見て欲しい。
 まちづくり3法の議論が出てきた最大の功績は、私らみたいな商業をやっている人間と、都市計画や建築をやっている人が一緒の会議で議論できるようになったことです。私は個人的にはこうした分野の違う人をかなり前から知っていましたが、役所の会議で一緒になることはほとんどなかった。それが今、誰も不思議に思わずに普通に会議ができるようになった。そういう意味では縦割りだといわれながら、横のつながりは少しずつ良くなってきていると思います。
 ただ、どちらかと言うと、これは国よりも自治体の方が悪い。具体的な事業をやっているせいだとは思うが、国の方は審議会やらを通して、制度設計をする時にガンガンやり合っています。

尾形 省庁よりも、自治体のやる気が問われている。

石原 「そういう場ができればいいよね」と言っていてもできないので、仕掛けていって欲しいのは自治体ですよ。制度設計する時には、最近は省庁の壁を越えて「どこかの省庁とけんかしてでもうちを守るのが仕事だ」と言うのはあまり聞かないですね。

尾形 基礎自治体の担当者に頑張ってもらいたい。

石原 すでに取り組んでくれているところも随分あると思いますけど、そう思いますね。

尾形 商店街についても同じことが言えます。

石原 一緒です。

(「地域政策」2010年春季号)