【辺野古移設閣議決定】

◎馬脚を現した首相の「甘いささやき」

 この人流に言うならば、日米同盟の重要さは何物にも替えがたい、ということだろう。
 鳩山首相が固執した普天間問題の「5月末の決着」は、日米共同声明の内容はともかく、言葉の上では何とか格好をつけた。だが、「辺野古移設」を明記した共同声明に沖縄県の仲井真弘多知事は「大きな失望と怒り」を表している。鹿児島県・徳之島の3人の町長も、重ねて政府方針に厳しい姿勢を露にした。日米合意に最後まで抵抗した連立与党の福島消費者担当相が更迭されるという激震が閣内を走った。
 東京・永田町の様相は、野党が鳩山首相の政治責任をこれまでになく追及するだけでない。身内の民主党内にも公然と首相の責任を問う声が高まり、中立であるべき横路衆院議長までもが、首相の努力不足を痛烈に批判している。鳩山政権は崖っぷちに立たされたと言うしかない。この週末、日曜日に報道各社が行う世論調査で、鳩山内閣の支持率に大きく響くのは間違いないようだ。

 何が今日の状況を招いたのか。
 何度も言うようだが、その責はひとり鳩山首相にある。およそ政治家としての信念も哲学も感じられない場当たりな発言は国民を戸惑わせたし、特に沖縄県民には癒し難い心の傷となってしまった。それも、大きくて深い傷だ。
 今回の日米共同声明は、日米同盟の政治的安定を重視する米政府の「好意的配慮」であることは明らかだ。この米国の好意にすがって、どうにかこうにか形をつくろったのが共同声明文言に表れている。
 元々、米政府は2006年の日米合意、すなわち普天間飛行場の移設先として名護市辺野古のキャンプ・シュワブの辺野古崎に「V字型滑走路」を建設することを最良の案とし、鳩山政権が主張する「県外、国外」は不可能と反発してきた。この日米合意が日本側の主張を米側がしぶしぶ受け入れた事実はあまり知られていない。
 米側とすれば、日本の言い分を認めてやったのに新政権が誕生した途端、今度は合意を振り出しに戻して普天間の「最低でも県外移設」を言い出したのだから「何を考えているのだ」と怒るのも当然だ。そして、迷走した挙句が「現行案」と似たり寄ったりの「辺野古崎地区及び隣接水域」だ。首相が「学んだ末の結論」という事実を思い出して欲しい。
 首相は約束の「5月末」が刻々と近づくと、怒りと不信が渦巻く沖縄に首相就任後初めて足を踏み入れた。徳之島の3人の町長には首相官邸で会った。お詫びとお願いの、主客転倒の面談だった。さらに藁にもすがる思いだったのだろう。全国知事会の麻生会長(福岡県知事)に負担受け入れの協力要請の場を設けてもらうよう頼んだ。
 27日の全国知事会議は、首相にとっては「針のムシロ」に座らされた思いだったようだ。ひたすら米海兵隊の普天間機能の一部を負担してくれるよう懇願したが、知事たちはにべもなかった。そのいくつかを紹介すれば
 「首相は安全保障の理念を示さないまま協力だけ求めている」
 「基地被害への対応がないのに負担だけしてくれと言われても駄目だ」
 「何故、いま知事会議を開かなければならないのか理由が分からない」
 「具体案なしに理解してくれと言われても応えようがない。バカな会合だ」
などといった具合だ。

 知事たちに懇願するその姿を目の当たりにすると、これが「在日米軍基地の見直し」を声高に叫んだ当の本人とはとても思えない。旧政権に「首相の器量・資質」を厳しく問うた、あの言葉が今、自身に降りかかっていることをどう認識しているのか想像もつかない。
 例の思わせぶりな「腹案」は一体どこへいってしまったのか、何だったのか。首相はそれを何一つ説明していない。とるべき手続きもしないまま、時間だけがいたずらに過ぎて今日に至った。
 思い起こせば、普天間の移設案が飛び交い、それが煮詰まっても首相の口から出る言葉は「最終的に何も決まったわけではない」だった。さらに口をつい出たのは候補地案を報ずるマスコミの「先走り」に対する不満だった。「地元不安を助長する」などと。そして、タイミングを逸した沖縄訪問などは、地元の怒り・反発の炎に油を注ぐだけだった。
 連立の友党である社民党党首の福島消費者担当相を罷免し、日米合意の共同声明は日本政府の方針として閣議決定された。だが、日米、連立、地元との「三つの合意」が崩れ、米側が最も重視した「地元との合意」を欠いたままの閣議決定が普天間問題の解決につながることは極めて難しい。

代替施設の詳細な位置や工法は8月までに完了させることになったが、浚渫土砂を使った海面の埋め立て方式が有力視される代替施設の建設には沖縄県知事の許可が必要だ。その知事の怒りは、側近によると「腸(はらわた)の煮えたぎる思い」だという。
 鳩山首相は閣議決定にこぎつけたが、それは具体的な中身のない普天間移設の手続きの一つに過ぎない。仮に日米合意が具体的に動き出しても、それは2006年に日米が合意した「現行案」とほとんど同じものだ。首相が「現行案とは全く違う」と強弁しても、今さら彼の言葉を信ずるものはゼロと言っていい。 
 国民のほとんどが納得しないまま普天間問題は「決着」に向けて動き出した。決着と言っても、万難を排した力強いものではない。鳩山氏が思い描く空しい希望でしかない。その結果表れるのは、沖縄県民の心に潜む「差別感」という気がする。私の長い沖縄とのつながりの中で忘れかけていた「差別」がこのごろ気になりだしている。
 首相が再三言った「沖縄の皆さんの思い」と、今回の政府方針がどう結びつくのか。「基地負担の軽減」「危険性の除去」が急務であることは論を俟たない。だが首相は、そのことと相反する「在日米軍の抑止力」を盾に普天間問題の政治的決着を急がせた。
 「抑止力とは何ぞや」。首相は安全保障の体系的・理念的な説明をしたことはない。それがないまま、観念的に沖縄の基地問題にかかわろうとした。現地の「ぬかるみ」のような基地問題の歴史的経緯を知ろうともしないままで。
 彼の頭にあったのは、政権交代のための「甘いささやき」だけだった。そのささやきが馬脚を現したということだ。

2010529日)=尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」