【首相、2度目の沖縄訪問】

◎怒りの渦をよく見たか

 重い腰を上げた2度目の沖縄訪問だったが、鳩山首相を待ち構えていたのは県民の怒りの渦だった。「うそつき」「詐欺」「帰れ」―こんな言葉を浴びせられた首相は過去にもいない。今度も仲井真弘多知事、稲嶺進名護市長との会談は、ひたすら謝り、海兵隊移駐の一部負担お願いする、卑屈としか言いようがない懇願の旅だった。
 「最低でも県外」に始まる首相の虚飾に満ちた言葉の危うさを、私は初めから分かっていた。沖縄問題の難しさを長年見続けてきたからだ。沖縄県民も最初は単なる選挙目当て、政権交代の熱気の延長ぐらいに考えていたのかもしれない。
 だが、仮にも「変革」を前面に打ち出し政権を獲得した首相が再三「県外移設」を言えば、誰だって知らず知らずのうちに期待が膨らむのは当たり前だ。その期待感が沖縄全体を包み込んでしまった。

ところが、どこでボタンの掛け違いがあったのか不明だが、オバマ大統領との会談で2006年に日米が合意した現行案を前提にした「トラスト・ミー」発言となり、これで連立内閣のギクシャクが現れかかると、当初年内を予定していた普天間移設の政府案決定を年明けに先延ばしにした。そして政府の移設方針がぐらつき始めると、今度は「私には腹案がある」と思わせぶりなことを党首討論で言い放った。
 その後、腹案なるものを巡って様々な話が飛び交った。鹿児島県・徳之島への移設とキャンプ・シュワブ沖合の抱き合わせなど、かなり具体的な移設案が明るみになったが、当の首相は「政府として最終的に決めたわけではない」と言いながら、否定するでもない。

 結局、23日の沖縄訪問で首相が明らかにしたのは、「辺野古近辺にお願いせざるをえない」だった。何のことはない、首相が「戻ることはありえない」とした2006年に日米が合意した現行案とほぼ同じだ。
 首相の沖縄訪問に先立って行われた岡田外相とクリントン国務長官との日米外相会談で、月内の移設問題解決の方向を決めている。首相は、この「日米合意」をもとに沖縄入りしたわけだが、ここでも移設案は「米国も沖縄も連立内閣も了解する」とした前提を反故にして、日米合意を優先させたことがはっきりした。
 日米合意といっても、具体的に中身が固まったわけではない。すべてはこれからだ。

 首相は移設案が移設候補地の反対が強く暗礁に乗り上げたころから「沖縄の負担軽減」を盛んに言い始め、それでも情勢に変化が表れないと見るや、今度は「在日米軍の抑止力」を盾に、普天間飛行場の県内据え置きを前提にした考えを強調しだした。
 「学べば学ぶほど在日米軍の抑止力が重要なことが分かった」と臆面もなく語る首相の安全保障感覚のお粗末さにも驚くが、県外だ国外だと大騒ぎしたあげく振り出しに戻さざるをえなかった理由を首相は明快に説明しなければなるまい。
 もともと、首相が言うような「抑止力」は専門家ならずとも安保問題に関心のある国民は誰でも知っていることだ。それを「学べば学ぶほど……」などと得々と語るなどは論外である。

沖縄県民の「怒りの出迎え」は当然だが、仲井真知事の心境を推し量れば「はらわたの煮え返る思い」だったのではないか。知事は怒りを抑えるようにしながら首相に質問し、疑問をぶつけていた。消極的だったが現行案を認めた知事が、首相の説明に「厳しい」を連発したのは、県民を「その気にさせた」約束ができなくなったから我慢してくれと言われても、今さら県民を説得できないということである。
 稲嶺市長の応対はもっときつかった。「自公政権よりも悪い」と言われて、首相は返す言葉があるだろうか。

私は、鳩山政権の普天間問題に取り組む姿勢の「軽さ」と対米交渉、さらには沖縄との対話のなさの危うさを指摘しながら、現行案への回帰が十分考えられると書いてきた。ところが、今の状況は現行案さえどうなるか分からない段階を迎えたと言っていい。
 政府は新たな環境アセスメントが必要ない建設方式を考えているようだが、仮に現行案に若干手を加えた建設をするにしても、着工に入れるか疑問だ。反対運動が、これまでとは比較できない規模で展開される可能性が高いからだ。

 となると、答えは一つしかない。現在の普天間飛行場がそのままの姿であり続けるということだ。大山鳴動、普天間は何も変わらなかったでは、あまりにも悲しい。鳩山首相にそのことを問うても、ないものねだりになる。あまりにも幼稚で、不勉強な世間知らずの政治家としか言いようがない。

10523日)