【首相、沖縄初訪問】

◎この期に及んで何を…

 自ら動くしか現状を打開する道はないと考えたからだ。鳩山首相の沖縄訪問は袋小路に入って、今さら何ができるか見通しが立たない普天間問題に、せめて「沖縄との直接対話」の痕跡を残したいという一縷の望みを託したものだった。およそ一国の首相とは思えない、その場しのぎの「アリバイづくリ」だった、と言うしかない。
 今さら「最低でも県外移設」などと、空念仏にも似た約束を記すのも不愉快だが、4日の沖縄訪問で首相は、あいも変わらず普天間移設の「腹案」を明言することはなかった。

 にもかかわらず、首相は「沖縄の皆さんにも、ご負担をお願いしないとならない」と言った。
 
首相は仲井真知事や普天間飛行場を抱える宜野湾市や移設先候補地とされる名護市で市長や住民との対話をした。ただ、名護市では市長らとの意見交換はあったが、宜野湾市のような市民との対話は行われなかった。政府が正式に名護市辺野古を移設候補地と決めていないからだが、今さら「政府案が最終的に決まっていない」からなんて言われても、そんな理屈は沖縄県民には通用しない。
 首相が今回沖縄に入って言った目新しいことは、沖縄に駐留する「米海兵隊の抑止力」である。再三強調した「最低でも県外移設」は、海兵隊の抑止力を十分認識していなかったからで、学ぶにつれて「沖縄の米軍全体が連携して抑止力が維持できていることが分かった」と首相は言う。だから、海兵隊の一部を沖縄に残すことを了承してくれというわけだ。
 「学ぶにつれて抑止力が分かった」というのは、官僚らのご進講が効を奏したということだ。
 こんなことを言われて沖縄県知事や宜野湾、名護市長、さらには県民が黙っているはずもない。首相の胸の内にある「腹案」は、2006年に日米が合意した辺野古岬をまたいだ「V字型滑走路」を修正、より沖合に「桟橋型」のヘリポートを造り、同時に普天間基地のヘリ部隊を鹿児島県徳之島に移転することを意味している。
 桟橋方式であれば埋め立てよりも自然の海域を汚すことはないと考えたのだろうが、数千本の杭がきれいな海域に打ち込む高度な建設技術を備えた業者は地元沖縄県にはない。投じられる事業費は埋め立て方式の倍の6000億円を超える。基地建設が「自然への冒涜だ」と思うなら、あってはならない冒涜になぜ手をつけようとするのか理解ができない。
 だが首相は、あいも変わらず「県外移設」を取り下げないまま、海兵隊の「抑止力」を引き合いに出して「負担の甘受」を懇請した。

鳩山首相にとっての誤算は、まず第一が今年1月の名護市長選で移設反対の稲嶺市長が当選したことだ。第二が、「県外移設」の約束が想定以上に沖縄県民を「その気にさせた」ことである。さらに、自らの発言のブレの認識がないまま、米国政府の強硬な反発・鳩山不信を膨らませたことである。
 政治家にとって「言葉」は命である。有権者に問い掛け、その心を引き寄せ、自らの政治理念と美学を浸透させる。まして、血みどろの政権争奪を勝ち抜くリーダーには、創造的な未来像を提示することが求められる。
 宜野湾市で開かれた対話集会で、地元選出の女性県議が「言葉は大事に使いなさい」という沖縄の諺をウチナー口(沖縄言葉)で言い、首相の言葉の軽さを直接に問うた。
 首相は最近では「友愛」を口にすることはあまりない。代わって「心」「命」などの言葉を多用するようなった。普天間問題では「沖縄県民の思いを大切に」と言った具合だ。そういった首相の言葉が新鮮に聞こえ、沖縄県民の期待を大きく膨らませたのである。
 それが今回の訪問で、手のひらを返すように日米同盟の現実論を披瀝した。日米同盟がこの十数年、どのような経過をたどってきたか明白だ。在日米軍再編も、米国の世界戦略の主要な柱として位置づけられている。東西冷戦の終結、米国の一極支配、民族・宗教対立の激化、テロの続発―その中で日米同盟は質的な変化をとげた。
 極東、東アジア情勢を見ても、「有事」を度外視することはできない。そのような状況の中で鳩山政権が誕生した。在日米軍、とりわけ海兵隊の抑止力についての認識が不足していたなどと、不勉強ぶりを沖縄で口にすることは、自身のリーダーとしてだけでなく、政治家としての「不適格さ」を披瀝するに等しい。

 今回の沖縄訪問は、有り体に言えば散々騒がせておいて、青写真もお土産もない手ぶらが、せめて顔だけは見せておこうという、普天間問題での「アリバイづくり」以外のなにものでもない。
 もし首相が沖縄県民に誠意を示すのだったら、かつてない大集会となった4月25日の県民大会の前に訪問すべきだった。政治日程が過密だった、などは理由にならない。首相の難問の処理はほとんどが後手、後手の繰り返しだ。沖縄訪問は遅かったし、状況認識も甘すぎた。
 首相に浴びせられた県民の怒りは「基地をもって帰れ」という言葉に表れている。
 普天間問題ひとつを取り上げて言うのではないが、一事が万事である。官邸はお世辞にも機能しているとは言い難い。霞が関の官僚にしても、鳩山政権が言う「政治主導」を冷ややかに見ている。
 今さらとは思うが、首相は問題解決に率先、這いずり回る気概を持ってもらいたい。首相公邸や自宅の東京・「音羽御殿」で浮世を憂いて見せても、何も動かない。今回の沖縄訪問で少しばかり気になったのは、対話集会での首相の目線である。どこか、うつろに見えたのは気のせいだろうか。

1055日)