【ひょっこりひょうたん島と吉里吉里人】

◎心なごませる奇想と笑い

 井上ひさしさんが9日夜、亡くなった。数多くの小説、戯曲、エッセーを書き、人権・平和運動にも積極的にかかわった稀有な作家・劇作家だった。井上ひさしというマルチ作家の作品の中で脱帽するのは、真面目さと奇想、ユーモアがごく自然に活字となっていることである。タイトルに挙げた「ひょうたん島」や「吉里吉里人」などは理屈なしに面白い。「青葉繁れる」も、仙台市を舞台に男子高校生の異性への興味を率直に言い表し、下手な格好付けがないところがいい。
 「ひょうたん島」は、19644月から694月までNHKの人形劇として茶の間に届けられた。岩手県大槌町の蓬莱島がモデルとされ、81年には隣の山田町との境界にある実在の「吉里吉里」が日本から独立するという奇想天外の筋立て。同町は、地名の縁で「吉里吉里国」の独立を町おこしに活用し、全国的なミニ独立国ブームの先駆けとなった。
 独立国だから当然大統領もいる。各国首脳が一堂に会したサミットも持ち回りで開催した。いい年をした大人たちが民族衣装を身に着けてイベントを開くなどと茶化してはいけない。本人たちはいたって真面目にサミットの意義を発信した。ミニ独立国ブームは観光振興や地域活性化、自然保護などを目的に最盛期には建国は190カ国におよび、民間、行政を巻き込んだ地域運動として全国に広がった。
 井上さんの「吉里吉里人」は、地域活性化の着想があって出来上がったわけではない。東京の私大の学資に窮し、岩手県釜石市の国立療養所で働いていたころ、オートバイを駆って集金に走り回ったのが大槌町だった。どこといって特徴のない東北の一寒村を日本の中心、さらには世界の中心とする発想が奇抜だ。
 吉里吉里共和国を現代風に置き換えるなら、地方分権であり地域主権改革につながる。片田舎が突然独立宣言する度胸など今の自治体にあるはずもないが、地域主権改革は永田町と霞が関のお話のままで楽しんでいたのでは何の意味もない。井上さんの小説を今日風に脚本を書き、演出するのが鳩山政権に託された課題なのである。さて、どうするか。

 「ひょうたん島」もテレビで放映されると、たちまち子どもたちの心をつかんだ。登場するのは島の大統領ドン・ガバチョ、美しいサンデー先生、実業家のトラヒゲ、南の島から移り住んだライオン、サンデー先生の5人の生徒たち、殺し屋のダンディーらだ。登場人物のユニークさは当時、学生たちの間でももてはやされた。

 井上さんの着想は、神奈川県鎌倉市に居を移してからも変らなかった。鎌倉駅に程近い喫茶店に通い、観光客が列をなす小町通りをじっと見ていたらしい。観光客の流れを見ながら、様々な作品のイメージを描いていたのかもしれない。
 ところが、この作家にも「遅筆」という編集者泣かせの一面があった。原稿の締め切りは守らない。忘れているわけではなく、顔を原稿用紙につけんばかりに一生懸命書いている姿を見た雑誌編集者は少なくないという。言葉一つを書くにも熟考・吟味し、徒疎かにすることはなかったのである。「言葉のもつ力をとことん信じた人だった」と朝日新聞の「天声人語」(4月13日付朝刊)は書いている。

 長いこと記者生活を続けていると、熱い取材では「書きなぐる」ことがしばしばある。一刻を争う取材現場では弁慶の「勧進帳」みたいに、わずかなメモを見ながら原稿を電話でデスクに送り込む経験を誰もがもつ。記事の構成を本能的に身につけたベテラン記者ならではの特技なのだが、井上さんに言わせたら逆に論外のモノ書きとなるのかもしれない。

 今年2月初旬、地方を知りぬいた立松和平さんが亡くなった。地方を知る自然体の作家がまたも去ってしまった。

2010413日)=尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」