大紀町野原の旧七保第一小学校
の校舎。元気むらづくりの拠点
(大紀町ホームページから)

【まち興しの知恵】

◎廃校が絆の拠点になった

 三角屋根をした木造平屋建ての校舎に入った。廊下はもちろん板張り、丸みを帯びた廊下の木目に、何とも言えない温もりがある。教室の窓枠も木製。昔懐かしい教室の姿があった。教室に置かれた幾つかの長方形のテーブルと折りたたみ式のパイプ椅子は少しばかり場違いな感じだが、絵や写真、手製のポスターが壁や廊下側の窓一面に張られている。教壇の後ろの黒板には紙で織ったお雛さま、チョーク(白墨)の粉が黒板消しについていて、児童たちの声が響いてきそうな雰囲気だ。

 三重県中南部の大紀町野原の旧七保第一小学校を訪ねたのは、3月初旬の春めいた日だった。1年生から6年生まで児童生徒約百数十人の学び舎だった。9年前、野原地区の3つの小学校が統合されて、子どもたちは集落から1`ほど離れた場所にできた新しい小学校に移り、旧七保第一小の校舎から元気な子どもたちの声が聞こえなくなった。少子高齢化による過疎化の波が、このまちにも押し寄せたのだ。
 野原地区の区長、鳥田陽史さんらが地区の皆に声を掛けて「明るく元気な地域づくりをしよう」と「地元学」を学習し始めたのは3年半前の平成18年秋のことである。地元学の専門家や識者らを招いて、このまちをどうしようかと連日のように話し合った。そして、「野原村元気づくり協議会」を設立した。住民からは、さまざまなアイデアが出た。
 協議会には「テーマ」ごとにグループをつくった。地元の食材を活用しようという「野原の食のグループ」、よその地域と交流を狙った「体験交流グループ」、閉校した旧七保一小を再活用するグループなど6つの班ができた。
 グループ討議が住民たちの意識を盛り上げた。住民たちが最も期待したのは、閉校した小学校の校庭で運動会を復活させることだったと、鳥田さんは言う。さほど広くもない校庭に運動会の歓声が蘇ったのは1年半前の平成20113日だった。子どもも、親たちも、お年寄りたちも競技に、ゲームに沸きかえった。
 校庭には樹齢300年、高さ30bもの大木がある。昭和11年1月、県の天然記念物の指定を受けた「七保のお葉つきイチョウ」である。銀杏が葉に付いている珍しいイチョウの木だ。
 校舎は書道教室、家から持ち寄った様々な本をそろえた図書館、趣味の写真グループによる写真展示、木工塾などに使われている。小さな町の公民館と例えることもできる。ここが、野原の住民が話し合って実現させた地域の絆の拠点となった。

野原をさらに面白くしたのが、害獣と嫌われ住民泣かせのイノシシやシカを見事な「食文化」に転換させたことだ。イノシシによる果樹や畑作物被害は深刻だった。シカも水田の稲が伸び始めると、「はさみで切ったようにきれいに食べてしまう」。稲穂が実るとイノシシがやってくる。駆除した獣肉の活用を思いついた。
 耳慣れないが、イノシシ丼、シカ肉のロースト、焼肉、餃子など嫌われものの獣の肉はいろいろなレシピに使われるようになった。野原のイベントの食材、メニューとして有名になった。他府県から来たまち興しの視察団も、さっぱりした低カロリーの肉を好んで食べた。木造校舎の廊下に大きな冷蔵庫が置いてある。ふたを開けるときれいに包装された日付入りの獣肉があった。
 今では獣害はなくなった。食材用の肉はよその集落に行って狩猟するという。イノシシ肉は筋落としをした後で臭みを取るが、「交流グループ」の中村武さんに聞いたら「それは企業秘密だ」とのこと。

鳥田さんの案内で野原地区の南、尾合川沿いに車を走らせた。密生するヒノキ林の隙間から見える渓流がきれいだ。林道の両側は、元は田畑だったが獣害で手に負えなくなり、人工林に変わった。その林業が安い外材に押されて立ち行かなくなり、十分な間伐もされないで今に続いている。
 協議会は渓流沿いをキャンプ場に整備、都会の子どもたちを招こうと計画している。山奥の七洞岳への道は絶好のハイキングコースだ。道の途中、途中に道案内の立て看板を協議会でつくった。
 野原の中心部から車で南に10分ほどのところにある野原新田を見やりながら、鳥田さんは「限界集落」に近いと言った。見たところ10数戸の民家があるが、高齢化は他の集落よりも進んでいるらしい。鳥田さんはこの地区に民宿を建てて、体験交流の場にできればと考えている。里山に囲まれ平地の新田は渓流にも近く、交流の場として期待ができると言う。
 野原地区のもう一つの顔は、七保牛の飼育だ。七保牛は2年ほど野原で肥育され、松阪牛のブランドで出荷される。現在、約1000頭の将来の松阪牛が牛舎で飼われている。

 週末の土曜日、旧七保第一小の旧校舎にいつものように野原の元気な顔がそろった。そして、イノシシやシカの肉を使った弁当や惣菜を食べながら、くったくないのどかなひと時を過ごした。お年寄りたちの元気な表情が印象的だ。「年老いた児童・生徒たち」の話は尽きなかった。

10313日)