「鳩山政権の『分権改革』」

「現状はマニフェストを全部凍結しても財政再建ができないくらいに状況は厳しい。それを最初に語れば国民は分かってくれた。鳩山さんはその一番いいチャンスを失った」

元内閣官房長官・大蔵大臣 武村正義

聞き手……尾形宣夫「地域政策」編集長

【略歴】

武村正義(たけむら・まさよし)

1934(昭和9)年、滋賀県生まれ。
58年東京大学教育学部卒業後、同大学新聞研究所を経て62年同経済学部卒業。62年自治省(現総務省)入省。69埼玉県地方課長、70年自治省大臣官房調査官から滋賀県八日市市長を経て74滋賀県知事(―866月)。86年衆院議員当選(4期)。93年自民党を離党し「新党さきがけ」を結党、代表に就く。内閣官房長官(細川政権)。94年大蔵大臣(村山内閣)。さきがけ代表(「新党さきがけ」から名称変更、98年―2000年)
日中友好沙漠緑化協会会長、龍谷大学客員教授、徳島文理大学大学院教授、麻布大学客員教授。
著書は「水と人間―びわ湖からの報告」(第一法規出版)「草の根政治―私の方法」(講談社)「小さくともキラリと光る国・日本」(光文社)「私はニッポンを洗濯したかった」(毎日新聞社)など。

▽国が立ち往生する中で政権交代

尾形 自公政権が幕を閉じ民主党政権ができました。地方分権改革の歩みは衆参両院の決議から20年を超えましたが、政権交代で分権改革を取り巻く環境は大きく変わったようです。

武村 端的に言って、分権はかなり長い道のりを覚悟しなければいけない。私の経験からしても、20年ほど市長と知事をやっていた30数年前に「地方の時代」という言葉が登場した。今でいう分権の先駆け的な動きがあちこちであった。その後いろんな人が日本の国、地方自治を確立するための努力をされてきた。そしてなお、今日に至っても私の想いはそう単純ではない。明日かあさってに分権が実るというものでもない。

その一コマに今、民主党政権が立っている。国の政権がガラリと新しく変わったことは紛れもない事実だ。民主党はかねがね、地方分権とか地方主権をひときわ強調してきた政治勢力だが、これでトントンと分権が成就するとは思えない。民主党が本気になればなるほど茨の道が続くと思う。
 日本は大きな曲がり角に来ている。戦後60年の歩みが続けられなくなって、そこに政権交代も起こった。しかし民主党も、この国をどういう方向に引っ張っていくのか、どういう方向に転換するのかということを明らかに示していない。目先の公約はたくさん華やかに掲げたが、経済も外政も、そしてこの国全体の姿も描けずに政権に就いてしまっている。

何も民主党が描けないというよりも自民党も描けなかったし、学者もほとんど描けていないし、マスコミも鮮明な答えを出していない。日本の国民全体が今、立ち往生している中に民主党もある。行く末を描けずに立ち止まっている中に分権という大きいテーマがあるから、分権だけを取り出してクリアな言い方がしにくい状況だ。

尾形 財政が危機的状況に陥っています。

武村 危機に瀕しているというよりも、財政がもう壊れてしまっている。財政危機なんていう言葉はもう生ぬるい。860兆円もの長期債務は、もはやまともな手段で返済できない。だから、小泉内閣の三位一体改革は地方交付税の大幅カット、補助率だけ下げて国のコントロールを変えないいびつな補助金改革、そして税源移譲も補助金カットに見合っていなかった。財務省が地方に流れるカネを巻き上げて少しでも国家財政をカバーしようとしたのが三位一体改革の本質だ。財務省が悪あがきをしなければならなかったほど国家財政はひどい状況だったからだ。
 来年度の予算編成でも、税収の倍以上の予算を組むなんてとんでもない姿になっている。そういう延長線上にこの国の財政があるから、健全な地方分権を語れる状況でない。要するに財源も伴った、すっきりした国の権限を地方に移譲するという議論が、むしろできない状況に財政がさせている。抽象的な議論はできるが、リアルな話としてはなかなか進みにくい環境にある

▽率直に現状を国民に語れ

尾形 鳩山内閣の閣僚の発言は抽象的な言い方が多く、具体的な姿として見えてきません。鳩山内閣の分権改革を占う場合、霞が関との関係、国と地方との関係―がポイントになります。首相は国政運営に当たって「官僚依存を排し政治主導」を掲げ、その基本に立って分権もあります。

武村 (鳩山内閣は)巨大な赤字で何もかも立ちゆかなくなっているにもかかわらず、財政に目が向いていない。政治も国民も目を向けていない。で、ふわふわした議論をしている。財政赤字という一点にもっと真剣に目を向けて、どうしたら財政を健全化できるかにまず展望を見出さないと。
 私は鳩山さんが首相になって1週間ぐらい経って「おめでとう」と電話をした。かつての(新党さきがけの)仲間でもあるしお祝いを言った。
 それで首相に、「真っ先に取り組んでほしいのが、この国の財政だ」と言った。「政権変わったばっかりだから、全ては自民党のせいだ。自民党の積年の幣が積もり積もっているんだから、財政がどういう状況になっているかを国民の前に一日でも早く明らかにしてくれ」と。
 「あなたは代わった直後だからそれをできるし、それをすることによって民主党はとてつもない大きな重荷を背負って政権に就いたということを国民に理解してもらえる」

「その上で私が言いたいのは、マニフェストでたくさん約束しているけれども、この財政状況を前提にして思い切って今度は見直しをしたらどうなのか。率直に国民に語れば国民は分かったと言ってくれるだろう」
 「とにかく財政のこの危機的状況を首相自身がつまびらかに国民に語ってくれ」と言ったら、「分かりました。いい話を武村さん、ありがとう」と言ったけれども、首相は一向にやらなかった。副総理・国家戦略担当相の菅(直人)さんにも同じことを言っておいた。民主党の中枢は、みんな財政のひどいのは知っているが、彼らがジレンマに陥っているのは、財政がひどいということを言うと「マニフェストはできません」ということを言わなきゃならない。
 今でも「マニフェストはやります」と言っているが、やれる状況ではない。全部凍結しても財政はなかなか再建できないくらいに厳しいので、そこを最初に語れば国民が分かってくれる。その一番いいチャンスを失い、予算編成に入ってしまった。政治は現状を見て見ぬふりをするとか、パフォーマンスでものを言うべきでない。

尾形 民主党にとってマニフェストは財政状況よりも比重があるようです。

武村 民主党政権はそちらを重視した。民主党の候補者はそれをPRしてきた手前、国民との約束を見直すとか、ましてや凍結するようなことは言えない。それは分かるが、この国はそれを超えるくらいの重大な財政状況だということを国民に知ってもらわないと、これから何もかもうまくいかない。

尾形 それを言い出すと、「約束が違う」と反撃を食らう心配が大きい。

武村 自信がないんでしょうね。でも反撃が怖いどころの状況ではない。本当にこの国の政権を背負うというなら、財政が破綻し火の車のままで仕事をやれば、一層火を燃えさせることになる。消費税だって4年間は上げないと言ったことも、財政再建の面からいっても撤回しなければならなくなるだろう。そのくらいの重い燃え盛る火を民主党は背負った。

▽身近な行政は国と地方が一体で

尾形 首相も藤井財務相も最近は多少、マニフェストの縛りを緩め出した感じもします。

武村 人によって取り方も選ぶ道もいろいろあるのかもしれないが、私は、これは協議すると余計に難しくなって、一層、不正直な道を歩いていくことになると思う。一旦、甘い姿勢で最初の予算編成をすれば、翌年もその翌年もその道は容易に変えられない。今なら自民党政権が代わったばかりだから国民はかなり大目に見てくれるけれども。

尾形 今ならね。

武村 そういう意味でも、就任した直後が(軌道を修正する)一番いいタイミングだ。
 滋賀県という小さな器の話なんだけど、私が35年前に滋賀の知事を預かった時に、滋賀の財政はガタガタだった。就任した翌月の県庁職員の月給も払えない。「県庁の金庫が空っぽ」という記事が出たくらいの状況だった。
 そこで最初の予算編成をやったんだが、私は96項目の公約を全部凍結すると宣言、県民にお詫びをした。「せっかく知事に選んでいただいて、たくさんの約束をしたが何ひとつできません。できないどころか、今までの県政がやってきたことも相当、削らざるを得ません」と。補助金の2割カットや職員の給料カット・2号俸ダウンを一挙にやった。マスコミは「お詫び付き予算編成」と報じた。小さな経験だが、最初から正直にやったことで2、3年で財政が好転した。職員組合の反発はあったが、最後には了解してくれたのが、今でも忘れられない。

そういった経験をしたから、それと重ね合わせながら鳩山政権の最初こそがそういうことができる最大のチャンスだと私は思っている。どうも民主党政権は、そういう姿勢でやれそうにないから残念に思っている。

尾形 マニフェストについて「純粋すぎる」という気もしますが。

武村 純粋というのは間違いだ。ずる賢いやり方だ。彼らも財政状況がどれだけひどいかを知っている。それでもマニフェストにこだわる。

尾形 ずるいですか。

武村 自転車操業でサラ金に手を出しているような親父が、借金だらけでどうしようもないのは分かっているのに、子どもたちに「外国に連れて行ってあげよう」とかね。家を建て替えると約束しているようなもの。「子ども手当」は、そういう類だと私は見ている。そんなものは純粋ではない。結局そのツケは国民に回ってくる。
 本来、子ども手当のような身近な行政を国と地方が一体になってやる方がふさわしいと思う。今までの子ども手当は調べたら国の負担が25%。53%は地方が持っている。あと、10何%は企業が負担している。自民党政権ですら、やり繰りしてやっと月5,000円くらいの児童手当を支給している。それを民主党はいきなり「月26000円、中学生まで出す」と大風呂敷を広げた。しめて5兆4000億円の財源は無駄の削除、予算を組み替えでやるという。無駄がそれだけあれば結構な話だが、そんなカネが出てくるはずがない。無駄の節約だけで幻想を抱かせて、それがどうも難しいのが分かってきて地方負担を言い出した。地方から猛反発が起こるのは当然だ。

尾形 首相は「国が面倒見る」と明言しています。

武村 鳩山さんはまだ分かっていないから断固公約を守ると言っている。もう一つのガソリン税などの暫定税率を廃止すると歳入から2兆5000億円も穴が空く。簡単にできる話ならドライバーは喜ぶが、国の財政に穴を開ける余裕など全くない。どうするのかと思って見ていたら、環境税とか酸素税を上げるとの話が出てきた。
 結局、藤井さんは穴埋めしないとやっていけないものだから、そういうことを他の大臣に言わせているようだ。

尾形 今年度補正予算の見直しで2兆9000億円程あぶり出しました。

武村 民主党はいかにも無駄を削除したかのような言い方をしているが、あの中に無駄ってあまりなかった。麻生内閣のにわかづくりの景気対策予算でその中に、基金が30いくつかあった。基金は3年間くらいの予算を前提に積まれていたから、来年と再来年の2年分を全部削った。それから、国や出先機関の建物の改築を全部止め、まんが館も止めた。これらが削減の大半で、本当に無駄というものは、言うほどなかった。にわかづくりの大盤振舞いの景気対策予算だったから29000億円を引き剥がすことができたが、この勢いでもっと他のところもドンドン切れるという状況ではない。

尾形 削減したはいいが、二次補正予算の話が具体化した。

武村 景気対策でブレーキをかけたのだから、当然、二次補正で頑張らないと景気がガタつく。

▽政治主導の名の下に…

尾形 そういう難しい状況になると、鳩山内閣と霞が関官僚との関係はどうなりますか。

武村 鳩山さんは官僚との関係も何か発言がよろめいているというのか、一貫性がないという感じがする。基本的には官僚が出すぎていた、政治に介入しすぎていたところを正すのは正しいと思うし、また本来、政治家がリーダーシップをとるというのも、これも正しい。民主党の言っていることの基本は、あながち間違ってはいないが、ただ何か勢いよくて、官僚が諸悪の根源で官僚を否定すればいいと言わんばかりの言い方を一時はしていた。そのうち脱官僚になり、最後は脱官僚依存になったので、言葉だけでも3回変わった。脱官僚依存でも、それでも天下りは全面的に禁止すると勢い込んでいたが、日本郵政の社長に元大蔵事務次官の齋藤次郎さんなどを抜擢したし、人事院総裁も元厚労事務次官に決まった。国民から見ても分かりにくい。

むしろ官僚なるがゆえに、全て排除するような考え方の方が間違っていたと私は思う。政権というのは、官僚をよろしく使うしかないし、官僚をむしろ元気付けてやる気にさせて、どう協力させて仕事をしていくかだ。最終責任は政治が負うということで、政と官が協調をして初めて仕事がドンドン進む。全面的な反官僚的な言い方が間違っていた。でも、国民に、(官僚の悪さ)を植えつけた罪は民主党にある。
 それならもう少し分かりやすく修正すればいいのに、何か「役所の斡旋する天下りは止めた」とか。では、政治が斡旋するのはいいのか。私は役所の斡旋よりも政治の斡旋の方がもっといかがわしい場合が、これから出てくると思う。民主党は野党暮らしが長く、やっと政権に就いたのだから、野党時代の言ったことを修正したり方向転換してもいい。正直に、「野党時代の発言は間違いを認めたり、甘さを反省すると転換すればいいと思うが、そうしないで強弁するのは良くない。

尾形 霞が関依存が強すぎた自公政権の裏返しで、鳩山首相が官僚依存を嫌った。

武村 世論もマスコミも官僚に対して非常に厳しい時代がここ10年ぐらいは続いていた。民主党が官僚批判をやったのは分かるが、でも私も過去のことを思い起こすと、政治主導の政治で間違っていることもたくさんあった。財政赤字なんかは、大蔵官僚に任せたらこれほどひどくはならなかった。絶えず自民党が介入して歳入を考えず歳出ばかりを政治主導でやったから、こんな巨大な赤字ができてしまった。財政赤字は、政治主導の最悪の姿。

私の経験で言うと、私はいわゆる金丸訪朝団(19909月)の事務局長として北朝鮮に行ったが、戦後賠償という国際法上も非常識な北朝鮮の主張を金丸団長が了承した。敗戦国の日本が、国交が不正常だったのも日本の責任だと賠償請求をオーケーした。これも政治主導の名の下になされた。戦争が終わってからの戦後の賠償なんてあり得ない。帰国したら案の上、散々叩かれた。あれはまさに政治主導の外交だった。
 私は今、自分の反省も含めて、政治主導の失敗談をあえて語っている。政治主導で失敗したことは他にもいっぱいある。政治主導だから良いなんて単純なものではない。官僚は専門家。政治家は素人。国民から信託を受けている政治家が主導するのは正しいが、物事をどれだけ知っているかということで言えば、官僚はそれぞれの分野でのプロフェッショナルだ。政治家は、外交から安全保障、経済、福祉などみな興味があるが、広く薄くしか知らない素人集団だ。
 その素人集団と専門家集団がどう上手く協調するかが大事で、素人の政治家が何もかもものを決めて指導したら大間違いをしでかすことになりかねない。

尾形 金丸さんで思い出すのは、在日米軍に対する「思いやり予算」。これも金丸さんの造語でした。

武村 あの発想は金丸さんではないと思う。あの人は言葉を分かりやすく面白いネーミングをした。発想は竹下元首相か、外務省かもしれない。

▽地方への思いやりに欠ける

尾形 各省で政務三役が頑張っています。

武村 私は拍手を送る。大いに頑張ってほしいと思うけど、政務三役がオールマイティだと思ったら間違える。「素人の政務三役」と言った方がいい。やはり専門家である官僚の参加もあって、官僚の知恵もドンドン入れながら議論していかないと、素人が終始協議したからといって素晴らしいとは言えない。

尾形 国と地方の関係はどうなるでしょう。

武村 今の民主党政権は発足してまだ日も浅い。この間の政治の運びを見ている限りは、民主党新政権が地方分権に理解が深い政権だとは言い切れない。むしろ、中央集権的な匂いさえしかねない面もある。
 彼らは意識していないのかもしれないが、例えば八ッ場ダム(群馬県)の中止もあれだけ地方で数10年かかって進んできたひとつの考え方を否定する。公共事業は大胆に見直しした方が良いと思っているが、八ッ場ダムは地方で血の滲むような想いをしてきているわけだから、いきなりマニフェストに書いてあるから止めますと言っていいことか。その言い方はあまりにも地方に対する理解が欠けていると言わざるを得ない。

尾形 八ッ場ダムと川辺川ダム計画(熊本県)は大型公共事業見直しの突破口と言われています。

武村 二つが突破口であれば、「党はマニフェストで止める方向を打ち出しているので中止の方向で努力したいと思うが、何と言っても地元と対応をさせていただきたい」と幅を持たせて語るべきだった。地方に対する思いやりが、これはこの場合は全くないようなスタンスだった。
 子ども手当や高校の授業料無料化のような身近な政策は、地方を通さないと仕事が進まない。場合によっては地方の負担も含めて地方と協議して進めるのが基本だ。それに慣れていないものだから、何でもポンポン中央で決めればいいという感じすらする。「集権的な匂いがする」と言ったのはそういうことだ。
 暫定税率だってあの中には8000億円という地方の道路財源が入っていたわけだから、廃止すると言われたら地方はものすごく心配する。だから単純明快はいいけれど、地方に対する温かみ、思いやりが十分ではない。各大臣とも地方への気配りをした方がいい。

▽国と地方の協議の場で何を決める

尾形 国と地方の協議の場を、今度は法律で裏打ちすることになります。ただ、知事の中には地方に政策の拒否権を持たせるよう主張している人もいます。国政と地方行政が複雑に絡み合うことになりかねません。

武村 国柄をかなり大胆に変えるくらいの決断をしないとできない話かもしれない。例えばドイツの参議院は地方の代表で固定されている。参議院はいわば地方の世論を代表する第二院という形で、第一院で通ったものが時々否決されたりする。そのくらい国政のど真ん中に(地方が)入っている。民主党の公約以上の協議機関だ。
 日本はどの辺を目指すのか。今までの状況からいきなり拒否権を持ったようなものができるとは考えにくいが、地方がそう言うのも無理はない。ただし、それでは事が決まるのか。

尾形 協議の場は地方の代表を含めて当面する問題について閣僚と話し合う場です。

武村 でもその奥は法律マターだ。政府と地方自治体が協議するにしても、最後はどちらも結論を議会にかけなければならない。権限だって税源だって全部、多くは法律に書かれているから、協議で整ったらみな法改正をしなくてはいけない。
 法律で協議会を裏付けることはやっていいと思うけれども、所詮それでどうするのか。そこで決まったことが法律の上位に立つわけにはいかないから、協議で決まったことを国会に運んで国会でまた法律の修正を全部しなくてはいけない。

尾形 そこまでを想定した協議の場なのかなという気がします。首相も全国知事会の代表に「法律でもって国と地方の協議の場をちゃんと早めに立ち上げる」と言っていますが、では協議の場でどんなことを話し合って、その協議の場で出た合意だとか決まったことがその後どうなるのかということが現時点では分からない。

武村 首相も総務大臣も法律で協議会をつくるということまでは一応、了解している。問題はその法律の中身、協議会の中身だ。中身まで議論していないから、そこで拒否権があるかないかもあるし、そこで決まったこと、協議が整ったことがどういう効果を持つのかということがまだ全然議論されていない。

尾形 その辺りが全然聞こえてこない。

武村 協議機関は法律を超える存在ではないから、必ず法律事項は全部国会にかかる。じゃあ協議会には議会代表も入れるかとか、いろいろな議論が起こるかもしれない。

尾形 民主党の閣僚はリップサービスが多いような気がします。

武村 過剰とまでは思わないが、(閣僚は)ポストに就いてかなり勢い込んで率直にものを言っているというきらいはある。率直さはいいが、やはりひとつひとつをものにしていくには、結構その背景は複雑だし根が深いから、各論を具体化する問題であちこち壁にぶつかるところまで読んでいっているのかな、というところはあるかもしれない。

▽勧告の扱いの責任は政権に移る

尾形 地方分権改革推進委員会(分権委)がこの3月で任期を終えます。安倍晋三内閣の下で発足し、これまで福田、麻生首相、そして昨年11月の鳩山首相と前後4回の勧告をしました。勧告は国と地方の役割、国の出先機関の統廃合、義務付け・枠付け、税財源の配分などについて改革の指針を示しましたが、分権委の提言は尊重されたとは言えません。委員会論議を振り返ってどんな感想を。

武村 委員長の丹羽宇一郎さんは、よく考えてものをおっしゃる人だと思って一目置いている。商社マンでこられた人だから地方自治のことは専門家ではないが、短期間によく勉強されて勧告をなさった。だが、自公政権の福田、麻生首相は勧告をうやうやしく受け取ったが実現には程遠い。
 地方支分部局の統廃合などはすっきりした勧告だったが、統廃合は建物だけ。合同庁舎を建てて終わりという感じで、ちっとも縮小するような雰囲気は見られなかった。鳩山政権が勧告をどう扱うかにかかっているし、これからは政権の側に責任が移ると思う。

尾形 麻生首相に提出された第二次勧告のポイントは、国の出先機関の統廃合でしたが、政府の工程表では全部先送りだったし、義務付け・枠付けに対する各省庁の回答はゼロ回答に近かった。鳩山政権は、そうした強い抵抗に真正面から向き合わなければなりません。

武村 これまでの民主党の主張から言えば、当然引き継いで一定期間の間に真剣に取り組まなければならないし、迷う余地は残されていない。その道は険しいが、受けて立たざるを得ない。

尾形 原口さん(総務相)は、先に審議会方式の分権委員会を発展的に解消した新組織を設けて改革にスピード感を持たせると言いました。そして、鳩山首相を議長とする地域主権戦略会議を設置しました。戦略会議は首相をはじめ副議長の総務相ら関係閣僚、自治体の首長、有識者らで構成されます 首相は「地域が頑張っていける国に変えていくスタート」と言っています。

武村 組織遊びを今さらもう語らない方がいいと思う。総務省の中にきちんと局があるし課がある。そこを動かしたらできるはずだ。

尾形 戦略会議ができても、多忙なメンバーは法律の細部まで議論して詰める時間と肝心の専門性を持っているのか。より機動的な組織というが、それが機能するかどうか疑問だ。

武村 地方支分部局の統廃合などという言葉は、私が旧自治省に入った頃からも言われていたし、地方制度調査会も何度も答申を繰り返してきたが笛吹けど踊らずだった。丹羽委員会の勧告が新しいわけではない。なぜこれまでできなかったかということに目を向けたら、また新たな組織をつくるとか、新たな人を選んでもう一回検討してもらうとか、そんな段階ではない。やるかやらないかということだ。やるための組織はきちんと今の行政組織の中にもある。

尾形 鳩山首相は所信表明演説で「地域主権」を繰り返し強調しました。ですが、「地域主権」がどういう意味なのか、分権とどう違うのかピンときません。

武村 分権は、国の権限の一部を地方に分けて与えるというイメージがあるが、地方自治はもっと地方を自立させるという主体的な意味がある。言葉のニュアンスとしてはいいので使われているが、鳩山さんが初めて言った言葉ではない。表現の選択の話だ。「分権」か「主権」かは、政治的な意味が込められた言葉だと思う。

▽政治・自治の原点は町内会にある

尾形 古い話になりますけれども、昭和40年代半ばは列島の大都市が革新自治体に占められた感がありました。太平洋革新ベルト地帯です。仙台、東京、神奈川、横浜、大阪、京都、福岡などの都県市です。そして、当時の政府と自治で互角の闘いを繰り広げました。
 ところが経済の停滞・低迷に歩調を合わせるように革新自治体が先細りになりました。自治体財政の困窮が、政府の財政面からの締め付けで一段と深刻化し、自治問題が下火になった経緯があります。
 翻って今日も、一昨年来の経済危機で自治体の分権改革に対する取り組みの熱気が弱くなったようです。

武村 私も革新ベルト地帯の時期の終わり頃に滋賀県知事になった。当選した時は「革新知事誕生」とデカデカと報道された。近畿ブロックの知事会に行くと京都の蜷川さんがいる、大阪の黒田さんがいる。東京へ来たら美濃部さんがいる神奈川の長州さんがいる、そういう時代だった。
 その中で私も革新の最後に出てきたような一人という見方もされたが、私は自分では革新と言わなかった。先ほども言ったが、県の財政危機で仕事を始めたものだから、皆さんのように予算をばらまくのとは逆に予算を切る登場だった。私は「草の根県政」という表現をして最後まで通した。
 それで当時、民主主義の原点みたいなことを見つめようと思って行き着いたのは町内会だった。滋賀もわりあい古い地域なので県内には3000くらいの町内会があって、それが今なお生きづいている。地域の祭りごともやるし、川掃除とか道普請とかもやっているし、町内会費を集めて自治会長を選んで政治をやっている。百パーセント補助がないから自分たちのカネか労力奉仕で町内の問題を片付けている。これが本当の自治の原点だ。

市町村や県は大きすぎて分からなくなる。だから住民は要求するだけ、観客席で拍手しているだけ。国政もそうだが、地方行政でさえ大きすぎるから遠い存在になっている。本当は町内会に政治の原点があるし、自治の原点があるというのが私の認識だ。一番分かりやすく、一番小さいが自治の原点というものに、もう一度目を向けてそこから地方自治の議論を再スタートする必要があるんじゃないか、と今でも思っている。

尾形 自治の原点は町内会だ、と。

武村 私はそういうささやかな町内会長を1年経験してみて、すべからく政治家は市町村会議員から国会議員まで、1年くらい町内会長をやるべきだし、県職員も市町村職員も1回か2回町内会長をやったらいい。そして公務員の仕事をやれば、自治がどういうものか理解できるし日本の民主主義のレベルも少しは上がる。町内会はある意味で民主主義の学校だ。

▽継続がないと地方自治は実らない

尾形 旧自治省の官僚から知事となり、さらには国政で官房長官として政界再編の渦中に身を置きました。そして、町内会長までやって自治の本質を体験された。分権改革に忙しい知事に言いたいことは。知事会をはじめ、地方6団体は先の衆院選から政治パワーを発揮し始めました。

武村 県の仕事って、大抵は知事が代わるとユニークな事業はやめてしまう。公務員の性として空気を変えようとする。政策を変えないと、自分たちの独自力が出せないから、すぐ名前を変えたりとかしてしまう。これは地方自治にとってマイナスだ。

尾形 前任首長の考えを引きずるのは嫌なものですか。

武村 私は前任者とケンカした。私の後を見ていると、私の後継者だったが同じことをやっていても名前を変えたり、少しずつやめていった。知事が代わったら、企画部門は新しい知事に気に入られるようにその名前を変えたり、知恵を出す。それで新しい県政を演出する。
 しかし結局、地方自治の仕事を見ていると、大事なことは2030年継続しないと実らないものが多い。それが4年や8年でポンポン変えられたらユニークな大胆な政策というのは花咲かない。
(「地域政策」2010年新年号)