【平成合併の検証】

◎対照的な二つの報告書

 先日のことだが、全国町村会がまとめた「『平成の合併』をめぐる実態と評価」が届いた。昨年10月から今年3月にかけて「道州制と町村に関する研究会」が調べた労作である。
 合併したところ、合併を見送ったところを合わせた17市町村に事務局職員が出向いて首長や元首長、自治体職員、議会関係者、それに地域づくりに携わるNPO関係者らから直に話を聞いたものだ。
 現場の声を聴取して明らかになったのは、国が総力を挙げて進めた平成の大合併が「地域共同社会」の取り組みの重要性を見落としていたのではないか。地域再生には、この「共同社会」をいかに維持・再生するかを念頭に置くべきだ―と結論づけていることである。

 平成の大合併については様々な論議が交わされている。
 地方分権改革の道程としての必要論が、とりわけ東京・霞が関や永田町で大きかったし、将来の道州制をにらんで避け難い自治体の再編とする主張が大半だ。
 一方で長い時代を経て培われた地域の特性が、行政の合理化・効率化で失われる現実を危惧する声が多いのも事実である。分権改革がいつの間にか国の財政危機を乗り越えるための手段にすり替えられてしまっているという批判だ。
 その違いを際立たせているのが、今回の全国町村会報告書と総務省の「市町村の合併に関する研究会」が今年6月に公表した「『平成の合併』の評価・検証・分析」だろう。読み比べると、平成の大合併に潜む問題点が浮き彫りになってくる。
 
 二つの報告書の分量にさほどの違いはないが、町村会のそれは匿名ながら現場の生の声を紹介しながら合併を検証していることだ。いろいろな事情から合併しなかった町村をめぐる状況も同じように具体的に記述されている。
 「匿名」に若干の不満はあるが、国や都道府県との関係を考えれば、匿名でしか本音が語れない地域の事情は十分理解できる。国と都道府県、市町村の「上下関係」をなくすのが地方分権とはいうものの、地方行政・地域行政を担う立場からの互いの関係が「言うに言われぬ微妙なもの」であることに違いはない。カネ、モノを取ってみても「対等な関係」は現実にはない。
 合併は地域に何をもたらしたのか。
 町村会の報告書は合併のプラスとマイナスを検証すると同時に、合併を選択しなかった町村の可能性についても具体的に論じている。
 その上で、合併推進の問題点として冒頭に記したような課題を挙げている。

一方の総務省研究会の報告書は全体の3分の1強が合併に関する調査資料という、総務省ならではのデータが示されており、「生の声」を中心とした町村会のそれとは対照的でさえある。
 総務省研究会報告は、まず「はじめに」で「時限法の合併新法の期限が平成22年3月に迫っている」と注意を喚起し、平成大合併が必ずしも想定どおり進んでいない現状認識を示した。その上で、合併の効果は「合併後数年しか経っていない現時点においては、短期的な影響の分析に止まらざるを得ない」と直接的な言及を避けた。
 しかし、報告は最後の「合併新法下における今後の市町村合併のあり方」で、合併進捗状況に対する自治体の取り組みが十分なされていないという認識を示している。

二つの報告書の違いを端的に言うなら、町村会のそれが平成の大合併の問題点を重視しているのに対して、総務省研究会の報告書は可能な限りのデータを駆使して合併の更なる推進の必要性を説く〃官製報告書〃の色彩が濃いことである。
 格差社会が全国的規模で顕在化している中で、地域活性化を目指す様々な努力がなされているが、活性化と地方自立の兼ね合いが問われている現実も忘れてはならない。
 合理化・効率化が地方の疲弊につながったことは事実である。広域行政の名の下に地域が元気をなくしてしまうようなことになっては、何を求めた行政なのか分からなくなってしまう。
 土俵を広げることだけが行政の効率化を意味するものではない。広さと住民の安心・安全の生活は非対称である。全国を画一的な線引きで組み直す発想は、分権改革の趣旨にも反する。
 平成の大合併は、今こそ全国的なレベルで本音の論議をしなければならない時期である。

081030日)