「再見……わが町」南伊勢町

愚直な努力が絆をつくった

山の南斜面に広がるミカン園は、今年も味の濃い温州ミカンを実らせてくれるはずだ。夏の暑い日差しをいっぱい浴びるミカン園で聞こえてくるのは、時折飛び交う野鳥の声ぐらいしかない。枝に下がったミカンの実は、まだ濃い緑色で大きさも直径2―3aだが、10月半ばからの収穫期には黄色い見事なミカンになるという。ミカンの木ごとに持ち主の名札が幾つも掛けられていた。静かでのどかな光景は、訪問者に農山村の原風景を思い起こさせる。
 だがミカン園は、周囲を金網の囲いや電気柵で囲まれていた。一見のどかに見えるが、いつも野生動物の食害にさらされているのだ。
 ミカンの木の持ち主は、遠くの都市部に住む家族やグループ。園の維持管理は地元のボランティアが担う。地域おこしと都市住民との交流、そしてそれを支えるボランティアの目に見えない努力が見事にかみ合った現場が三重県南伊勢町にあった。

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「五ケ所湾ふるさとの会」という民間のボランティア組織ができたのは、もう26年も前のことだ。町の若者たちが「何かおもしろいことないか」と語り合ったのがきっかけで活動が始まり、今では会員が県内外の百家族にまで大きくなった。ほかに、数十人を超えるスタッフ・協力者がいるから、ボランティアとしては一大組織に成長した。
 「ふるさとの会」立ち上げに奔走、事務局長を務める中島幸一さんの話だと、最初は地元の産物やよそに誇れるものをどう発信するか、そして町外とのつながりをどうつくるか悩みは深かった。思いついたのが、特産のミカンだった、と言う。
 「ミカンの木は生長する。持ち主になってもらえれば絆ができる」
 ふるさとの会が運営するミカン園は、町の中心部から北に車でおよそ十数分の五ケ所浦神津佐広地区にある。広さは1fほどだ。ミカン園の管理は楽でない。鹿やイノシシによる被害が続発し、群れをなすサルも難敵だし、果実の食べごろを狙うカラスも始末におえない。それと、季節ごとに施肥もしなければならない。「会員に収穫を楽しんでもらえるよう1年中、ミカン園の管理に手をかけている」と中島さんは言う。土地(地元)と外(県外)の絆を守り続けるには、どうしても欠かせない仕事だそうだ。
 「土の人」と「風の人」の交流会が時々開かれている。「土の人」は地元に住んでいる人。「風の人」は町の魅力に引き込まれるように町外から移り住んだ人のことだ。交流会の話を通して町の良さを再発見し、地域活性化につなげようと話しに熱がこもる。
 交流は一日にして成らない。2526年もたつと、家族に歴史があるように「ふるさとの会」にも新しい仲間が加わり、新しい歴史が始まっている。「亡くなる人もいたが、生まれた子が大学生、社会人となってやって来る。新しい仲間が来てくれることがうれしい」と中島さん。

会報「はまぼう」は、この10月に第128号が出る。五ケ所湾を挟む集落の生の動きを毎回伝えている。苦しいこと、楽しいこと、地域の人間模様、ありのままの生活が写真入で4nの印刷物となって届けられる。新聞でいう「地ダネ」である。
 題字の「はまぼう」は、アオイ科の植物ハマボウから取った。ハマツバキとも呼ばれる黄色のハイビスカスのような花をつけるハマボウの、本州最大級の群生地が町内の伊勢路川河口にある。
 中島さんが営むレストランは「ふるさとの会」の事務局を兼ねるが、町内外の音楽好きが集まる音楽の広場にもなる。2カ月に1回開くコンサートではクラシックギター、ジャズ、フォークソングなど思い思いの曲が響く。おやじグループの意気をアピールする場でもある。働くだけではなく、楽しむことで活動のエネルギーも湧いてくるというわけだ。
 数年前から活動を始めた3040代の「Gソウル」は、若い力が地域活性化に本気になりだした表れだ。「G」は五ケ所湾の頭文字、「ソウル」は魂。五ケ所湾の魂を燃やそうというものらしい。
 南伊勢町は伊勢志摩国立公園の南玄関に当たり、俗に「奥志摩」と呼ばれる農漁業の町である。伊勢神宮の自然林から続く森は、荒々しさの中に自然美がたまらないリアス式海岸を包み込むように広がる。多彩な自然が育んだ農村と漁村文化が混ざり合った特性はかけがえのない町の宝だ。町の財政は厳しい。だが、住民の活性化にかける活動は、そんな現実を忘れさせる情熱に満ちている。                         (尾形宣夫)