20091123

【引っ越し】(ブログ)

◎変色した資料に時代が蘇る

 自宅の建て替えで隣の借家に移った。古い家は解体業者の手で取り壊しが始まったが、20数年も住んだ思い出の多い家だから感慨がないわけではない。小さかった2人の子どもたちはこの家で成長し、今では親元を離れて独立し、それぞれの生活を精一杯生きているようだ。
 引っ越しの大部分は運送業者に頼んだが、隣の家を借りられたからタンスなどの大きな物はともかく、衣類や食器の類はかみさんと2人で小まめに移した。それにしてもこんなに家財道具が多かったとは…。まだ十分使えるものもあったが、後先を考えてかなりの量を廃棄物として処分した。
 それでも一軒家の借家の納戸はダンボールが天井まで積み重ねられ、リビングも寝室もダンボールの壁が連なっている。文字通りうず高く積み上げられた荷物の間で窮屈な仮住まいの生活が始まったのである。
 新居は新春の3月末の完成を予定している。その頃には庭の梅(オモイノママ)が咲き誇り、もう少し後には鎌倉山の桜並木に多くの花見客がやって来るはずだ。富士の姿も、これまでとは違う輝きをみせてくれるかもしれない。

引っ越し荷物をまとめていると、思いがけない発見もある。
 共同通信の編集委員時代に多くのエネルギーを注ぎ込んだ、沖縄問題の原点ともいうべき沖縄の本土復帰(
19725月)前後の混沌とした世相を思い起こさせる変色した新聞のスクラップや文書類が「忘れないでいてくれたか」とばかり語り掛けてくるようだ。
 民主党政権の誕生で、この沖縄問題が普天間飛行場の返還・移設となってのっぴきならない政治問題となって浮上している。本ホームページの巻頭でも記しているが、普天間問題は予想通り再燃してしまった。
 沖縄問題では、本土復帰前後を振り返ったセミドキュメンタリー風の私小説が未完成のまま置いてある。登場人物は仮名だが、基地問題と経済振興策で活躍した実在の人物だ。原稿の下地には、本ホームページの「普天間事案」を具体的に取り込んでいる。
 沖縄問題と並んで、あるいはそれ以上多いのが地方分権問題に関する資料だ。第一次分権改革の始まりから、直近では地方分権改革推進委員会の第四次勧告(最終勧告)に至る分権改革の歩みが、全国知事会など地方6団体の資料とともにダンボールにびっしりと詰まっている。
 沖縄問題に比べれば分権改革は歩みは遅いが前進した。個別、具体的な問題は山積するが、分権改革は今や止められない大きな流れになっている。ポスト小泉の安倍、福田、麻生各内閣は、お世辞にも分権改革に真剣に取り組んだとは言えなかった。族議員の跋扈、霞が関官僚の抵抗は時の内閣の指導力をあざ笑うように改革に立ちふさがった。

先の衆院選で地すべり的勝利を手にした民主党の分権改革に対する取り組みは、前の歴代政権とは比べものにならないくらい前向きだ。民主党は「地方分権」を「地域主権」と言い換え、改革の指針に位置づけた。権限を地方に移譲するのではなく、地域が主体的に物事を決定するという意味だ。
 分権だろうが地域主権だろうが、言葉を云々することはあまり意味がない。要は地域が自立できる社会システムを実現することだ。

引っ越しの準備から始まって今月初めから細々しい用事に忙殺された。楽しみにしていた同志社大学での日本自治学会の研究会に参加できなかった。研究会で交わされる論議の中身もさることながら、晩秋の京都を楽しむ機会をなくしたことを悔やんでいる。
 本稿も雑然とした山積みの資料の狭い部屋の隙間で書いている。ようやく、パソコンに向かってキーボードを打つ時間が出来たことを喜んでいる。(尾形)