【普天間の混迷】

◎問題の本質を忘れるな

米側の脅しが効いたのか、あるいは如何ともし難い問題の難しさが分かったからなのか、岡田外相は会見(23日)で普天間飛行場の県外移設を断念する意向を明言した。
 2006年に日米が最終合意した普天間移設に「詳細な検証」を主張して譲らなかった外相の方針転換は、新政権の安全保障問題に対する認識の甘さを浮き彫りにした。ASEAN首脳会議出席で不在の鳩山首相がどのような考えを示すか分からないが、来月中旬のオバマ米大統領来日までに大筋の方向付けが固まると見て間違いないだろう。
 だが、外相の方針転換がどうして出てきたのか。外相の真意は後日明らかになるとしても、解せないのは「県内移設容認」だけが独り歩きして、沖縄に象徴的に表れている基地問題の本質が脇に追いやられていることである。何が問題なのかを、簡潔ながら順を追って考えて見る。

米側の攻勢

鳩山内閣は衆院選でのマニフェストに沿って、普天間飛行場の県内移設に否定的な考えを示してきた。強硬に普天間の県外移設を主張する社民党を連立政権にとどめるためにも、日米合意の見直しをにじませる必要があったからだ。
 政権交代で、米側も民主党の主張にある程度の理解を示していたが、鳩山内閣が予想以上に見直しにこだわったことを懸念し、強硬姿勢に転じたのである。
 米国と同様、日本も政権が交代した。米側にすれば、自公政権時代の合意とはいえ、足掛け14年もの歳月をかけてたどり着いた努力が無為に帰すことは、日米同盟関係を傷つけるだけではない。米国の世界戦略にも甚大な影響を及ぼすからだ。
 米側からは、先月のキャンベル国務次官補に続いて今月に入ってからもゲーツ国防長官が、そして米軍の制服組トップのマレン統合参謀本部議長が直接乗り込んで岡田外相や北沢防衛相らに「現行計画以外に選択肢はない」と直談判に及んだ。マレン議長は会見で、現行計画を振り出しに戻すようでは「安全保障の提供が困難になる」と日本側をけん制した。

 これに対して日本政府は、首相が「焦ることはない」とおう揚に構え、外相も日本側の政治状況を挙げて解決にはある程度の時間が必要だとの認識を示していた。政府が懸念する政治状況とは、先の衆院選の沖縄選挙区で県内移設を容認する保守系候補が全滅したこと。それに加えて、社民党を連立の枠内に引き止める配慮が働いた。
 だが外相の方針転換は、もはや日米合意を実質的に反故にするような対応はできないと悟ったからだろう。
 仮に「見直し」を言い続けたとしても、その先に見通しがあるわけではない。結局、このままでは普天間移設は凍結となり、沖縄の基地問題は方向性を失ったまま漂流せざるをえない。県民の過重な基地負担の軽減は何も達せられないまま県民の政府不信が膨らむだけで、政治的には何ら得るものがない最悪な結果になりかねない。事ここに至っては、最終的に鳩山首相がどう政治判断を下すかを見守るほかはない。

脇に追いやられた問題の本質

ところで、ここで注意しなければならないのは、普天間飛行場の日米合意をめぐる両国の論議が、ともすれば普天間移設の是非だけに問題が偏っていないかということだ。移設是非の問題と同時に、日米同盟関係のあるべき姿にもっと注意が払われて然るべきではないか。
 つまり、合意の履行を強く迫る米側と、安全保障問題の現実に対応が揺れる日本という構図だけで問題を見ることの危うさである。同盟関係のあるべき姿と言っても、陳腐な民族主義的な役回りを考えているわけではない。
 岡田外相は、06年の日米合意の経過を詳細に検証すると言った。その背景には、1996年に日米両政府が合意発表した、5−7年以内の普天間飛行場の返還がどのような過程を経て今日にいたっているかということである。
 当初の「海上ヘリポート案」が、埋め立て方式による「軍民共用計画」となり、さらに06年合意の「V字型滑走路」計画で決着するまでの日米の交渉経過には、米国の北東アジア、世界戦略が色濃くにじみ出ている。
 日米安保体制の強化・拡充を狙った日米安保条約の再定義は、普天間飛行場の返還とセットでなされたし、沖縄の過重な基地負担の軽減は在日米軍再編という土俵の中で訓練施設の移転や海兵隊のグアム移転という形で計画ができ上がった。

政権交代の機会を生かせ

この間の日米交渉は、例えば普天間移設や代替基地の軍民共用化などで、日本政府から米側に積極的に働きかけた足跡はない。日米の外務、防衛閣僚クラスの協議でも日本側は「日米安保の重要性」を強調した後で、基地問題で「沖縄が求めている」と、間接的な言い方しかしていない。
 有り体に言えば、日本側は沖縄の言い分を米側に橋渡しをしただけということになる。沖縄基地問題を国内問題として考える意識が欠落していたとしか言いようがない。そんな中で、日本政府が唯一高度な政治判断をしたのは、2000年の沖縄サミット開催だ。
 首脳会議開催地としては最も不利な沖縄、それも普天間移設候補地として絞られていた名護市に白羽の矢が立てられたのは、当時の小渕首相と野中官房長官が普天間問題打開にかけて下した究極の決断があったからだ。
 こうした日米交渉の経過を抜きにして、日米合意だけを論ずるのは国益を考えない稚拙な見方であり、日米関係の進化につながらないということである。

 日米関係の重要性は論を俟たない。かといって、日米双方に棘のように突き刺さった基地問題を解決するには、両国が旧習にとらわれないで真摯に向き合うことから始めなければならない。互いに政権交代した両国は、まさにその機会を得たということなのだから。

091024日)