【嘉手納統合案】

◎岡田外相の真意はどこに

 普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の「嘉手納基地統合案」を言い出した岡田外相の真意はどこにあるのか、皆目見当がつかないのが大方の受け止め方だ。本人は@二つの基地が一つに集約されるA統合による騒音は現状以下が条件―と言い、米国に再度乗り込んでクリントン国務長官らに直談判する準備を進めている。
 鳩山内閣が沖縄の基地問題の問題点を洗い出して見直しを求めるのはいい。現行計画に解決すべき幾つかの問題点はあるが、常識的には普天間飛行場を名護市辺野古岬に移設する日米合意を振り出しに戻し、新たに嘉手納統合案の協議を始めるメリットがあるとはとても思えない。
 大体、米政府が本気で統合案を考えようとする気は現状では全く期待できないし、肝心の地元沖縄側が統合案を「藪から棒」と強く批判しているからだ。
 だが、外相の統合案を一刀両断していいものか。隠された狙いがあるのか。四面楚歌の外相が訪米してまで統合案を持ち出そうという意図を考えるのも一理あるのではないか。

「移設先は嘉手納基地」―で思い出すのは、1996年の返還合意発表直前に当時の橋本龍太郎首相が沖縄県の大田昌秀知事(当時)に電話で「返還合意」を伝えた時、沖縄県首脳らの脳裏に「嘉手納」の名前が浮かんだことだ。橋本首相は突然の連絡に戸惑う大田知事に「首相の私が決めたんだ」と、有無を言わせぬ口ぶりだったという。
 この返還合意後、移設先を巡って様々な候補地が取りざたされ、橋本首相発案の当初の「海上ヘリポート」は地元の反対で崩れ、その後、沖縄サミット開催という究極の政治決断で「埋め立て人工島」でほぼ決着したかに見えた。いずれも名護市東海岸の辺野古沖合、ジュゴンが生息するさんご礁のきれいな海である。
 せっかくの政治決断もサミット閉幕とともにあいまいとなり、埋め立て海上基地計画は挫折してしまった。
 沖縄県や地元名護市が普天間代替施設の移設受け入れ条件とした、代替基地を民間も利用できる「軍民共用化構想」と基地の固定化を避けるための「基地使用期限15年間」の約束が、日米の外交レベルで大きな検討課題とならなかったからである。
 米政府は当初から、「使用期限」は軍事常識的にありえないと否定的だったし、日本政府にも何が何でも沖縄との約束を米側に迫ろうとする熱意に欠けていた。こうした経緯を経て、在日米軍再編計画の中で折衝された結果が06年に最終合意した現行の「V字型滑走路」計画である。

96年の日米合意に始まる普天間飛行場返還の歩みを見ると、日米両政府の問題に取り組む姿勢の熱意はともかく、行きつ戻りつの繰り返しだった。岡田外相の統合案は、時計の針を14年前に戻すだけではない。普天間移設を根本からやり直すことを意味する。政権交代で民主党を中心とした連立内閣ができたからといって、基地問題の象徴的な普天間飛行場の移設をゼロからスタートさせることはあまりにも問題が大きすぎはしないか。普天間の現状凍結を意味することになるからだ。
 沖縄県知事や名護市長も猛然と反発した。「今さら何を言い出すのか」と。統合先とされた嘉手納町沖縄市北谷町読谷村は「どんな手段を使っても阻止する」と激怒している。
(つづく)

0911月2日)

(注)岡田外相の訪米計画は、国会日程と米政府の日程調整がつかず流れた(4日)。