【谷垣総裁の八ツ場ダム視察】

◎言葉に“重み”がない

自民党の谷垣禎一総裁が2日、群馬県長野原町の八ツ場ダム建設予定地を視察した。前原国交相が計画中止を明言してから、国と地元の関係がギクシャクし双方が歩み寄る気配は全くない。谷垣氏の現地入りは、こんな状況を見て事業がなぜ行き詰ってしまったのかを、歴史的な経緯を含めて地元の生の声を聞こうというものだ。
 地元との意見交換会で、大沢県知事や長野原町長らは、政府の計画中止の白紙撤回と事業継続を追及するよう谷垣総裁らに求めたのは当然だ。谷垣氏も冒頭のあいさつで、民主党は地元の声に耳を傾けず、手続き面でも大きな瑕疵があると鳩山政権を批判、国会で十分論議を重ねたいと強調した。

「おやっ」と思ったのはこの後である。谷垣氏は、民主党が主張する公共事業の無駄を省く考えに理解を示しながら、だからといって「特定の事業を血祭りに上げ、乱暴にやるのはいかがなものか」と語っている。この発言は民放の2日夕方のニュースや夜のニュースでも、本人の生の声で再三報じられているから気付いた人は多いと思う。
 谷垣氏が言わんとしたのは、民主党が主張するダム建設を中心とした大型公共事業の見直しの先兵として、八ツ場ダム建設計画の中止が決まったということだ。
 この「血祭り」発言を聞いて、八ツ場ダム問題の是非を越えて不快な思いをした視聴者は少なくなかったはずだ。谷垣氏は仮にも自民党再生を託されたトップリーダーである。意見交換会には地元の一般住民の姿はなかったとはいえ、知事や町長らを前にした公開の場での発言として適切な発言だとは、とても言えない。
 私の経験から言えば、こうしたきわどい発言は非公式な場だとか、気が置けない仲間内で語られるオフレコの「本音ベース」のセリフだ。いくらダム建設計画の推進派だけが集まった集会といえども、自民党総裁の立場で口にする言葉ではない。

「血祭り発言」の後、計画予定地を視察した谷垣氏は記者団に、八ツ場ダム問題のこれまでの歴史や経緯に触れながら、仮にダムがなくなった時の住民の生活再建には相当な課題がある、という認識を示したという。しかし、ダム建設の是非については明言を避け、「中止するにしても十分なプロセスが必要」と語ったと共同通信は伝えている。
 「血祭り発言」をした谷垣氏が建設の是非に言葉を濁し、「十分なプロセスが必要」としたのは何故か。「血祭り発言」は、前原国交相に拒否されて沈んだ気持ちを鼓舞する好意的な気持ちから出たのだろう。しかし、この発言は自民党の応援メッセージだと地元の推進派を元気づけたのは間違いない。
 自民党は衆院選大敗の反省から、「地方重視」を繰り返し強調している。八ツ場ダム予定地の視察もその一環だ。
 だが、谷垣氏の現地視察の言い方は一貫していなかった。「血祭り」と言ったと思ったら、自民党としては党内論議を重ねて具体的な対応を決めるという。明らかに過激な言い回しをトーンダウンした。
 党内論議を深めて問題に対応するということは、調整型・全員野球の谷垣流である。円陣を組んで「みんなでやろうぜ」と意思統一する、いかにも学生風で若者風な言い回しが好きな谷垣氏には、「血祭り」などという過激な言葉は全くふさわしくない。二度と使わないことだ。
 ダム建設推進派が集まった意見交換会という気安さもあって「自民党は味方」とリップサービスで言ったとするなら、リーダーの立場を忘れたあまりにも軽い発言としか言いようがない。

 「血祭り」などという言葉は、芝居の股旅物か、やくざ映画のセリフである。自民党総裁ならば、もっと重く、心に沁みる言葉で語りかけてくれなければ。

(0910月3日