【新政権の分権改革】=3回続き=

B「分権委の権限強化を」 完

 第三は「第二」とも関連するが、原口総務相が言う「タスクフォース」の役割だ。総務相は、タスクフォースの仕事の一つとして「分権委のこれまでの勧告の内容を精査する」と言った。総務相は就任時の会見で「勧告はしているが、実行されているのか検証しながら委員会のあり方を検討したい」と語っている。
 総務相は、委員会組織をもっと強化したいのか、あるいはまったく別の組織を考えているのかはっきりしないが、現行法の下での委員会に疑問を感じていることは確かだ。そこには、委員会に分権改革の道筋づくりを任せたまでるのがいいのかという問題意識があったのかもしれない。委員会に裁量が与えられ、内閣が委員会の勧告を「尊重する」建前があったとしても、永田町論理と霞が関の思惑を超える政治力を発揮することは橋本内閣以来なかったことも事実である。

 古い話になるが、橋本首相(当時)は法律を作って分権改革に官邸の政治力を発揮すると思いきや、 分権委員会(当時は諸井委員会)に中央省庁も受け入れられる「実現可能な勧告」を出すよう指示した。分権委の勧告には最初から限界があったのだ。言い換えると、分権委にはスタート当初から、踏み込んではいけない聖域が暗黙のうちに設けられていたことになる。
 そうした経緯を考えれば、新政権が「委員会形式」に疑問を持つのは自然だし、改革をさらに前進させるためには政治主導の新たな機関をつくると考えてもおかしくはない。総務相直属のタスクフォース設置には、そうした思惑があったのは間違いない。
 ただその際、注意しなければならないのは、政治主導を求めるあまり実務的な作業をどのようにやるのか確認しておかなければ、政治主導が掛け声倒れになりかねない。委員会形式をやめて国と地方の協議の場を活用するとなったとしても、前述したように協議の場は実務的な話し合いを行う場とはならないし、物理的にもその余裕はない。
 現行の分権委のあり方に不満があるのであれば、それは分権改革当初からあった政治的なタガがはめられていたからで、そのタガをを取り外して分権委の権限を強化すればすむことだ。それでも足らなければ、内閣のバックアップ態勢をつくればいい。

 現在の分権委は今月中に第三次、来月には任期最後となる第四次勧告を予定している。その第四次で想定している地方税財源の強化は、国と地方の税源の振り分けを現在の「6対4」から「5対5」に見直すことだが、それは消費税引き上げを盛り込んだ税制の抜本改革を前提としている。
 今後4年間、消費税引き上げはないと断言している鳩山政権が、消費税引き上げにつながる勧告に同調するはずはない。かといって、現在の財政状況では消費税の中から地方に回す地方消費税の割合を増やすことはできない。
 全国知事会は7月に三重県伊勢市で開いた全国知事会議で、消費税の引き上げを求める決議を採択した。決議は現状の財政状況では「住民サービスに責任が持てない」としたが、この言い分はあまりにも納税者である住民の意思を考えない独善的で独りよがりな主張だとして知事会議でも異論が多かった。結局、決議は税制の抜本改革の中で地方消費税の引き上げに配慮するよう求めると、文言を修正せざるをえなかった。
 分権委にとって、地方税財源の充実は最大の懸案であり、在任中の勧告から外すわけにはいかない。鳩山首相が勧告をどう受け止め、最終的な「分権推進計画」に盛り込むことになるかは今後の動きを見なければ何とも言い難い。
 しかし政府は、消費税の引き上げは将来的な課題として先送りし、当面の地方税財源の充実はひも付き補助金の一括交付金化や行政刷新会議のムダな行政経費の削減・転用で急場をしのぐしか道はないような気がする。

 結局、現状では「国・地方の協議の場」も「分権委のあり方」「タスクフォース」も、分権改革を進める上で想定される問題の切り口をどこに求めるかの違いでしかない。「協議会」ができれば分権委の存在価値が薄れるとか、不要になると短絡すべきではないし、また、どれが必要で、どれが不要だという論議は自ら袋小路に入るだけで賢明とは言えない。
 分権改革は、全国知事会など地方団体が立ち上がったことで、ようやく大きな政治課題として認知され、衆院選で各党のマニフェストの柱一つになった。
 だがこれまでも触れてきたように、国の出先機関の廃止、直轄事業負担金制度の見直し、国の「義務付け」「枠付け」の是正、地方税財源の大胆な見直しなど、どれ一つを取ってもこれまでの制度・仕組みを根底から覆す、極めて難しい問題である。
 鳩山政権はその難題に真正面から取り組むことにした。痛みは当然あるだろうし、かといって分権改革を進めるにはそれを避けて通ることはできない。

 私たちは時代にそぐわない社会の仕組みにとっくに気づいていたが、その悪しき旧習を断ち切る選択の機会を持てなかった。政権交代は、そうした鬱積した国民の不満が爆発した民意が実現させた「世替わり」である。
 従って、この機会を無為に見過ごしてならないし、古い慣習にとらわれない「新しい常識」を打ち立てる必要がある。分権改革、引いては新しい国のあり方を追求する流れをつくる機会が開かれたと言うべきだろう。

09927日)