200992

「政権交代」(ブログ)

◎経綸なき政治の終幕

 所用で3日ほど家を離れていた。少しばかり時間が過ぎたが、「有権者の反乱」を記してみたい。
 衆院選での自公両党のあまりの負けっぷりのよさは、大敗とか惨敗といった言葉では言い尽くせない深刻な結果だ。選挙前は衆院の3分の2を占めた自公の議席数は自民が119と改選前の3分の1近くまで激減し、組織力を誇った公明も代表、幹事長が議席を失うなどマイナス10だ。3分の2の特権を使いまくった自公政権の強引さも、今となっては、はかない一夜の夢の如しである。
 4年ぶりに意思表示の機会を得た有権者が、迷うことなく選択したのが「民主」であり自公に対する三くだり半だったが、有権者自身はこれほどの大差が付くことを予想しただろうか。それにしても、自民は本当の意味で危機感を持って総選挙に立ち向かっただろうか。
 報道各社の世論調査はいずれも民主の大躍進を予測していた。対する与党、とりわけ自民党は首相経験者をはじめ、名だたる実力者が自身の危うさを乗り越えることだけに邁進した。党名を意識的に口に出さず、自分の名前の連呼した議員も数え切れない。野党民主党を批判することはあっても、マニフェスト選挙がどこかへ飛んでしまったかのような選挙戦だった。
 前にも指摘したが、今回の衆院選は求心力をなくした自民党が内実を隠して表面だけを取り繕い、国民に組織の大きさと強さを見せつけようとした虚構が見事に崩れたということだ。信なき政治、司令塔不在の組織が効果的な選挙戦を展開できるはずはない。場当たり的なマニフェストは、理念なき丸のみでしかなかった。
 有権者が離れていく現実に茫然自失となりながら、それでも声をからして訴えた候補者がほとんどではないか。場違いな「私たちは保守党だ」と、声を張り上げたトップリーダーの頭には、政権交代は「革命」の文字がとぐろを巻いていたのかもしれない。そうでもなければ、党首がマニフェストをそっちのけにして「保守だ」「保守だ」と言い続けるはずがない。

 選挙結果の責任は党首にあるのは当然だ。だが、この人が選挙結果の責任をどれくらい認識しているのか全く疑わしい。
 自民党惨敗がはっきりした30日深夜、会見した本人が敗因を問われて言ったことは「自民党に対する積年の不満やら不信が積み重なった」だ。党首としての責任よりも、党に対する厳しい評価が下されたというわけだ。
 公示後、国民へのお詫びで始まった遊説の心は、まるで忘れてしまって敗因を自民党の治世に転嫁するようでは、選挙戦のキーワードとした過去の経験・実績を踏まえた「責任力」の根拠を自ら否定する以外の何ものでもない。

 そういえば、難しい問題に直面すると、どこかよそよそしく受け応えをして「他人事」を厳しく批判され、政権を投げ出した前任者を思い出す。前任者は、1年前の辞任会見でその点を問われてむきになって反論した。あの光景も記憶に新しい。

 現有勢力が3分の1まで激減した自民党は、政局をリードした何人もの派閥の領袖や実力者が比例区でどうにか議席を確保した。現行の選挙制度が導入された時、小選挙区の当選者は「金バッジ」、対して小選挙区で落選したが比例区で議席をどうにか確保した議員は「ブリキのバッジ」と言われた。比例区に救われた、そんな派閥の領袖に威令を示す力がないのは当たり前である。
 そして党内が特別国会の首班指名を巡って、またまた揺れている。有力な総裁候補と目された参院議員の閣僚はいち早く総裁選不出馬を表明した。
 誰が火中の栗を拾うのか分からないが、自民党は間違いなく瓦解した。昨秋のリーマン・ショックからわずか10カ月ちょっとで麻生政権は消滅する。経綸を欠いた政治の終幕である。(尾形)