2009827(ブログ)

戦略なき精神論

 報道各社が行った直近の衆院選情勢予測は、「民主党の圧勝」と「自民党に再生力がほとんど表れていない」――といった内容で足並みをそろえている。せめてどこか1社でも自民党の底力をうかがわせるものがあってもと思うのだが、それがない。各社の世論調査がこれほど同じような分析結果を出すのは珍しい。
 世の中は、もはや民主党を核とした政権交代を前提に動き出している。
 景気との絡みで注目されるマーケット(株式・為替市場)は民主党勝利を織り込んでいるらしいが、選挙結果が海外でどのような受け止めをされるかで市場の動きは変わるから、まだまだ目が離せないという。
 人間関係が絡む政治、行政、経済等の分野では、明らかに選挙後を見越した現象が表れている。
 民主党という“大樹”ににじり寄る節のない政治家も少なくない。実質的に政治を裏から操ってきた霞が関の官僚も表面上は冷静さを装うが、心穏やかではない。新政権の目玉となる国家戦略局や行政刷新会議がどんな変革を下してくるか、「心配で心配でたまらない」というのが本心のようだ。
 経済界もどこか落ち着かない。政権交代は経済界にとっては、まさしく未知の世界なのだ。 「財界」という言葉はもはや死語になったが、かつて、財界人として政治に物申し緊張感を持たせたような経済人は、今は見当たらない。行革に命をかけた経団連(現日本経団連)の土光敏夫会長のような、「財界総理」という呼び名がふさわしいリーダーはどこを探してもいない。経済界が一緒になって政府に迫る迫力は、今の経済界にはないのである。
 秀でた指導者がいなくなったのは時代の流れかもしれない。かと言って、今の内外の状況を見れば、おもしろおかしく「劇場政治」にうつつを抜かしている余裕はないはずなのだが、政治家にはその認識がまるでなかった。

第四コーナーを回った選挙戦は、マニフェストがどこかにいってしまったかのように、名前の連呼、連呼である。特に自民、公明両党の候補者のスピーカーから流れる声は悲壮感に満ちている。
 麻生首相が駆け回る演説会場はかなりの盛況なようだが、半分は物珍しさから集まっている感じだ。首相の話しぶりはダミ声がつぶれて咆哮にも似ている。民主党の施策を一刀両断するのは当然だが、日本の保守政治の基盤をつくった祖父の吉田茂を思い浮かべるのか、「保守党」を強調してやまない。
 日本の歴史、文化、そして保守政権が手がけた戦後日本の復旧、復興。さらには故郷、家族、地域の絆など有権者に日本の心、精神を訴える言葉が立て板に水のように流れる。
 「私たちは間違いなく保守党」と首相が訴えるのは、戦後この方、自民党を中心とした保守政権の実績を誇り、現下の厳しい経済状況の中で野党政権にはその力がないと言わんとするものだ。
 マニフェスト選挙と言われながら、本音がむき出しになる選挙終盤でのマニフェストそっちのけの精神論は、時代遅れの演説と言わざるをえない。政治学的にも疑問だし、逆に精神論を振りまくだけで戦略なき無謀な戦争を続けた軍部の「神州護持」を思い起こす人も少なくないのではないか。セピア色の写真を見ているようだ。

首相は党首討論でも「週を追うごとに、日を追うごとに支持が広がっている」と強がって見せていただけに、報道各社の足並みをそろえた「民主圧勝」の予測に相当いら立っているらしい。しかし、政治の潮目の変わりはいかんともしがたい。
 7月の衆院解散前から求心力と統率力をなくした麻生内閣は、党内の混乱を何とか押さえ込んで解散に踏み切った。党執行部の威令が利かない状態で始まった選挙戦は、まさに作戦図を持たない場当たり的な戦いを露呈してしまっている。麻生内閣は最悪の状況の下で、しかも最悪の条件で国民の審判を受けることになる。(尾形)