政治的な色彩を濃くした全国知事会議
(三重県伊勢市、09年7月14−15日)

【国のあり方研究会】

◎この機を逃さず存在感を示せ

 全国知事会の「この国のあり方に関する研究会」第一回会合が910日、東京・永田町の都道府県会館で開かれる。
 国の行く末を知事たちが共に考えようという試みは、これまでの知事会では考えられなかった。研究会が短期間にどう具体的提言をまとめるか分からないが、多くの知事たちが「国のあり方」を論じ合う意味は大きい。地方自治体の目で国の姿をデザインすれば、霞が関や永田町では考えられないような青写真ができるかもしれない。国と地方の関係を占う上でも、中身の濃い議論を期待したい。
 研究会は今年7月中旬、三重県伊勢市で開催した全国知事会議で三重県の野呂昭彦知事が提案、全会一致で了承された。全国知事会によると、研究会に参加を表明しているのは秋田、新潟、埼玉、静岡、三重、京都、高知、宮崎、沖縄など24府県知事。初会合には麻生知事会会長も出席、今後の検討テーマやスケジュールを決め、来春をめどに研究成果をまとめる。座長は提案者の野呂知事が務める。

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 研究会は1990年代以降、激しく揺れ動いた社会・経済状況の中で、不透明さを増している国と地方の役割を明確にし、国のあるべき姿をまとめ国や関係機関に提言することにしている。
 具体的には、直面する少子高齢化、雇用不安、社会保障制度の機能不全、グローバル経済下での産業構造転換といった課題を分析した上で、わが国にふさわしい産業構造やセーフティーネットの再構築を研究する。
 その際議論の俎上に人材育成、雇用対策、医療・介護制度の再構築、教育環境の整備、コミューニティ再生などがあげられるが、個別の議論と並行して中長期的な視点から目指すべき方向を示す考えだ。
 議論・研究の項目は、いわゆる経済成長路線の下で脇に追いやられてきたセーフティーネットが、行政の怠慢や社会の仕組みの変化でその欠陥が浮き彫りとなり、生活を脅かす社会問題として顕在化したものばかりだ。
 全国知事会議で野呂知事が指摘したように、「社会に希望や安心を持てない危機感が国民の閉塞感や不満につながっている」ことは知事全員の共通認識だ。
 社会保険庁の年金問題で明らかなように、社会保障の安心・安全ネットワークは機能不全に陥っており、機能回復は絶望的でさえある。小泉内閣による三位一体改革で明確なったのは、合理化・効率化の嵐である。その結果が、全国的に広がった格差社会であり、中山間地の疲弊、耕作放棄地の急増に示されている。地域社会の崩壊はコミューニティ消滅、地域の絆の喪失という形で表れている。

安倍、福田両内閣は確かに地域活性化、ふるさと再生の政策・制度を繰り出した。しかし、悲しいかな中身は中央レベル、霞が関官僚レベルの思考の域を出ず地域の実情を組み込んだものとは言い難かった。
 いざなぎ景気を超える好況を謳歌した陰で噴き出していた問題を、対処不能の状況に追い込んだのが、例の「リーマン・ショック」に始まる世界的な金融・経済危機だ。この危機が、ただでさえ不安定だった政局を一段と混迷させ麻生内閣を追い込んだのだが、この政治不在が地方自治体の中央不信を膨らませ、「国のあり方」を問う合唱となったのである。
 全国知事会議前日、三重県は「希望を持って生きられる『この国のあり方』」と銘打ったシンポジウムを開き、国のあり方について国民的な議論を喚起することを宣言した。
 野呂知事の研究会提案は、過去の政治状況を踏まえたことは確かだが、原点は小泉改革に対する疑問という伏線がある。
 知事は小泉改革に異を唱えてきた。三位一体改革を「だましの三位一体改革」と切り捨てていたし、「手段であるべき改革が目的化してしまった」と、全国知事会の中でも歯に衣着せぬ言い方で通してきた。
 この野呂知事が地域の疲弊、自治体財政の立ち往生を目の当たりにして打ち出したのが「文化」だ。改革の必要性は否定しないが、「改革万能」との決別である。

財政は頼りにならない。県の予算も削らざるを得ない。もはやカネをつぎ込んだ地域振興は無理になった。そうした中で、地域の絆を再生し、精神的にも豊かな生活が実感できるよう、歴史・伝統・文化重視への発想の転換、すなわち、これまで忘れていた地域の生活に結びついた「資源」として文化の活用を訴えたのである。
 この考えに基づいて、野呂知事は県政の基本に「文化」の概念を据え、あらゆる政策を見直すよう指示した。「人の力」「地域の力」そして「創造力」の3本柱で文化力を組み立てた。文化の力と可能性を探り、県民・地域住民の認識を高めるための文化シンポジウム「地域文化のちから」を一昨年暮れから毎年2回、県内各地で開催、県民に文化に対する認識の再生を訴えている。
 文化とは一見関係なさそうな戦後日本の政治、経済の歩みを振り返りながら、文化の大切さと重みを語り合い、その再生を探る場としてのシンポジウムである。シンポジウムは以後、地域活性化、コミューニティの再生、まちづくりなど、これまでの総論から具体的な各論の論議に移っている
 私はこのシンポジウムの企画に深く関わってきた。その経験から言えば、文化に対する県民の意識が明らかに変化していることが分かる。文化という抽象的な問い掛けが、時代の流れを振り返る中で地域が抱える問題と深く結びついていることに県民が気づき始めたことである。しかし、「文化意識」を広く県民に理解してもらうのは容易でない。意識の変化を我慢強く待つ余裕が必要だと思う。
 地方の疲弊は中山間地にとどまらず、中小都市にも及んでいる。地域の疲弊は文化の消滅にもつながる。特に、文化の宝庫と言われる日本の原風景が漂う農山漁村をいかに守るのかは、景観・環境保護問題でもある。野呂知事が目指すのは、庶民の生活に密着している生活文化である。高度な芸術文化ではない。
 知事は今年の年頭に当たって、「文化力立県」を初めてうたい上げた。文化力を県政の機関車役と位置づけた全国初の宣言だ。すでに文化力を活用した地域・産業振興の指針も策定しており、具体策は動き出している。

野呂知事の研究会提案は、こうした背景を踏まえて総選挙という絶好のタイミングで出された。分権改革の歩みの中で押し問答を繰り返してきた国と地方の協議が、政局の混迷でようやく真剣に論議される状況ができた。政権交代が現実味を帯びる今日、「国のあり方研究会」に求められのは、中央集権の残滓を一掃することであり、そのことが地域主権の実現を可能にするという、ごく当たり前の論理を実践することだ。その道筋が明確になれば、第二次分権改革にも光が当たる。
 ただ、国のあり方を追求すると同時に、地方自治体の責任も忘れてはならない。「国の形」は「地方の形」であることは言うまでもない。

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