編集長コラム「国と地方」

文化力立県

 直轄事業負担金制度は、国と地方の上下関係を端的に示す格好の例である。このいびつな制度が、地方分権改革が進められる中で、行政の裏も表も知り尽くした官僚OB知事らが問題にすることもなくまかり通ってきた。それに「おかしいじゃないか」と猛然とかみついたのが、大阪府 橋下徹知事である。それがいまや、全国知事会の世論となって政府与党を追い込んだ。
 直轄事業負担金制度は典型的な分権問題なのだが、それを引き出したのは百年に一度の経済不況だ。カネのやり繰りに困った挙句の政治問題と位置づけてもいい。
 政府、与党は気前よく知事らの言い分に耳を傾け、善処を約束した。解散総選挙が目の前に迫った政治状況なるが故である。
 だが、ここで「ぼったくりバーの請求書」とか政局の問題として直轄事業問題を論議するだけでは地方財政の一助にはならない。

地方自治体の財政を窮地に追い込んだのは小泉内閣の三位一体改革だ。「まやかし、だまし」の改革とこき下ろされた。
 予算編成もままならない自治体が続出した。追い討ちをかけるように昨年秋、リーマン・ショックが襲ってきた。このため、軌道に乗りかけた分権改革は、積み残しになっていた税財源問題に新たな悪条件が加わり立ち往生の様相さえ呈している。
 全国知事会長に無投票で3選が決まった麻生渡氏(福岡県知事)は、この7月、三重県伊勢市で開く全国知事会議で、封印してきた消費税率の引き上げを具体的に論議すると明言した。慎重な麻生氏としては思い切った発言だが、それほど地方財政は土壇場まで追い込まれているということだ。のどから手が出るほど財源が欲しいのが本音なのだ。
 カネがないのは国も地方も同じ。きれいごとを言っても、国と地方、さらには自治体同士がパイの配分を奪い合うのがゼロサム時代の現実である。昔のような「青い鳥」は、手の届かない遠くへ行ってしまった。
 地方自治体がもがき苦しむ姿は、乾いたタオルを絞るような、かつての石油危機当時の企業の状況を思い起こさせる。だが、合理化努力にも限界はある。では、どうするのか。薄らいだとはいえ、頭のどこかに亡霊にも似た成長神話がしぶとく残る。これを捨て、カネに代わる新たな知恵をだすしかない。

三重県の野呂昭彦知事は、今年の年頭会見で「文化力立県元年」をうたい上げた。経済力に頼るのではなく、長い歴史と伝統がはぐくんだ「文化力」を蘇らせ県勢発展の礎にしようという、他に先駆けた挑戦である。文化力とは、人間力、地域力、そして創造力を一体化した総合力を指す。日常的な生活の営みの中に潜む多様なエネルギーを引き出す支援態勢を、県が率先してとろうとするものだ。
 日本列島は多様な自然と地域文化を持った、世界にもたぐいまれな国である。ところが、経済のグローバル化は国だけでなく、地域の個性をもなくしてしまった。その反動として、「多様性」が重視されるようになっている。
 カネに頼らない知恵で元気づいた中小自治体の事例は、本誌の「ニュースルポ/がんばる自治体」で数多く紹介している。経済力から文化力へ―は時代の要請である。
                                          
(「地域政策」09年夏季号)