「再見……わが町」大台町

◎「笑顔の山」は戻るのか

6月初旬のある暑い晴れた日の昼過ぎ、二十数人の児童が担任の先生の話を神妙な顔で聞いていた。

「これから森の勉強に行きます。山のことをよく知っているお兄さんやお姉さんのお話をよく聞いて勉強しましょう」
 三重県中南勢の大台町三瀬谷小学校の4年生を対象にした、「森林教室」はこの日が1回目の授業だ。間伐など人手を加えた山と、放置したままの山の違いを目で確かめ、森の植生を学ぶ課外授業である。
 先生は地元の林業会社の社員と、山のことを知りぬいたNPO法人「大杉谷自然学校」のフィールドスタッフらだ。
 児童たちにとって、この日はいつもの遊びではない。森の「元気さ」を考える場だ。「木の枝はどうなっているかな。皆の足元を見て、次は少し上を、最後は一番上を見て、『不思議だ』と思ったことを描きなさい」
 人の手が加えられず密生したままの木々。やせ細った木もあれば、太く大きい立派な大木もある。「どうして大きな木と細い木があるの」と不思議がる子どもの目にも、山の様子が分かったようだ。
 次の場所は、間伐できれいな造林が進んでいた。1本1本の木々が元気でたくましく見えるのか「ここは格好いい」。課外授業は1時間ほどで終わった。

何気なく見て、通り過ぎる森や山だが、採算性が低く荒れるに任せたままの山が増えている。中山間地で進む過疎化。人手が遠ざかった山は災害に弱いが、そこに孤立するように集落がある。高齢化が進み、後継者のめども立たずに限界集落への道を歩む集落は、行政の不安をよそに増え続けている。
 「水源の里を守ろう」―こんな呼び掛けで全国の中山間地の自治体が協議会をつくり、地域の活性化を模索している。「限界集落」という、逃げ場のない印象を与える言葉を嫌って、都市住民の関心を呼ぼうと「水源の里」と名づけたのである。
 平成181月、旧大台町と旧宮川村が合併して現在の大台町が誕生した。人口1900人(平成204月1日現在)、過去5年で500人余減った。この数年、転出者が転入を上回る状況が続いている。町外への流出だけではない。清流・宮川に沿うようにある町内47の集落も、上流から中・下流域への人口移動が続き、上流域の過疎化が一層進んだ。
 大杉谷自然学校は、宮川最上流の集落・久豆にある。平成11年春、廃校となった旧大杉小学校を譲り受けて同13年活動を始めた。自然学校は、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員としてフィリピンで3年間経験を積むなどした、地元出身の大西かおりさんを中心に数人のスタッフで立ち上げ、一昨年、正式にNPO法人となった。スタッフは、地元の山岳救助隊の隊長で山のことならすべてを知り尽くしている森正裕さんをはじめ、宮川に魅入られ移り住んだ神奈川、兵庫県出身者らがいる。

大台町は、西の大台ケ原を挟んで奈良県と接する典型的な山間地である。その最奥部の大杉谷をフィールドとする自然学校は、高度経済成長期以降、急速に失われつつある自然観や価値観を次の時代に継承する役割と持続可能な新しい未来の創造を目指す拠点となるものだ。
 「スローライフ」「エコ・ツーリズム」がもてはやされる。だが、果たして、どれほどの人が、その言葉の意味を実感しているだろうか。「熱意」や「情熱」の重要性が情緒的に語られることが多い。スタッフたちは、環境重視の声に喜びながらも「情熱は長く続くものではない」と冷めた見方をし、「体を使った」現実的な活動を重視する。祖先が長い時間をかけて完成させた「身体文化」は、生活を営む上での知恵で、いわば「伝承の底力」だと、大西さんは言った。
 自然学校の講座は、自然を愛でるだけでなく、体を動かすことで覚える生活の知恵も学べるよう組み立てられている。

 大杉谷地域の高齢化率は約66%の限界集落だ。限界集落対策が急務なのだが、滅び行く集落に歯止めはかかりにくい。役場の幹部の表情も「地元にある諦めムードの意識を何とか変えたい。生きがいのある施策を考えているが…」と冴えない。
 時代のキーワードは「環境」である。大台町は町域の93%を森林が占める。主産業の林業は不振だが、二酸化炭素吸収効果は極めて大きい。森林教室が始まった当初、児童たちは「山が泣いているみたい」と言ったという。笑顔の山を見る日を楽しみに、児童らの課外授業は続いている。
                               (尾形宣夫)