【衆院解散】

◎理念、展望なしの衆院解散

 衆院が解散された。告示は818日だが、実質的に選挙戦はスタートした。投開票までの40日間、延々と選挙戦が続く。勢いに乗る民主党が念願の政権奪取に成功するのか。あるいは、断末魔の自民党の咆哮が劣勢を跳ね返し、痛手を最小限で食い止めるのか。郵政選挙を最後に、国民の信を問うことを避け続けてきた自公政権にようやく審判の時が訪れる。
 それにしても、解散に至る自民党の内情は、最後までお粗末なドタバタ劇に終始した。両院議員総会に替わる昼前の両院議員懇談会は、世論の目が気になって土壇場で形ばかりの公開だったが20分ほどで打ち切られ、質疑らしいものはほとんどなし。
 自民党代議士会は、麻生降ろしの先頭を切っていた元幹事長が首相の反省の弁を取り上げて「大変良かった」と語り、自ら握手を求める手のひらを返したような挙に出たのには唖然とするしかなかった。
 元幹事長は周囲の状況を見ながら首相の責任を何度も問うた。ところが、形勢が悪くなるとその都度トーンダウンした。言うならば、「他人のフンドシで相撲」をとってきた、節のない「実力者」である。そして最後は「握手」で閉めくくった。
 自身の選挙区事情があったのかもしれない。あるいは、選挙後を見越して芝居を打ったのかもしれないが、首相の「何が良かった」のかさっぱり分からない。握手された首相の戸惑い気味の表情がおもしろかった。
 元幹事長の心意気に感じ、首相の退陣を求めて走った若手政治家こそ救われない。

 ところで、新聞各紙、テレビ各局が紹介した解散劇のネーミングがおかしい。「ドタバタ解散」「自爆解散」などは常識的だが、ある漫画家がつけた「おくりびと解散」は出色だった。
 家庭崩壊状態の自民党が葬式では神妙にそろった光景を言い当てたものだが、「無理心中」を「おくりびと」に絡めた表現は、心憎いほど麻生政権の本質を突いている。
 首相は両院議員懇談会、代議士会、そして記者会見で自らの至らなさを恥じて見せた。解散を前に、反省から始まる党総裁の挨拶などは政治史の中でも異例である。
 麻生首相の自己批判は正しい。だが首相の言葉の中に、この国をどう導こうとしているのか最高指導者として国民に示さなければならないセリフが一言もなかった。
 抽象的な言葉の羅列と民主党批判などは、今回のような解散に際して意味を持たない。中身のなさをさらけ出すだけで、大転換期を託す政権選択の哲学、理念が全くなかった。
 政党責任を問う選挙だと首相は言うが、その責任を果たしそうとしないで「何でもあり」の政治を放置してきたのが麻生内閣である。

 福田前首相は、解散総選挙を前提に麻生氏に後事を託した。その「選挙管理内閣」が本格政権を目指したことが間違いの始まりだった。

09722日)