【東国原劇場が閉幕】

◎後味は悪いが、教訓も忘れるな

(注)「東国原知事擁立工作の裏」(エッセー、09年6月25日)「いい加減にしなさい東国原知事」(政治と行政、09年7月5日)「2トップが果たした役割」(政治と行政、09年7月16日)参照

 宮崎県の東国原知事が衆院選出馬を断念、緊急の記者会見(16日)で「私の行動で県民に心配や迷惑をお掛けした」と詫びた。これからは、県政に邁進するという。ようやく東国原騒動も終わったわけだが、何とも後味の悪い幕引きである。
 理由は、自民党の古賀選対委員長から届いた書簡に、知事が求めていた地方分権に関する全国知事会の要望を自民党のマニフェストに「百パーセント盛り込むことは厳しい」と返事があったからだという。
 地方選連敗の責任をめぐって収拾がつかない自民党の内紛は、マニフェストを作る余裕などない。それに、東国原氏に自民党からの衆院選出馬を懇請した当の古賀氏が東京都議選惨敗の責任を取って選対委員長の辞任を表明している。この時点で東国原出馬は消えたと見るのが常識である。

それにしても、東国原氏の国政転出意欲は日を追うごとく膨らんだ。
 「自民党にない新しいエネルギーが欲しい」と宮崎詣でをした古賀氏に東国原氏が付けた条件は、自らを「自民党総裁候補とする」「知事会がまとめた分権改革を1字1句違わずマニフェストに盛り込む」だった。
 「私が出れば自民党は負けない。負けさせない」。地方分権改革は、もはや宮崎にいてはこれ以上進まない。だから国政に打って出て、「総裁候補」として改革を実現する。
 こんな姿は、「宮崎のセールスマン」がいつのまにか衆院選を控えた自民党の救世主に祭り上げられた感さえあった。高揚する東国原氏を思いとどませる術は見当たらない。
 東国原人気に頼ろうとする古賀氏のやり方に自民党内の驚き・怒りが噴き出しても、東国原氏に聞く耳はなかった。宮崎県民の多くが県政に留まるべきだと言っても、国政に出ることが宮崎のためにもなると譲らない。
 国政転出反対の声が大きくなればなるほど、東国原氏の国政への意欲は燃え上がったのである。

 本欄で何度も指摘したが、東国原氏は官製談合で地に落ちた宮崎県政への不信感を見事に消し、逆に県庁が宮崎観光ルートの欠かせない名所になるまでに立て直した。話題を振りまく人気知事をテレビメディアが放っておくはずがない。週末、休祭日のテレビ番組で、おどけた振る舞いの東国原氏を見ない日はないような売れっ子ぶりだった。
 衆院選出馬を断念した東国原氏に対する宮崎県民の評価は厳しい。
 地元紙の宮崎日日新聞は17日付の社説で、「県民の知事への失望の声が相次ぎ、県職員からは『知事は県庁内部には関心がない』との冷ややかな言葉を聞かされるなど、まさに憂うべき事態だ」と書いている。
 2年半前の知事選に立候補した東国原氏は、「宮崎県をどげんかせんといかん」と熱い言葉で語り掛けて圧勝、宮崎県の明るいイメージを全国に発信した。自ら県産品をPRするトップセールスに客が押し掛けた。東国原氏のイラストが入った宮崎産の商品を、スーパーは競うように並べた。
 東国原氏は国政への意欲を語ったとき、知事選で掲げたマニフェストは大方レールを敷いたと自賛した。まるで、公約は達成したと言わんばかりだった。しかし、地方行政はそんなに単純なものではないし、簡単に正常化するものではない。
 まして小泉改革以降、地方自治体は厳しい合理化・効率化を求められている。特に、昨年秋に始まる世界的規模の不況は地域経済を土壇場まで追い込んでいる。知事、市長をはじめ、全国の首長に課せられた責任は大きく、一刻の余裕もない。
 東国原氏が挙げた国政転出の理由の地方分権改革は、確かに揺るがせない課題だ。分権改革をやろうと思っても、知事の裁量が法律や制度でがんじがらめになっていることもそのとおりだ。
 知事になってわずか2年半だが、東国原氏は分権改革の難しさ、限界を嫌というほど経験したと思う。だから、これまでより一段高い国政レベルから、分権改革に立ちはだかっていた永田町、霞が関の悪しきルールを壊そうと考えた。そのためには、政権与党に身を置くことがベターだと決めたのである。

 東国原氏に分権改革の限界を感じさせたもう一つの大きな理由は、全国知事会が十分に機能していないことだ。東国原氏が従来の知事像からかけ離れた行動を続けたのは、タレント時代に身についた習性からだけではない。知事たるものは、もっと身近な行動で住民と接触すべきだという本質的な問題を身をもって示さなければならないと思ったからのようだ。
 分権改革を行政レベルから説こうと思っても、仕組みの複雑さと難しさに住民はあまり興味を示さない。
 大阪府の橋下知事や東国原知事が、これまでの知事会の慣例を破って走り回ったのは、一般住民にも分かりやすいやり方で進めることの大切さに気づいたからだ。
 三重県伊勢市での全国知事会議が、直面する難題にこれまで避けてきた政治色を盛り込むことができたのは、いうならば「 橋下効果」であり「東国原効果」である。東国原劇場は初めも終わりも唐突だったが、知事のあるべき姿を別の視点から分かりやすく示してくれたと受け止める余裕があっていい。

 麻生内閣のダッチロール状況を見ると、この国のあり方を問う分権改革がいかに重要であるかがよく分かる。東国原劇場を切り捨てるだけでは問題は解決しない。なぜ東国原劇場が登場したのか。その背景を考えながら、それがもたらした効果にも目を向ける必要がある。そして、もっと目線を下げた分権改革を考えれば、新たな展望が開けるかもしれない。

09717日)