【北海道補選・考】

◎最初から白旗を揚げていた


 菅改造内閣発足後初の国政選挙となる衆院北海道5区補選は、自民の町村信孝氏が民主党擁立の新人の中前茂之氏を破った。最終的には民主党候補を3万票引き離す予想通りの文句のない勝利。
 自公政権で重要閣僚をこなした町村氏に比べれば、中前氏は官僚出身の新顔、知名度は町村氏の足元にも及ばない。民主の敗因は、辞職した北海道教職員組合の違法献金や選対幹部の選挙違反事件で辞職した元衆院議員や小沢元代表をめぐる「政治とカネ」が響いたのは当然だが、より大きな敗因は政権交代後の民主政権の政策の腰の定まらない政治に対する有権者の厳しい選択だった。普天間問題、高速道路料金、子ども手当などマニフェストの柱はどれひとつを取っても、挫折・とん挫したままだ。
 加えて尖閣諸島の漁船衝突問題は菅内閣の外交の無策を浮き彫りにした。
 それと、各メディアは触れていないが、刑事被告人でありながら北海道で無視できない存在感をもった鈴木宗男氏の役割である。確かに敗れた中前氏の推薦に社民、国民新とともに鈴木氏の新党大地も推薦に加わっている。しかし、鈴木氏は自身の訴訟で最高裁の判断が下され収監を待つ身だ。動こうにも動けなかった。他人には真似のできないような行動力で圧倒する選挙運動は今回はなかったのである。
 カネにまつわる問題が指摘されるが、行動力を備え無党派層も取り込んだ独特の支持層を持つ鈴木氏には、一般論としての「政治とカネ」の問題は当てはまらない。近年のように、経済の沈滞で落ち込む住民――とりわけ北海道経済の疲弊は深刻――を奮い立たせ、政治的実績を具体的に見せる同氏は、道内ではある種のカリスマ性を持つ。その鈴木氏が全面支援で動いていたら、勝敗はどうなったかわからなかった、というのが実感である。
 民主党にとっては悪条件はさらに加わった。
 世界的な「通貨安競争」が世界経済の混迷に拍車を掛けている。先進国と開発途上各国によるG20会議は、世界経済の現状を放置してはならないという点では合意したが、通貨安に歯止めを掛ける力はなかった。
 野田財務相は会議後「市場が評価してくれることを期待する」と語ったが、市場は「サプライズがなかったという意味で円が買われた」と突き放した。史上最高値の79円台に迫る勢いだ。G20後の金融市場は主要各国の下落、そして逆に円の独歩高を再確認しただけだった。その意味で、世界経済の混迷が菅内閣の足を引っ張ったと言っていい。

 今回の補選で浮き彫りになったのは、民主党自体の選挙態勢ができていなかったことだ。政権奪還に成功した昨年の衆院選の歴史的な勝利は、選挙を知り抜いた小沢氏の完璧な采配がもたらしたものである。
 主要閣僚や岡田幹事長ら党幹部も精力的に選挙区に入った。だが何故か、菅首相は最後まで選挙応援に出ることはなかった。改造で自前の内閣をつくった首相が、率先して選挙区に入ることは、ねじれ国会で先行き不透明であればあるほど、その突破口を開くのが首相の役割であり、責任だ。にもかかわらず、首相は乗り出さなかった。首相自身に、何が何でも勝とうとする意欲が欠けていた、と言うしかない。
 もう一つ忘れてはならないのが、民主党政権が掲げる「地域主権」の実験場が北海道だということだ。旧政権ではあるが、2006年暮れに道州制特区推進法が成立した。そして道州制ビジョン懇談会をスタートさせ、道州制導入の工程表を示した。だが政権交代で地域主権が前面に打ち出され、ビジョン懇はなくなり、道州制そのものも脇に追いやられた。道州制は容易に片付く問題ではない。国家の仕組みそのものを変える道州制の是非をここで論ずることはしないが、地方分権改革の最終的な到達点として「道州制」が挙がられていることだけは確かである。

 「分権」が「地域主権」と呼び名が変わろうと、地域に軸足を置く改革に違いはない。
 であれば、地域主権改革の大綱をまとめた菅内閣が、北海道を地域主権のモデル地域とする政治的アピールをしてもおかしくない。それどころか、足踏み状態の地域主権改革に弾みをつける格好のチャンスが、今回の北海道5区の補欠選挙にあった。首相はそのチャンスを生かして、北海道の地域主権改革を大々的にPRできたはずだ。
 元はと言えば、「道州制特区法案」は北海道と沖縄をモデルとしてできた法案である。それが、北海道を先行させたのが「特区推進法」だった。推進法を実施するかどうかともかく、道州制を地域主権と置き換えて有権者にアピールすべきではなかったか。
 
仮にも、菅首相は所信表明演説で地域主権改革を重要課題の柱と位置づけている。首相の地域主権に対する腰の引け具合が、今度の補選でまたも明らかになってしまった。

 先週末、首相は予定通り日程をこなした。重要でない予定だとは言わないが、内閣の命運を左右しかねない補選を脇に置いてこなさなければならない予定だとは思えない。首相は今国会をどう乗り切るかで、補選どころではなかったのかもしれない。国会の「熟議」は正しい。同時に、国民、とりわけ民主党政権誕生を実現させた有権者に、時として「イラ菅」の姿を見せるのもいいかもしれない。

(2010年10月25日)=尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」