6) ◎三位一体改革

 2006年度予算編成に向けて本格的な政府部内の調整が続く中で決まった「三位一体」政府・与党合意の裏で、いつもながら永田町、霞が関の複雑な思惑が交差した。
 昨年11月29日夜、生活保護費の国の負担率引き下げを主張して最後まで譲らず、数日前の地方代表との協議で途中退席した川崎厚生労働相は、一転「問題点は明らかになった」と引き下がり、もう一人の〝強者〟谷垣財務相は、施設整備費の削減に苦虫をかみつぶしたような表情で首相官邸を去った、という。
 全国知事会の麻生会長は、若干の問題点を指摘はしたが、政府・与党合意を「画期的なこと」と評価した。
 こんな場面を見れば地方6団体の粘り勝ちと映るが、事はそう単純ではない。
中央教育審議会が義務教育費の国庫負担制度維持を答申した10月末以降、三位一体改革の焦点は生活保護費に移っていた。最終段階で形勢不利と見た地方は、新規の受託事務返上を記した〝幻のペーパー〟を用意、記者会見をセットした。生活保護費しか見えなくなっていたのである。会見はすんでのところで中止された。
政府・与党合意は、生活保護費には触らず、代わりに児童手当、児童扶養手当の国の負担を下げた。厳密に言うなら、この二つの「手当」は地方にとって三位一体改革の上からも看過できないはずだが、すんなりと通ってしまった。
 理由は、生活保護費の問題にエネルギーを使い果たした地方に余裕がなかったからだ。畳み掛けるように1週間後、自民、公明両党は児童手当の支給額・対象を06年度から拡大することで合意した。
 これは、三位一体改革決着の環境整備のために、与党内で密かに準備されていた厚労省〝撤収〟の切り札だったと見ることもできる。手当拡充で地方は、負担割合の増加に加えて新たな負担増を求められる。
 今回の三位一体改革の主役は、表面上は安倍官房長官だった。総務省や地方団体が描いたシナリオは10月末の内閣改造前に改革の内容を決め、新内閣が06年度予算編成に反映させるだったが、官僚だけでなくトップの大臣も模様眺めを決め込み、改造内閣発足後もしばらくは動かなかった。
 そこに飛び出したのが、各省に対する安倍氏の税源移譲のノルマだ。安倍氏は3兆円税源移譲の積み残しを上回る6300億円を割り振った。うち、大半の5000億円強を厚労省に申し渡した。
 ところが官庁はここでも思うように動かず、安倍氏の言動も揺れ、財務省に「取り込まれた」とのうわさが永田町、霞が関を駆け巡った。行司役である官房長官の〝資質〟を問う声である。
 最後は、竹中平蔵総務相の奔走、自民党の片山参院幹事長や中川政調会長が動いて態勢を立て直し、安倍氏が「首相の方針」を盾に、決着にたどり着いた。
 それにしても地方団体は勘所を押さえた動きがなかった。情報収集力もお粗末だった。
 分権を叫ぶ声は大きいが、霞が関と渡り合う態勢ができていない。司令塔もあるのか、ないのか分からないと内部から言われるほどである。
 次は交付税見直しが前面に出る。どうすればいいか。言うまでもない。

(06年新年号、05年12月28日)