7) ◎社会的責任

 「社会の負託に応えるには、社会的責任を果たすことである」。経済同友会代表幹事で元東京電力会長の故木川田一隆氏の言葉だ。
 財界首脳の一人、木川田氏は1960年代初頭、企業の社会的責任を説き続けた。高度経済成長のひずみが公害や都市問題、欠陥商品の続出となって表れ、産業界だけでなく国も効果的な手を打たなかった時期のこと。
 企業の社会的責任が初めて打ち出されたのは、1956年の経済同友会の全国大会での決議。経済白書は、この年「もはや戦後ではない」と書いた。戦後の混乱期を脱しただけで、経済自立とは程遠い時期のこの決議は「経営者の社会的責任の自覚と実践」として、倫理的にも経済社会との調和を追求するよう宣言した。
 しかし、せっかくの理念も70年代半ばの列島改造や80年代後半のバブル経済に押し流された。そしてバブル崩壊後の90年代は、社会のあらゆる仕組みが機能しない「失われた10年」となったのである。企業倫理が問われる事例は、今日もなお表われ続けている。
 ところで地方自治体である。
 機関委任事務の廃止で敗戦・独立以来の国の大きな呪縛が解け、現在、三位一体改革の質を問うまでになった。
 第一次の分権改革は地方6団体の護送船団方式で〝示し〟がついた。問題は次の各論段階である。自治体の台所事情は様々だ。最大公約数を取るのが容易でないことは、今回の三位一体改革の?末を見れば分かる。
 今、自治体は否応なしに自助努力を迫られている。政策の「選択と集中」、加えて組織の体質強化とスリム化だ。結果として予算も圧縮される。
 その上で、自治体が域内的、つまり住民に対して果たさなければならないのが情報公開の徹底と協働の具体的推進である。この情報公開と協働の内容が、自治体の社会的責任を量る最も単純な物差しだ。
 例えば、住民・団体との関係でいつも出てくる言葉が「協働」だ。この数年、地方行政の分野で一種の流行語のような感すらある。少しばかり、安易に使われてはいないかという気もする。
 行政だけで公共をつくりきれない時代に対応するには協働に頼るほかない。
 ところが協働はその実、極めて難しい課題で、マニュアルがあるようでないのである。地域事情が違うし、価値判断も様々だ。歩いて目で確かめる企業の市場調査風のこともしないといけないかもしれない。その上で、協働の戦術・戦略を練る。協働は、口で言うより地味で根気が要る。
 情報公開の徹底も、開かれた行政を担保する効果はあるが、一方で、行政の本音が隠れ、「しっぽ」をつかまれないような形式的、無味乾燥な公文書が当たり前になる可能性は高い。
 政策評価にしても、第三者の適切な判断が示されなければならない。一般歳出の政策とは違った「理念」の政策判断をどうするかも問題だ。
 地方自治体は、当該地域にあって競争相手がいない〝大企業〟だった。だが、分権時代は大競争時代を意味する。自らの責任を果たし、かつ生き残りの方策を追求しなければならない。
 大阪市の職員厚遇、第三セクターの破綻などは、社会的責任欠如の典型的な事例である。
 社会的責任が問われる自治体経営とは何か。真剣に考えなければならない時がきている。

(06年春季号、3月24日)