◎多極分散型分権論

 「船頭多くして船山に上る」―広辞苑によると「指図ばかりする人が大勢いて統一が取れず、とんでもない方に物事が進んでいく」例えである。
 地方分権改革の最近の論議を見ていると、そんな気になってしまう。分権改革が国政の場に颯爽と登場して十数年が経つ。地方分権推進委員会の5次にわたった首相への答申は、首相が改革に向けて霞が関の中央官庁を先導する姿を思い描かせた。
 当時、漂流する日本がいわゆる「失われた10年」を脱して、新しい国家像を追求するまたとないチャンスと映ったのだが、春の淡雪にも似たはかない夢だった。

第1次分権改革の機関車役を担った地方分権推進委員会で座長を務めた東京市政調査会の西尾勝理事長(元東大教授)が京都市で講演した内容は、波濤にもまれた第1次改革の教訓を踏まえて、勇気ある第2次改革を鼓舞することに狙いがあった。
 西尾氏によると、現状の分権論議は複雑多元化して、あたかもかつての全国総合開発計画(全総)が目指した「多極分散型」のようだと皮肉を込めて言った。
 全総の多極分散型国家は、東京一極集中を排し、幾つもの核となる地域が分散した多極的な理想の国づくりである。ところが、多極分散型の分権論は、目指す姿も方法論だけでなく、行き先さえもバラバラなのだ。
 分権改革の主役は地方分権改革推進委員会と見られがちだが、実態は地方制度調査会、安倍前内閣当時に発足した道州制ビジョン懇談会、自民党の道州制推進本部(旧道州制調査会)に加えて、財政に絡む問題で登場する経済財政諮問会議がある。
 これらの組織が、自由に気ままに分権論を繰り広げるのだから、統一性を求める方が無理なのかもしれない。

このバラバラな論議にさらに輪をかけて混乱させているのが「300基礎自治体論」である。もともとは、民主党代表の小沢一郎氏が自由党時代に提言した国家論だが、今では民主党のマニフェストに位置づけられ、自民党道州論にも明確に盛り込まれている。また、道州制ビジョン懇の私案も日本経団連の見解も全く同じである。
 ただ、小沢氏の考えが他と違うのは、全国を300の市町村に分けるだけで、道州制の導入とは言っていない。
 分権改革は明らかに中だるみの状態になってしまった。霞が関も永田町も小泉首相の三位一体改革で振り回された疲れで、新しい動きはない。改革疲れは地方団体も同じ。もっとも警戒すべき300自治体への反論は何もない。
 西尾氏は、自身の経験から第1次改革の積み残しが最重要課題であるにもかかわらず、「脇道の話が焦点になっている。300基礎自治体論は『狂気の沙汰』」と切り捨てた。返す刀で、マスコミの問題意識の欠如を叱った。

西尾氏が講演で激するのは珍しい。分権論の現状が、余程腹に据えかねたのだろう。
 平成の市町村合併を提言したのは西尾氏だ。「私には重大な責任がある。平成の合併にどう始末をつけるか私に課せられた大きな仕事」と言っている。西尾氏の思いは、政府が平成22年3月で、合併に幕を引くことだ。平成の合併は、あまりにも長すぎた。

(08年春季号)

分権論議が「拡散」する現状に注意を喚起する東京市政調査会理事長の西尾勝・東大名誉教授(京都市内、08年2月27日)